あの日は晴れだった。
先日、「ひげそった。」にて、⑴コロナウィルス撲滅を願うについて買いたのだが、⑵社運を賭けたプレゼンテーションに挑むを書く私の精魂は尽き果てたので、割愛した。
この文章を書いている日は午前三時五十一分に起床し、昨日、友人が取った行動に目頭を熱くして、ショートメッセージを一通送信した。英文ではあったが、まるで日本文のような気持ちで思考して書くことができた。なんだかヘンな気持ちだ。
さて、現在の私はスマートフォンで例えるならば、充電100%(元気)、4G100%(頭が冴えている)、BluetoothOFF(誰にも邪魔されない)である。
プレゼンテーション(以下プレゼン)当日の話を書きたい。
あの日は、雨だった。
まだこの世界が朝になろうとする前から、すでに雨だった。ポツポツ降りの雨ではなく、ザーザー降りの雨だ。
(今日はプレゼンなのに雨か。不吉だな。)
縁起を、まるで神輿のように全力で担ぐ性格なので、早くも不安になる。
とはいえ、コロナ禍なので、オンラインでのプレゼンだから、別に外出する必要はないのだが。
それでも、やはりソワソワして、午前十時三十分から開始されるプレゼンに向けて、私が解説するポイント⑴絵コンテその一、⑵絵コンテその二、⑶キャスティング、⑷スタイリングについて、メモ用紙にまとめる。
ご周知の方もいるかもしれないが、私の話はとにかく長い。高速道路に例えるのであらば、東名高速道路の神奈川県から愛知県(もしくはその逆)を運転する時に、おそらく誰もが感じる
「うわー、長いな。まだ浜松じゃないの?
どうする、次のサービスエリアでもう一回コーヒー買っとく?」
これだ。これがまさに相応しい。
しかも、話の脱線は当たり前。
本人は、それがまるで紳士が行う至極当たり前のマナーの如く、それを何度も何度も平然と行う。
しまいには、脱線した話に一人で勝手に盛り上がり過ぎて、本題の話を忘れてしまい、私の話に優しく耳を傾けてくれる人々に、
「えーっと、何の話をしてましたっけ?」
と、尋ねてしまうのだ。
ちなみにその場合、話に耳を傾けてくれる人々には、二種類の対応がある。
それは、⑴話を本題に戻してくれる。⑵話が本題に戻らない。
ちなみに⑵について少し補足をしておくと、私がした質問(「えーっと、何の話をしてました?」)に対して、答えられない(つまり私と同じタチの人々)状況になると、私の気持ちは、まるで終電を逃してやむ無くタクシーに乗車して、
「え、五千円もするんですか?」
と驚き、その金額をクレジットカードで支払い、それの署名をしている時に、
(五千円か。)
と、思いつつヘコむ。このような気持ちだ。
私は、先述した⑴と⑵のどちらの人々も好きだ。むしろ嫌いなんて思うのは失礼だ。
いつも私の話に、優しく、まるで子供をあやすように耳を傾けてくれる人々に、今ここで、なるべく多くの人々に、私の感謝の気持ちが伝われば良いと心の底から願っている。
有り難うございます。
今度、時間がある時には、神社で私の気持ちが、さらに多くの人々に伝わることを願いたい。
さて、どうだろうか?
私の話は長くないか?
静岡県は長くないか?途中でさわやか(静岡県のローカルチェーンハンバーグ屋)に寄りたくならないか?なんなら、ついでに富士登山もしようと計画した人はいまいか?
