アナと雪の女王がやっていたので考察を

先日、金曜ロードショーで「アナと雪の女王」がやっていた。
私はアナ雪を見たのはこれで二回目。前回はテレビでやっていたのを偶然途中から見て「あれ?これは…」と思い、今回、再びアナ雪がやるということで録画してちゃんと見ることにした。

結果、やっぱりアナ雪は大流行した当時に子供達がみんなで仲良く歌っていたような、あんなカワイイ話ではないのでは?
なんか誤解されて軽くポップな感じになっていない?と思ったので個人的な考察、私はこう見ましたと言うのを書いておくことにした。

実はもっと社会派な深い話だと思うアナ雪。

以後、ネタバレです。


最大の誤解「ありの~、ままの~♪」の歌

とにかく最初に言わなければならないのは、アナ雪が大流行した時に子供達が楽しそうに歌っていたあの歌。

「ありの~ままの~、姿見せるのよ~♪」という雪の女王ことエルサ姉さんが雪山で歌うシーン。

映画を見ていて、これを子供たちが楽しそうに歌い、なんかテレビの音楽番組では皆で合唱しハッピーな雰囲気って…正直に言えば、映画ちゃんと見てたらそうはならないんじゃ…と思った。

流行の歌を皆で歌ってってこと自体は全然良いのだけど、実は映画のシーンを考えるとかなりズレているというのは、アナ雪を語る上でまず最初に言わなければならないと思った。


ありのままの姿を見せると歌いつつ、氷の城に閉じこもるエルサ

このアナ雪の中で一番有名とも言えるエルサが歌うシーン。

そもそも、なぜ雪山で一人歌うのかと言えばその前のシーン。
長年部屋に閉じこもり隠してきたエルサの魔法が世間にバレ、人々に恐怖の目で見られ捕らえられそうになるところを一人城から逃げ出した後、逃げた先の雪山で歌うのがこのシーン。

そこで歌われる歌詞を冒頭から順番に一部ピックアップすると


①降り始めた雪は足跡を消して一人、風がこのままじゃ駄目と囁く

②誰にも打ち明けずに悩んでた、それももう止めよう

③ありのままの姿見せるのよ、ありのままの自分になるの

④何も怖くない、少しも寒くない

⑤悩んでたことが嘘みたい、なんでもできる

⑥変わるのよ私

⑦ありのままで空へ風に乗って、ありのままで飛び出してみる

⑧二度と涙は流さないわ

⑨冷たく大地を包み込み、氷の結晶のように輝いていたい

⑩もう決めたの、これでいいの自分を好きになって

⑪歩き出そう、少しも寒くないわ


⑪を歌い終わったところでドンッ!と扉が閉ざされる。
これが皆で仲良く合唱するような歌かよく考えて欲しい。

①、②でたった一人雪山でこのままじゃ駄目だと風にささやかれ、エルサは悩んでいたことを止める決断を下す。

それでどうするかと言うと、暴走しないようにずっとつけていた手袋の残った片方も投げ捨てて意味も無くとにかく魔法を使いまくるのだ。

そこがこの映画最大のヒットの「ありのままの~」となるわけだけど、その後の二番の歌詞を見ると⑤悩んでいたことが嘘みたいに気分が晴れ曲調もアップテンポになり、どんどん魔法もヒートアップ、エルサは変わることを決意、もう二度と涙を流さない。

そして冷たく大地を包む氷の結晶の様になる。もう決めたこれでいい。
少しも寒くないとラストを締めるのだが、その後固く扉は閉ざされる。


大事なポイントは、冷たく大地を包む氷のように輝く、もう決めたと宣言するエルサは氷の城の扉を固く閉ざして立て籠もること。

つまり、ありのままになるとは、自分の好きにするということだけど、それは②にあった誰にも打ち明けられずに苦しんでいた悩みを誰かに打ち明ける、ありのままの自分を人に見せる勇気を持つというような、他者との繋がりの中でのありのままと言う意味ではなく、一人で好き勝手やるので他はどうなっても知らないということ。

