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その時、市ヶ谷は。

私は最近、悩んでいる。
バイクを運転する時に、悩んでいる。
歩いている時に、悩んでいる。
風呂に入っている時に、悩んでいる。

この文章を書いている今も、悩んでいる。

さすがに四六時中とまではいかないが、割と悩んでいる。

それは、仕事の悩みでも、恋の悩みでもない。

悩みの種は、先日、市川文学ミュージアムセンターで、坂崎ちはるさんの「本づくり展」の展示作品を撮影し終えて、ウキウキな気持ち(映像の女神が舞い降りてきたので)で、帰り道を車で運転している時に、私の心にそっと植え付けられた。

市ヶ谷。
私にとって、市ヶ谷は仕事の場所だ。
おそらく多くの人々も、私のそれに共感してくれていると願いたい。
私が大学生の時分、就職活動相談センターという組織が、TKP市ヶ谷ビルに存在した。
その当時、私はアメリカ語学留学を終え、「既卒」というラベルを世間に貼られてしまい、「新卒」扱いしてもらえず、就職活動が非常に困難であった。
その場所で、私の相談に親身に乗ってくれた関西弁を話す男性は、最終的に一つの結論に辿り着き、私に向かって、真顔でこう言い放った。

「残念ながら、アナタは就職できません。」

あれから、およそ十五年が経過した。
現在の彼は、どこで、何をしているのだろうか。

彼が私に言い放ったその結論は、まるで、⑴「ロードオブザリング」のレゴラスの華麗な弓さばき、⑵「もののけ姫」のアシタカの力強い弓さばき、この二つを足して二で割った矢の如く、今も私の心に深く突き刺ささったままだ。
私には一生、その矢を抜くことはできない。
きっと、誰にも、その矢を抜くことはできない。

彼のおかげで今の私があり、この文章がある。

ほんま有り難うな、めっちゃ感謝してるで。

この話をあまり長々と書くのは、私にとっても読み手にとってもメリットがないので、また別の機会に書くとしよう。

さて、市ヶ谷は私にとって、仕事の場所だ。

帰り道。

私が高校生の時から愛しているミュージシャン、奥田民生の曲を、Spotifyで聞くと同時に熱唱している時、その出来事は起こった。

その場所は、市ヶ谷駅の信号だ。

私は千葉方面から運転していた。新宿方面に向かう三列ある車線の真ん中、前方にはバイク一台のみ、このような位置関係に私はいた。

車の信号は赤だ。

歩行者の信号は青だ。

しかし後者は、これから間も無く終わりを人々に告げようと、それを知らせかの如く必死に点滅している。

すると、私の右斜め前方に、高齢の女性が、その横断歩道を渡ろうとしているではないか。
彼女は両手に杖らしきものを握りしめ、両腕にはしこたま買い込んだであろうと推測できる、はち切れんばかりのビニール袋が下げられていた。
遠くからではあったが、彼女の目の奥から、轟々と、まるでマグマの如く燃え盛る炎が、私には見えた。
しかしながら、彼女の歩行速度は(失礼を承知で書くが)、かなり遅い。
それはそうだ。彼女の年齢と状況を考察すると、誰でも歩行速度は同じになるはずだ。

悲しいかな、東京。

周囲の人々は、誰も彼女に救いの手を差し伸べない。

ただただ、まるで「ドクター・フー」に登場する嘆きの天使の如く、彼女を注視しているだけだ。

東京よ、もっと優しさを、アツさを、そして愛をとりもどせ。

その時、私の心の中にあるエンジンはスイッチがオンになり、ギアはニュートラルの状態でアクセルはフルスロットルだ。
(周りの天使たちの視線なんかクソ喰らえ!)
と、私は思い(ある種の怒りを覚えつつ)、声を、—まるでバケツに浸しておいた雑巾を、両手で思い切り、力の続く限り絞るかの如く— 振り絞り、彼女に向けて叫んだ。