私のこの性格をプレゼンで披露してしまうと、プレゼンをされる人々は勿論のこと、プレゼンをする人々も含めて、
(長いな、コイツの話は。)
と、思われてしまい、せっかくのプレゼンが台無しだ。
きっと、私が女性からモテない理由の一つはこれだろう。
この文章では私が話を本題に戻すしか他ならない。
話を本題に戻そう。
メモ用紙に、プレゼンで私が説明するポイントをまとめ終えた後、現在、同時進行で読書中の本を六冊読む。
それらをある程度読み終えた後、風呂に入る。私は朝風呂派だ。私は朝、風呂に入るのが好きなので、銭湯と温泉に人々と行き、一緒に行動するのが苦手だ。もし、それらの場所に行くのであれば、極力一人で行きたい。
四十三度のお湯を浴槽に張り、我が家から代々伝わるほどの大ベテラン選手のコーヒーメーカーで熱々のコーヒーを用意して、風呂における最高の相棒(私は密かに思っている)バブを用意する。
そして購入してからおよそ四年後に、−「最近のiPhoneは防水だから」という衝撃の事実を幼なじみのプロカメラマンに告げられた− 風呂で音楽を聞くと良い、という法則を発見し、Ludovico EinaudiのCirclesを流して、シャワーを浴びてから浴槽に相棒を投げて、およそ四時間後に始まるプレゼンの流れを頭の中で思い描く。
その後、ひげを剃り、髪と体を洗い、「さあ、俺の気合いと準備は百パーセントだ!どこからでもかかってこい!!」というぐらいの威勢で風呂から出て、ふと部屋の窓を見ると、やはり雨は依然としてザーザーと勢いよく降っていた。
私は、花瓶の水を全て入れ替え、その間、卵を二つ茹でる。途中で、その卵を冷たい水につけておく。
作り置きした味噌汁を電子レンジで七〇〇ワット、一分三十秒あたためて、三本あるうちのバナナを、一本思い切りもぎ取り、コーヒーテーブルに紅色のランチョンマットを、マタドールが闘牛を華麗にかわすかの如く、ヒラヒラと空中を舞わせた後、それをそのテーブルに置く。
私の人生には必要が無いと判断したので、地上波は二年前から契約していない。NHKの契約料金の支払いを催促する下請けの人々は、もう二度と私の人生に関わることはないであろう。
七時のNHKラジオニュースをSpotifyのポッドキャストで流す。
(これにはNHKの契約料金は関係してくるのかな?)
と、ぼんやり思いつつ、今朝も爽やかなイントロが始まり、それに併せて三宅民夫さんの爽やかな挨拶があり、久保田明菜さんと三橋大樹さんが彼に次ぐ。
爽やかな挨拶とは裏腹に、ザーザー振りの雨は、私の気持ちを爽やかにさせてくれない。
およそ一年間続いているコロナウィルスのニュース。
人間は動物だ。環境に適応して生きていく動物だ。つまり、慣れてきたのだ。毎日毎日、コロナウィルスのニュースを聞くと、初めのうちは、
(昨日の感染者数は結構多かったな。)
と、思っていたのだが、最近はそう思うことをしなくなってしまった。まるで、株価の値動きをニュースで聞くようなものに、私の中ではそれが変化してしまった。
もちろんコロナウィルスは気にかけなければいけないのだが、人間は動物だと私はしみじみ思った。
皿を洗い、日本茶を淹れ、電子版日経新聞をiPad Proで読む。朝刊よりもマーケティングジャーナルが好きなのだが、この日は火曜日なので、朝刊のみだ。それに目を通し、Feedlyでニュースに目を通した後、YouTubeとVimeoのフィードにも同じことをする。”How to Break the 180 Degree Rule” という、wolfcrowがYouTubeに投稿した動画を見る。
どうやら小津安二郎は、ルールの破壊者らしい。一九六三年一二月一二日に彼はこの世を去ったのだが、日本の映画界はこの日、この時点で破壊され終えてしまったのだろうか?
