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自分が子供を持つのは罪だと思っていたけど、産んでみて彼らは天使だと気がついた

20代の頃は今思うと痛々しいくらいに私は自我を拗らせていて、何をやってもうまくいかない気がして、自分のような無価値な遺伝子をこの世の中に残すことは罪だと思っていた。友人達は少しずつ結婚をして行くし、中には子供を産む子もいておめでたいことだと思ったけど、それはどこか遠くの、自分とは関係のない世界の出来事で、自分が彼らと同じことをすると想像するとゾッとした。できる気が、しなすぎて。

28歳で独身の頃(結婚未遂事件直後)、姉に第一子として姪っ子が生まれた。姉は、24歳という東京水準あるいはワカメ水準でいえばとても若い年齢で同期入社の男性と結婚をしていて、その様子を近くで見ていると到底真似できる感じはしなくて、ああやっぱり私はこの世界には馴染めないと感じる理由のひとつになった。姉は着々と人生すごろくを進めて行くのに、私はごく最近、振り出しに戻ったまま3回休みが確定しているような状態。当時の私といえば前に進む勇気も湧かないほど傷んでしまっていて、毎日横須賀線に乗るとなぜか涙が溢れてきて、合コンなどに繰り出す元気は全くなかった。

いずれにせよ、ある夏の暑い日に赤子が生まれたという知らせを受けたので、人並みの好奇心と差し入れのゼリーを持って自由が丘にあった産院に恐る恐る見に行くと、なんだかミニ朝青龍みたいな姪っ子を名乗る赤ちゃんがプラスチックのカゴの中に入っていた。それまで出来たてほやほやの赤ちゃんを間近で見る機会がなかったせいで知らなかったのだけど、この日私は生まれたての赤ちゃんというものは、それほど可愛くないことを知った。もちろん、愛おしいという意味合いでは「可愛い」のだけど、この表紙の写真にあるような瑞々しいぷくぷく感が出てくるのは生後何日も経ってからのお話で、母体から出てきた直後はシワシワで朝青龍かお猿さんの2タイプに分かれると思う。(朝青龍とお猿さん、ごめんなさい)そして姪っ子は、関取型だった。シワシワながら、むくんでいる。ちょっとだけ抱っこさせてもらって、大変失礼ながら、私は「ブ、ブサイクだな。」と思ったのを覚えている。でも、同時にその小さい体は圧倒的な存在感があって、素晴らしく貴重なものにも見えた。

ああ、こんなにブサイクなのに、尊いではないか!!一体どういうことなんだ、これは、と混乱しつつ帰宅した。

その後、フルタイムで復帰した姉を助けるため(あるいは姪っ子のぷくぷくを味わうため)私は毎週水曜日は保育園のお迎え担当として立候補した。夕方17時半に姪っ子をピックアップし、目黒区の姉の家に帰宅してからはあらかじめ姉が用意してあった簡単な食事(まだ当時は食パンを1センチ角に切ったものや薄いお味噌汁など)を与え、家の人が帰宅するまでの1−2時間の間、安全に見守るという簡単な任務のはずだった。なのに姪っ子ときたら布地のソファの上でうんちを漏らしたり、勢いよくかっこんだ食パンが喉に詰まりそうになって全部吐き出してしまって死ぬんじゃないかと私をひどく焦らせたり、大人同士の付き合いだとめったに発生しないような汚いドラマが毎回起こるではないか。

ああ、やっぱりこの子、ブサイクだし、ちょいちょい汚いし危険だ。でも、そこにいるだけで間違いなく素晴らしい。姪っ子のそんな様子をしばらく見守っているうちに、「ああ、別にこんなブサイクでも可愛いと感じられるなら、私も産んでもいいのかもな」と、ある日ふと感じた。

そこから実際に結婚して妊娠・出産に至るまではまだハードルはいくつかあって(そもそも相手がいないとか)なんだかんだ5年くらいかかったのだけど、出産は私の意識の中で「はた迷惑だから手を出してはいけないこと」から「機会があれば取り組んだら良いこと」に変わった。

そしてめでたく、私にもある日、子供ができた。

妊娠して出産するというのはなんとも奇天烈な体験で、自分の体から新しい人間が出てくるというのがとても不思議だった。例えていうなら、家電を購入して20年もたった後に、ずっと電子レンジだと思っていたものにオーブンの機能があると気がついた、みたいな感じ。「え。いつも冷凍ご飯温めるのにしか使ったことなかったけど、何これパンが焼けるの?ご冗談でしょ」みたいな。体はただ毎日働くためにあると思っていたけど、人間が新たにつくれるってどういうこと?

さらに産後は、おっぱいはそれまでずっと男性向けの飾りだと認識していたのに、実は別の機能があって、乳が出る!というのも新鮮な驚きだった。もちろん、教科書では母乳はおっぱいから出るというのは知っていたけど、実際に液体が吹き出るところを見たことなんかなかったから、自分の乳から白いものが出るとびっくりして、牛か!と思った。

だから出産は、私にとっては神聖な出来事というよりは、自分の体の新たな機能発見という体験だった。

ところでその間、母性らしきものは、大して発動しなかった。というのは私はもともとそんなにいわゆる子供好きじゃなくて、産んだら変わるのかなとうっすら期待したけどそんなことは起きていない。自分の子供達のことは愛しているしちゃんと衣食住は提供しているし殴ったりは一度もしたことがないけど、今でも耳元で騒がれるとすごくうるさく感じるし、一緒に遊ぶのも得意じゃないし、早く大人にならないかしらこの人たち、としょっちゅう思う。

一方で、子供ができる前はもっと頻繁に感じていた「消えたい」という感情が湧いてきても、「この子達が巣立ってからまた考えよう」「今日はとりあえず寝よう」と踏みとどまることができるし、彼らに教えてもらうこともたくさんある。だからあの世話の焼ける小さい人たちは、きっと私をダークサイドから救うために降りてきた天使たちなのだ。

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