「信号、変わりますよ!危ないですよ!」

しかし、私の声は、想いは、彼女に全く届いていない。

彼女は、横断歩道を英断し始めたところだ。
それと同時に、その歩道の信号は、(まるで「スラムダンク」の海南戦で、ラスト十秒、桜木花道がリバウンドを制し、赤木剛憲かと思い、海南選手の高砂一馬に間違えてパスをしてしまい、無常にもそこで試合終了になってしまうかの如く)青から赤へ変わった。

しかし、彼女は英断をやめない。

彼女が置かれている状況は一目瞭然だが、彼女の決意は、意志は、誰にも分からないであろう。

その時、東京、市ヶ谷の時間は止まった。

私たちの信号は青になったが、誰一人としてアクセルを踏まないし、クラクションを鳴らさない。

「クラクションのマイルス・デイヴィス」と自負する、この私でさえ、それをしなかった。

いや、誰もがそれをすることはできなかった。

その時、市ヶ谷の交差点は舞台になり、彼女はその舞台に一人で上がり、明るく眩しいスポットライトを浴びせられていた。

彼女の英断を尊重したいが、状況は極めて深刻だ。

危険極まりない。

私の右斜め前方、つまり交番の手前には、母親(四十代くらい)と娘(小学校低学年くらい)が、心配そうに彼女を見つめている。

(そうだ、交番だ!おまわりさんがいるはずだ!)

私は、その母親と娘の奥に視線を移し、交番の中に警察官がいるかどうかを確認した。

一人、たった一人だけ警察官がいた。

どうやら、その警察官は電話をしているようだ。

私がもし警察官なら、両津勘吉の如く、太い眉毛を蓄え、両袖を肘あたりまで腕まくりして、電話をガシャリと潔く切り、彼女を救いに行くだろう。

だって、それが警察官だから。

私は再び雑巾の如く、ふりにふり絞って、その警察官に向けて叫んだ。

「おい、こういう時の警察官じゃないの?こういうの助けなきゃダメだろ!」

どうやら、交番の入り口は閉まっているようだ。その交番は、まるでこの世界から心を固く閉ざしているかの如く、「我関せず」を決め込んでいる。

私は腹が立った。

立腹すると同時に、ただただ、車から叫ぶだけの私自身にも立腹した。
車のギアをパーキングに入れ、サイドブレーキを入れ、ドアを開け、彼女の英断を助けない私の情けなさに立腹した。

仮に、もし私が行動を起こしたとして、果たして白バイ隊員は私に違反切符を切るのだろうか?

今度、暇そうにしている白バイ隊員に尋ねてみよう。

彼女は無事に横断歩道を渡り終えた。

そして、東京、市ヶ谷の時間は再び動き始めた。

まるで、女性が男性をあっさり振るかの如く、そこは何事もなかったかのように日常へと戻る。

私はアクセルを踏んだ。

車がゆっくりと動き始める。

私の前方に位置するバイクも同じく動き始める。

私は、今もこの文章を書いている、この瞬間も悩んでいるし、悔いている。

私に、ほんの少しの、小さじ一杯の勇気があれば。

私に、たくさんの、コップから溢れるほどの優しさがあれば。


追記

後日、私は豊洲大橋で撮影に向けたロケハンをしていたところ、選手村ビレッジプラザ付近に巡回中の警察官がいたので、私の悩みを打ち明けることにした。

その警察官曰く、私が車を降りて、高齢の女性を助けることは、私の身にも危険が発生する可能性があるので、「厳密に」言うと、違反(切符の事を言及していたかは不明)の対象になってしまうとのこと。
しかし、このあたりの判断は非常に難しいらしく、私が最も嫌いな、黒でもなく白でもない、グレーな部分(道路交通法における)とのこと。

さらに、その警察官曰く、元を正すと、やはりその高齢の女性が信号を渡らないことが最善であるとのこと。

「そりゃ、そうだ!」

と、私は警察官に向けて朗らかに言い放った。

さらにさらに、その警察官曰く、市ヶ谷駅の交番で電話をしていた警察官が、電話を切り、彼女を助けるべきであったとのこと。

「やっぱ、そうか!」

と、私は警察官に向けて同様に言い放った。

私がもし両津勘吉なら、電話をガシャリと切るだけではなく、電話線を勢い良く引き抜いてから、彼女を、まるで神輿のように担いで助けるであろう。