それを見終えると、見損ねていたFARGOのシーズン四第一話を見る。今回の舞台はカンザスシティだ。
今回はジェシー・バックレイが出演していたことに私は気付き、同時に嬉しくなる。
彼女のひん曲がった口が好きだ。彼女本来の性格はひん曲がっていないことを願いつつ、相変わらず彼女に与えられる役は、かなり印象に残り、それは全て彼女のひん曲がった口のお陰ではないかと密かに私は見立てている。
不意に眠気がドアを優しく丁寧にノックするかの如く訪れてきたので、昼寝をする。(昼前なので、仮眠という言葉が正確なのだが、昼寝という言葉が私は好きなので、この言葉を使いたい。)
昼寝から目が覚めた後、Disney+のワンダヴィジョンの第四話を見始める。
それを見始めた数分後に、今日のプレゼンで共に参戦する友人から電話が入る。
彼の父親が間もなくこの世を去ろうとしていることは、前週から、私は知らされていた。彼は現在、広尾の日赤病院に —前週からいる— ので、インターネットの通信環境が良くないとのこと。
したがって、オンラインミーティングでは、私がプレゼンの資料を全画面共有にして進行して欲しいとのこと。
幸いにも、私が見始めたネットドラマは開始数分後しか経過していないので、物語の続きが全く気にならずにすんだ。
彼との電話を終え、2012年モデルのMacBook Pro(以後、パソコンの名称になる)を開き、Google Chromeを立ち上げ、Google Spreadsheetのプレゼン資料を全画面にしてみる。
完璧だ。
愛すべき我が家のインターネット通信環境は、完璧だ。
プレゼン開始は十時三十分なのだが、天変地異でも起こり得ない限り、私はプレゼンにおいて、全力で、全画面にして進行しようと固く決意した。
プレゼン開始まで残り十五分。
タオル地のガウンを、プロレスラーの如く脱ぎ捨て、一張羅のジップアップパーカーに袖を通す。
本来であらば、私が最も敬愛しているスティーブ・ジョブズのイッセイミヤケの黒色のタートルネックを選択したいところだが、それの首部分が、私の首をチクチクさせ、私の気分をイライラさせるので、私はジップアップパーカーを選択した。
ジップアップパーカーといえば、Facebookの創業者であるマーク・ザッカーバーグを連想する人々がいると思うが、私は彼が軽蔑するほど嫌いだ。彼を意識しているわけではない。
髪をヘアゴムで結び、気合いを入れる。ロン毛の私が髪を結ぶ時は、⑴蕎麦を食べる、⑵撮影でカメラを回す、大きく、ざっくりと分けるのであれば、この二種類だ。
どちらにも共通して言えることは、「気合いを入れる」だ。
つまり、私はプレゼンという名の戦に出陣する覚悟は整った。
本来の戦であらば、気付けとして酒を一杯やるところだが、私は頭を、いや、脳みそを、アクセル全開、ギアは六速、スピードは時速百五十キロにしておきたいので、三年前から契約中のプレミアムウォーターのサーバーから、水を勢いよく、スターバックスのタンブラーに注いだ。
さて、準備は整った。
私は新東名高速道路の静岡に入った。
受信したメールに記載してあるURLをクリックすると、Microsoft Teamsのアプリが開かれて、オンラインミーティングの画面が表示される。
プレゼンをされる側とする側、双方の橋渡し役である方は、すでにログイン済みだ。
私は十時二十分にログインしたが、プレゼンは十時三十分からなので、カメラとマイクをオフにして、気持ちを整えて、メモ用紙を確認する。
その時、私はふと思った。
(だからだ。だから芸能人たちが記者会見で話す内容をまちめているんだ。)
テレビの地上波を通して視聴者たちに届けられる記者会見では、ほとんど(全てではないか?)原稿が用意されている。
つまり、重要な場で人々に話す場合、時間は限られているので、思考を正確に伝えねばならない。
それを完璧に行う上で、最も信頼できるのは原稿だ。
戦で例えるのであらば、原稿は武器だ。銃であり、刀であり、弓だ。
(次回から原稿を用意せねば。)
そう思いつつメモ用紙を確認して、プレゼンの進行イメージを頭の中で描いていると、時刻は十時二十五分。
