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本屋に行く

 本屋さんって少なくなったなって思う。こちらで充実してると思うのは、某大学近くの書店一軒だ。それでも年齢層が高くなっているので、五木寛之とか一昔前のベストセラー作家の本が多い。コアなファン層がいる。まあ、元々本を常に読んでいる人は、思ったより少ない。

 それでも変わったなと思うのは漫画の棚の充実だ。さすがに60代ぐらいの人は少ないが、50代だと普通に読んでいる。大人の経験値に見合う、作品を描く若い漫画家さんも増えた。

 本屋に来る女性は少ない。本読む女性が理屈っぽいと圧力があり、元々、少ないのだが、今の中高年の女性は共稼ぎだし、家族のケアもあり、暇じゃないんだろう。

 そんな中、ゆうきまさみの「新九郎奔る」と、完結したおかざき真里の「阿吽」を買った。

 北条早雲の青春を描いている「新九郎奔る」の新作では、舞台に、伊豆の願成就院が出てくる。国立博物館の運慶展にものすごく感激して、展示されている阿弥陀如来が脇のほとけと安置されている様子が見たくて足を運んだところだ。美しいほとけ様たちが身近に見れてほんと感激した。

 そして、そのほとけが源頼朝が奥州に遠征したとき、義父の北条時政が、祈願して運慶に作らせたもので、運慶の若き日の出世作だとも知った。失脚した時政が隠居したところでもある。思わぬ情念の背景。

 そこは後に北条早雲が、向かいの韮山から伊豆を支配した堀越公方の跡取りを偽称したとされる、茶々丸を追い詰めて弑したところでもあるそうだ。それにより、後北条氏は起こった。昔、そのエピソードを読んだけど、無惨で哀れな話がからむ。

負け去った北条時政と茶々丸の墓がある。うん、面白い漫画です。

阿吽」は完結編。最澄と空海の人生と宗教と時代背景を描いたもの。元々、梵字とか曼荼羅とか、かっこいいなって思ってたけど、それを下敷きに彼らの思想を現代に通用する映像化してる冒険的な作品だと思う。

 奈良の平城京が文明化の毒で捨て去られ、平安京の作られた背景があって彼らが立ち上がったのだなって納得させられた。文明の光と闇をどう扱うか。とても大きな問題だったみたいだ。

 人々をどう変えていくか。この漫画がきっかけで高野山と丹生都比賣神社に行きました。神仏習合の意味が初めてわかった。親戚のおばと従妹一家も行ってくれて、面白い場所だなって言ってくれたの嬉しかったな。

 最近、マンガの大作がどんどん完結する。一つの時代が終わったなって、感じている。新しい、大衆に開かれた物語はつむがれるのだろうか。まだまだ、時間がかかるのだろうか。

 何年かぶりに漫画の新作を発売日に買った。新作の整理をしている女店員さんが笑ってくれたの嬉しかったな。まだ、生き残ろうと思う。


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