他人の目を気にせずに、⑨でいうように氷で冷たく自分以外の者を凍えさせようが何だろうが知らない。好きに生きるって決めたからそれ以外はどうだっていいという、物凄くカッコイイ決意宣言だが到底他の人、社会からは許されない選択を取る覚悟になっている。


ありのままの自分で良いというカッコイイ女性の自立、解放、自由の歌にも見えるが、エルサが言っているのはそんなに生易しくない。
エルサの自由のためにアナや逃げ出した城下にいた赤ちゃんやその母親、エルサ以外は男も女も全員どうなっても知らんという宣言。

実はこの歌詞の「ありのまま」と言う部分はネットで調べると良く分かるが、元々の英語の歌詞の訳としてズレがあるという意見は多々ある。

歌自体、英語バージョンでも良く流れていたので原文を耳にしている人も多いと思うが、英語だとLet it goとなり、その意味はかなり幅があってピタッと日本語に訳せないようだけど、「ありのまま」というよりももっと投げやりな「なるようにする」「そのままにしておく」というようなニュアンスのよう。

そう考えると余計に上記での意味合いが強まって、生まれ持った魔法と言う個性を内に抱え込まずにそのままに、なるように自由に解き放ってこその自分、そうしたら悩みなんか無くなったということになる。

魔法をもっと身近な現実に置き換えれば、例えば好きな人が出来た。そのことを打ち明けられずに悩んでいたとしたら、自分の殻に閉じこもって誰にも言わない苦しい恋で終わらせるのではなく、思っているままに「好きだー!」と言ってしまうと決めたということ。

たとえ相手が既婚者だろうが同姓だろうが幼児だろうが人間じゃ無かろうが関係ない。その結果社会からどう思われようがそれを好きになったのは自分の個性だから解放する自分のしたいようにする。そしたらもう何も怖くない。

こういう宣言を子供がニコニコ歌っていたり、テレビで皆で合唱していたのだ。


エルサの魔女化

この歌のシーンはこの映画の大事な部分がかなり詰まっている。
今度は歌の歌詞ではなくこの時のエルサの行動について。

雪で足跡が消えてもう戻る道も失ったエルサは悩むのを止めて手袋を取る。

そして魔法を使いまくるのだけど、その最初に作ったのが雪だるまオラフ。

歌は二番に入りアップテンポに。

エルサは崖に氷の橋をかけて駆け上がり、氷の城を作る。

ティアラを投げ捨てて髪を解いて衣装を変える。

そして城に閉じこもる。


曲がアップテンポになる二番でまず橋をかけるエルサだけど、ここでエルサは人間を止めて魔女、雪の女王になった。

物語の都合で言えば別に必要のないこの橋をかけるシーン。
氷の城を崖の手前に作っても良いし、そもそも崖なんか無く地続きでも物語上不都合は無いのにわざわざ橋をかける。

なぜなら、橋にはこの世とあの世などの違う世界との境界の意味があるから。自分の魔法で橋をかけてそれを渡るというのは、つまりこの世から自らの意思で異界に渡り異界の者になるということ。

なので氷の城の中で人間の王族としての象徴のティアラを投げ捨て髪型、衣装をチェンジする。

これで名実ともに雪の女王の完成。

英語の原題はfrozenなので、雪と言うよりは氷の女王かもしれないがとにかくエルサは橋を渡って魔女になった。

で、ポイントは魔女になる前、歌で言うと1番のサビの「ありのままの」の時、手袋を投げ捨てて魔法を解放したエルサが最初に作ったのが雪だるまオラフということ。

この時はまだ橋を渡る前なので魔女になる一歩手前。
まだ子供の頃の様に魔法を使う人としてのエルサがオラフを作ったのがかなり重要。

と言うわけで次はオラフの話。

オラフについて

隠していた魔法を解放し、他人にどう思われるか気にすることを止めたエルサが手袋を取って最初に使った魔法で作られたのがオラフ。

良い味してる人気キャラのオラフだけど、実は物語上でもかなりキーとなるキャラクターだと思う。


映画の冒頭、アナに誘われ夜の広間で作ったのがオラフ。
その後魔法を隠すためにとにかく城から出ない、使用人や妹のアナすら遠ざけて部屋に閉じこもっていたエルサが自分を解放してまずやったのが雪だるまを作ることだった。