A.プレゼンをされる側の人数は十一人
B.プレゼンをする側の人数は三人
私はもちろんBの人間だ。私の血液型はB型だ。
オンラインとはいえ、胸がドキドキしてきた。
なぜなら、今回のプレゼンは私の人生で二回目だからだ。
人生初のプレゼンは、Aの人数は四人。Bの人数は一人。つまり、私一人だ。
ソロキャンプ、ソロトレッキング、ソロドライブ。
私はソロを愛している。ナチュラルボーンソリストだ。
もちろん、人生初のプレゼンは勝利を手中に収めた。
さて、今回のプレゼンはAの人数が前回のおよそ三倍だ。興味深いことに、Bの人数はそれに比例している。
胸がさらにドキドキしてきた。しかし、これは良い類のドキドキだ。心臓の鼓動がいつもより少しだけ速い。
私は生まれついての不整脈なのだが、その鼓動がいつもより少し違うのが幾分か心地良い。
ふと、私の部屋の窓を見ると、光が差し込んでいる。ザーザー降りの雨が、嘘のように止んでいる。
まるで、太陽が私たちを勇者にしてくれているかのようだ。
十時三十分。
Aのうちの一人、先述した橋渡し役の方、(以後はMCとする)が、今回の主旨を説明する。
MCさんの口振りを観察するに、彼は場数を踏んでいる。いわゆるベテランドライバーだ。
彼がソロドライブを私と同等に愛しているかは、観察しきれなかった。
彼が主旨説明を終えた後、Aの人々の簡潔な自己紹介が行われた。勇者たちは、それに挨拶をする。
次に勇者たちも、Aの人々と同様に、簡潔な自己紹介を行う。
ここで、プレゼンの進行をより分かりやすく(もちろんプレゼン内容はコンプライアンス上、伝えられない)伝えたいので、勇者たちを伝説のゲーム「ドラゴンクエスト」のように職業を与えようと思う。BGMは、もちろんドラゴンクエスト「序曲」だ。あの広大な —まるでどこまでも続く無限の野原に、ポツンとただ一人と立つ— 音が聞こえるだろうか?
私にはハッキリと聞こえている。
—勇者たちの職業—
1.賢者
2.吟遊詩人(以後は詩人とする)
3.勇者(実は村人)
解説しよう。(BGMは「間奏曲」に移り変わる)まず、1についてなのだが、今回のプレゼン資料の全体を見立てたので、賢者とする。また、今回のプレゼンの機会を調達してくれた。
まさに賢者に相応しい。
次に2についてなのだが、プレゼン資料の重要な言葉を作成してくれた。つまり、⑴キャッチコピー、⑵ステートメント、⑶ナレーション、この三つだ。
まさに詩人ではないか?相応しすぎる。
最後に3についてなのだが、私だ。私は勇者に憧れる、ただの村人だ。
以後、先述した職業で進行する。(BGMは「広野を行く」に移り変わる。)
まず、賢者が挨拶をする。
非常に丁寧かつ紳士的だ。勇者とは正反対だ。勇者は見習うべきだ。次にプレゼン資料のコンセプトを説明してゆく。
ここで、勇者は妙なことに気がついた。
(おかしい。今日の賢者の口調がいつもとは違う。)
勇者はすぐさま、iPad Pro(以後、タブレットの名称になる)を手にして、時計アプリを立ち上げる。
そしてストップウォッチに切り替えて時間を測る。
勇者は賢者の —まるで針の穴の通すことができるレベルの小さい— 異変に気がついたのだ。
このプレゼンの前日、賢者と勇者は当日に向けた打ち合わせを電話でしていた。
大まかに説明すると、このようになる。
賢者の役割-司会進行とキャンペーンの解説
勇者の役割-二つの絵コンテ、キャスティング(モデルとナレーター)、スタイリングの解説
勇者は司会進行を担当する必要がないと分かり、幾分か安堵を覚えていた。
しかし、賢者の様子がおかしいのだ。
賢者と勇者の付き合いは、かれこれ七年になる。学生で言うならば、高校を卒業して、大学に入学と卒業をしたことになる。
勇者は賢者の結婚式に招かれ、賢者と賢者の妻の目前で、両者の幸せに感動して、号泣。
勇者は涙もろいのだ。勇者は歳を増すごとに涙もろくなる。
勇者が人生ドン底の時、(もし地球に穴が空くのだとしたら、日本からブラジルまで穴が空くレベルの距離)賢者は、「共に会社を始めないか?」と、勇者に優しく救いの手を差し伸べた。
勇者はこのシーンを瞼の裏で再現するだけで目頭が熱くなり、ティッシュを一枚掴み取ってしまうのだ。
賢者と勇者は会社を始めた。
出会いから二年、会社を始めてから五年、賢者と勇者は戦友になった。文字通りの戦友である。時には戦い、時には友になる。勇者はそう思っている。
賢者と勇者は阿吽の呼吸ができるので、プレゼン中もそれを行なっていた。
が、しかし、今日のそれは少しだけ違う。
勇者は心の中で、
(俺が司会進行をせねば。)
と決意して、タブレットで時間を確認することにした。それと同時に、Google Spreadsheetのアプリも立ち上げ、プレゼン資料を確認する。
つまり、勇者は時間と説明の進行具合を確認することにしたのだ。
(間違いない。こうしておけば大丈夫だ。)
勇者は賢者を助けることにしたのだ。
賢者が資料のコンセプトの解説を終えると、続いて詩人がステートメント —つまり今回のプレゼンにおける一番重要なメッセージについて— の解説を非常に落ち着いた声のトーンで行う。
勇者はパソコンに、全画面で今回のプレゼン参加者全員に共有されている資料を次から次に切り替えつつ、タブレットに表示されているストップウォッチに目をやる。
プレゼン開始からおよそ十分が経過している。
次に勇者は、タブレットをストップウォッチからプレゼン資料に切り替える。
勇者のパソコンは、全画面表示をしているので、プレゼン資料の総ページ数が分からない。勇者はそのことを危惧した。戦において、全体の風景を見渡せる場所と人物がいないと、それは負けを意味するからだ。
賢者が詩人に、キャッチコピーの解説を促す。詩人は、やはり先ほどと同じ声のトーンで解説を行う。
勇者はタブレットに表示されているストップウォッチを一瞥して、
(マズイな。このままだと、プレゼンに時間が掛かり過ぎて、その後の質疑応答の時間が少なくなる。)
と、考え出す。
詩人は落ち着いて、且つ丁寧に解説をしてくれているのだが、「落ち着き過ぎ」て、「丁寧過ぎ」ているのだ。
「過ぎ」過ぎると時間が、どんどん過ぎてしまう。
勇者はさらに危惧した。戦において、先手必勝は常套句だ。読んで字の如くだが、この言葉は勝利を意味するのである。
勇者の動きは素早い。勇者は早寝早起きを得意とし、トイレに時間を要さず、飲食における「食」は、「飲」と同等、つまり、ほとんど噛んで食事をしない。
「カレーは飲み物だ。」という名言があるが、勇者に言わせると、「すべては飲み物だ。」である。
また、歩く速度も速い。
例えば、勇者が街中を歩いているとして、およそ十メートルを前に、歩行者がいるとする。
すると、勇者はギアを三速から四速に上げ、アクセルを少しだけ回す。その歩行者を追い越した後、ギアを四速から三速に下げ、通常の速度に戻す。この繰り返しだ。
勇者にとって、自分の視界前方に歩行者が存在することが許せないのだ。
先手必勝は勇者の得意技だ。
賢者が勇者に絵コンテその一の解説を促す。
勇者「絵コンテの解説を全て行うと、私たちのプレゼン時間が大幅に削られてしまうので、重要なシーンとポイントだけ解説いたします。」
先手必勝だ。これを言うことにより、プレゼンをされる側たちは、
(後で絵コンテの全シーンを確認しておこう。)
と、思うはずだ。
そもそも、プレゼン資料は事前に共有してある。あらかじめそれに目を通しておくのが、プレゼンをする側への礼儀ではあるまいか。
まず、勇者は絵コンテその一のコンセプトについて解説をして、登場人物を紹介する。次に、重要な二シーンを抜粋して、これらのシーンが絵コンテその一に最も大きな意味を持つことを解説する。最後に、絵コンテその一のクライマックスからエンディングシーンの解説をする。
早かった。勇者は通常、早口なのだが、この時は遅口だった。その方が、より言葉の重要性を聞き手に感じ取ってもらえると信じているからだ。
つまり、通常時における勇者の話は、ニュースで例えるならば、天気予報と同じくらいだ。
重要な部分以外は聞き流すだけで何ら問題は無い。