その雪だるまが自らオラフを名乗って動き出す。

それは当然エルサが無意識のうちに子供の頃を思い出しながら楽しく魔法を使った結果。

そんなオラフは本人もなぜかわからないが夏に憧れている。


さて、このオラフとはなんなのか。

結論から言ってしまうと私はオラフはエルサの人間としての心だと思っている。

オラフが憧れる夏とは、氷の魔法による束縛から自由になって外に出て楽しみたいという憧れであり、またそんな夏のように活発な性格なアナのことでもある。

だからオラフが歌う歌の歌詞でもあるようにエルサ自身の象徴でもある冬も決して嫌いではないが夏(アナのこと)はもっと好き、冬と夏が合わさればもっと最高だとなる。

実はもう一つエルサの心が宿った物がある。

それがアナとクリストフを氷の城から追い出した氷の巨人。
エルサが一人で好きに氷の城にいると決めた後で拒絶した時に作った氷の巨人はエルサの氷の女王としての心が宿っている。

だからこそ映画のラスト、エルサは皆の元へ帰っても氷の城に一人残るし、氷の城の主としてのシンボルで頭に拾ったティアラを乗せる。

逆にオラフは本当はアナと一緒に子供の頃のように楽しく暮らしたいという思いが宿っているので氷の城への階段へ案内し、ノックしてと促すなど導き手として活躍することになる。

クライマックスでもオラフは「愛とは自分より人のことを大切に思うこと」とアナを導き、ラスト、クリストフの元に行きたい自分の気持ちよりもピンチのエルサのことを思って助けに行ったアナに真実の愛があったから氷の魔法は解け、真実の愛を知ったことで自身の魔法の力もコントロールできるようになった。

というか、よくよく考えてみれば子供の頃のエルサはアナに魔法が当たってしまう前はむしろ普通に魔法をコントロールしていたわけで、これでやっとエルサは子供の頃のように戻れただけとも言える。

子供の頃に作った雪だるまがオラフと名付けてはいても喋ったり動き出さなかったのはエルサの中で雪だるまに思いを込めて代弁させる必要が無かったからだと思う。


アナ雪に見る社会とマイノリティ、多様性の話

長々と書いたけれど、私はアナ雪はエルサのような人を社会はどうするべきなのかという問いかけに感じる。

もっと言えばお世話になったトロールはエルサの戴冠式には呼ばれてすらいないし、クリストフにも関わる、社会の多様性のあり方の話にも感じる。


エルサは生まれ持った魔法の力によって両親から過保護に人目を避け守られてきたが、私達の現実でも生まれながらにハンディキャップがあったり、逆に身体能力に恵まれ体が大きく力が強かったから優しく手加減するように教えられたりするようなことはあると思う。

兄弟でも上の子はお兄ちゃんなんだからお姉さんだから手加減してやれと言われるなんてことはよくある。

そうやって自分の持って生まれた個性を押し殺した結果、どこかで暴走した場合、周囲の人や社会はそれをどうするのかという話。

その一つの答えとして、この映画では自分より相手を思いやるという真実の愛と言う形を示していると感じる。

エルサは女王として国に戻った後も魔法を使う。
それでも街の人はラスト皆楽しそうにスケートをしている。

実はエルサの魔法の問題は何一つ解決していない。

エルサは愛に気づいて子供の頃のように魔法のコントロールを取り戻しただけで、魔法自体が消えてなくなったわけではない。
また子供の頃のように万が一誰かを傷つけてしまったり、悲しい事が起きれば再び暴走するかもしれない。