勇者の心は、湖に張る氷と同じくらい脆く繊細だが、そういうところは人々が驚くほど大雑把なのである。
プレゼン開始からおよそ二十が経過。
勇者は賢者の司会進行を待たずして、絵コンテその二の解説に入る。勇者は遅口だが、勇者の気持ちは真逆だ。速度でいうと新東名高速道路をギアは六速で、時速は百五十キロだ。
勇者は、まだ静岡だ。
名古屋は、もうすぐだ。
絵コンテその二は、その一に比べるとシーンが少なく、表現はより具体的に落とし込んでいるので、解説にさほど時間を要さない。
まず勇者は、絵コンテそのニのオープニングシーンの解説をする。次に、重要な三シーンの解説をして、最後にエンディングのそれをする。
プレゼン開始からおよそ三十分が経過。
勇者はタブレットのストップウォッチからプレゼン資料に切り替える。プレゼン資料は半分を過ぎたところだ。勇者は心の中で思う。
(良いペースだ。しかし、まだまだ速度を上げねば。)
絵コンテその一とニの解説を終えた勇者の次に、賢者がキャンペーンに用いる写真の解説を始める。この間、勇者にできることは皆無だ。歌舞伎に現れる黒子の如く、プレゼン資料のページを切り替えてゆく。
それが終わると、キャスティングとスタイリングの解説だ。賢者は勇者にバトンを渡す。勇者は、キャスティングとスタイリングのイメージを解説する。
プレゼン開始からおよそ四十分が経過。
残すは予算とスケジュールについてだ。賢者が細やかに解説をしてくれたお陰で、勇者と詩人は安心して無言を貫いた。
プレゼンはおよそ五十分で終了したので、次は質疑応答だ。賢者が中心となり、丁寧に彼らの質問に答え、勇者と詩人も賢者に続く。
質疑応答は終わり、プレゼンは終わりを告げようとしてゆく。プレゼンをされる側の人々は、感想と挨拶をそれぞれ述べてゆく。
勇者は心の中で、
(完璧だった。私たちの勝ちしか有り得ない。)
と、強く確信する。
すると賢者が、
「最後に一言だけ良いですか?」
と、プレゼン参加者全員に尋ねる。
勇者は賢者が何を言うのか分からなかった。打ち合わせでは最後の一言についてまでは話していない。
いつもの阿吽の呼吸はできなかった。
その時の賢者は、たった一人で薄暗い舞台に上がり、複数のスポットライトが賢者だけに当てられ、まるで、これから歌を披露するロックシンガーのようだった。
賢者「今日はこのような機会を与えて下さり、誠に有り難うございました。皆さまにプレゼンテーションができて、非常に嬉しかったです。我々の会社が、今回のコンペで採用されなくても、私は全く構わないです。私はただ純粋に、社会的に意味のある、このような機会に参加できただけで満足しています。誠に有り難うございました。」
賢者が言い終えた瞬間、勇者は自分を恥じた。勇者は今回のプレゼン資料作成中から、
「これはプレゼンではない、戦だ。勝つか負けるか、生きるか死ぬかだ。」
と、賢者に愚直に言い続けた。賢者は勇者の発言を活かしつつ、今回のプレゼン資料を作成してくれた。その上で、勝ち負けは関係無いという賢者独自の解釈をして、賢者は発言をプレゼンの最後にした。
勇者は自らを恥じると同時に、
(私は賢者に一生、勝つことはできないであろう。)
と、確信したのであった。
プレゼンは終了したので、勇者(村人)は私に戻り、賢者は(私の)友人になり、吟遊詩人はコピーライターになり、それぞれの日常生活に戻ってゆく。
今日の天気と同じくらい、私の気持ちは快晴であった。
ザーザー降りの雨がウソであったかのように。
私は、翌々日の撮影準備に向けて、レンタル倉庫に自転車で行くことに決めた。天気が心地良いので、絶好の自転車日和だ。
道中、以前から気になっていた蕎麦屋に立ち寄り、かけそばを食べた。私は月見そばを注文しようとしたら、店員さんが、
「当店では、温泉卵をサービスしておりますので、かけそばでよろしいかと思いますが、いかがなさいますか?」
と、笑顔で教えてくれたので、私は迷わずかけそばを注文した。
まろやかで、優しいつゆだった。食べ終わると、気持ちまで優しくなる。
そんなかけそばであった。