でも、それに気づいているのかいないのか街の人はエルサの魔法込みで受け入れている。

そのために必要だったのは個性を知られまいと周囲から遠ざけることではなく門を開けておくことだった。

人とは違う物を持っている時に、隠せばそれだけ相手も恐れるけど、門を開け見せることで分かりあえるという話は正しいのかは私には分からないが一つの答えなのかなと感じた。


また、そういうマイノリティの問題で言えば山に住むトロール達。

彼らは魔法で困れば王族が助けを求めに行くほど国と関わりがあるが、国の一員として一般的には認められてはいない様子。
トロールは彼らの常識の中で生きているマイノリティ。

彼らの感覚ではカワイイと思った子供クリストフを勝手に自分の子にしちゃう。人間側から見たらクリストフは子供の頃大人と氷運びをしていた途中にトロールに誘拐されていることにになる。

ある意味で氷の城で好き勝手に生きると決めたエルサと似た存在。

ではそんなトロールはエルサやアナが仲介役になって国の仲間として人間と一緒に暮らすように、人間が多様性を認めて一緒に暮らす方がいいのだろうか?国のピンチを救ったのは間違いなくこのトロールの長老の助言で皆が感謝するべき相手だ。

おそらくトロールはそんなこと望まないしエルサ達もそんなことはしないのではないかと思う。

トロールは森でカワイイ人間を見つけたらきっとクリストフと同じように自分の子にしてしまう。
いくら多様性を認めると言ってもそれはきっと受け入れられない。

つまり、多様性を認めるのなら存在を分かった上で必要以上に干渉しないという方法もまた一つだということに思える。

エルサのように個性を社会で受け入れるという解決の横にこそっとトロールの存在があるバランスはかなり深いと思う。


最後に、個人的にこの映画の一番のツッコミどころでもあり、AIに仕事を奪われる問題にもつながるなと思うのが、クリストフの今後の話。

新しいソリを貰ったクリストフだけど、任命した女王は好きなだけ好きな形で氷が出せる。

一体クリストフは何処から何の目的で氷を運んでくるというのだろうか。

しかもその気になればオラフの頭上のように雪雲まで作れるのでますます運ぶ必要が落ちて来る。

エルサが魔法をコントロールできるうちは実はクリストフだけではなく冒頭の氷運搬の一団は全員お役御免、街で必要な氷は全て女王がポイっと出してくれて、それでこそ女王様の人気もうなぎ登りなはず。


だけど、女王から正式に氷を運んでくる係を任命されソリまで渡される。

別にクリストフには城内で別の仕事を与えても良いし、ぶっちゃけアナと結婚したって良い流れなのに。

これ、クリストフは氷を運ぶ仕事が大好きでその仕事をエルサは奪っちゃいけないと思っているのではないだろうか。
現実で言うところのGAFAや大資本のショッピングモールが全てを担って街の個人経営店を潰してはいけないというメッセージのような気がしている。

エルサは女王になった後も商業的に成り立っている氷業者がいらなくなるような魔法の使い方はしないのではないか?

そうでないとクリストフの氷を運んでくる仕事とは、運んだ氷に市場価値はほぼ無い、ただ穴を掘っては埋める仕事と同じになってしまう。

人の仕事を奪ってしまう程の力を振りかざしていいのかどうかという問題に見えた。


ありのままで好きに生きることと、自分以外の他人を思うことのバランス、そして個人だけじゃなく社会はそれらをどうするのかという結構複雑な話がこのアナと雪の女王という映画だと思う。

さて、これだけ書いてきて実は私はアナ雪2は全く見たことが無い。

次回はそんなアナ雪2がやるということで、見たらまた感想を書きたいと思う。

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