その後、私は寄り道をすることなく、レンタル倉庫へ向かい、撮影機材の整理をする。必要最低限のカメラとレンズをバッグに入れ、マイクと充電器は別のバッグに入れる。撮影当日、すぐに台車へそれらの機材を乗せて、車にそれらの機材を積み込みたいので、なるべく時間短縮ができるように、それらの整理をする。
ふと、カメラとレコーダーに必要なメモリーカードがレンタル倉庫にないことに気がつき、友人(賢者)に、ショートメッセージを送信すると、すぐさま返信がきた。どうやらそれは、友人の自宅にあるそうだ。友人は不在だが、友人の妻が在宅なので、彼女に連絡を入れておいたから、いつでもそれを取りに行っても問題は無いとのこと。
幸いにも、⑴レンタル倉庫から友人宅は自転車で五分の距離、⑵友人の妻とは仲が良い、ので、私は友人宅へ直行した。
友人宅に到着後、自転車が駐車監視員たちの手によって、何かをされるのに不安を残したが、よくよく考えてみれば、彼らは自転車よりも車に何かをしたいということに気がつき、鍵もせずに友人宅のエントランスに入る。
友人宅の部屋番号を押し、呼び出すボタンを押すと、少し間を空けてから友人の妻が、
「どうぞー!」
と、応答してくれて、エントランスのドアが開いた。私はエレベーターに乗り、目的地の階を押す。エレベーターは動き出し、目的地の階に到着する。
私は友人宅の部屋番号を確認して、チャイムを鳴らす。すると、友人の妻がドアを開けてくれて、爽やかなカリフォルニア仕込みの笑顔で挨拶をしてくれた。
友人の妻「プレゼン、どうでした?プレゼン資料、見させてもらったけど、すごく良かったよ。」
私「有り難うございます!プレゼンは無事に上手くいきましたよ。」最初、友人の様子がいつもと少しだけ違うので、心配しましたが。」
友人の妻「あら、そう。」
友人の妻の顔が曇り出す。まるで快晴の天気も同じく曇り出すかの如く。
友人の妻「実はね、夫(普段は名前だが、この文章では伏せておく)の父親が、プレゼンの少し前に亡くなったの。」
私「え?」
プレゼンの一週間前から、友人の父親が、もうすぐこの世を去ることを、友人から直接、私は知らされていたのだが、まさか、プレゼン当日、しかもプレゼンの少し前にそうなるとは、誰も予想できなかったであろう。
私は友人に、プレゼンを少しだけ延期した方が良いのではと提案していたのだが、友人は頑なに断った。友人と七年の間を過ごしてみると、彼の性格と意志の強さは理解しているつもりなので、彼が断ることは予想していたのだが。
しかし、まさか、である。
私は友人の妻に、友人がプレゼンの最後に述べた言葉について話した。
そして、その時、私が感じた私の気持ちも友人の妻に話した。
私の目頭は、マグマの如く熱くなる。
私「あなたは世界一、幸せだ。夫は世界一、強い男性だから。」
私はこれ以上、この場所にいることはできないと友人の妻に丁寧に述べて、エレベーターに乗り、挨拶をして、その場を去った。
自転車に乗る。私の心配とは裏腹に、どうやら自転車は無事だったようだ。
天気は相変わらず心地良く晴れていて、風は私の目元を優しく拭いてくれるティッシュの役割を果たしてくれる。
私はその時、ふいに思った。
プレゼンの前に、友人の父親はこの世を去ったのだ。
その時、ザーザー降りの雨から一転して、快晴になった。
きっと友人の父親が、天気を変えてくれたのだ。
私は彼の父親に数回お会いしたが、彼はそのくらいのことをしてしまうほど、力強い人だ。
私は、これは友人の父親のメッセージだと思っている。だから、友人はプレゼンを延期することを、頑なに断ったのではないか。
友人の父親のメッセージを無駄にしてはいけない。
今にして、あの時のプレゼンで、私は彼のごく僅かな異変に気がつき、急遽取った行動も、彼からのメッセージであったのかもしれない。
友人の父親「どうか、これからは、君が私の息子を支えてあげてくれないか。」
私はこのように思っている。
友人の父親から息子へのメッセージは、二人だけの秘密にしておいた方がよろしいだろう。
私は、二人の秘密を知っている。
あの日は、晴れだったから。