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スワロー亭のこと(18)「御一緒」の一年

2018年、毎回異なるゲストを迎えてのマンスリーコラボライブ「御一緒」は、その後も順調に展開していった。

2月18日 カネタタキ
3月28日 能天気
4月29日 ラブユーひょうたん1(真子、2=7月26日、3=10月13日)
5月28日 kdrkwmrkj(川村浩司) 
6月28日 桃山?
7月29日 Ett
8月7日 燈音楽会(やぶくみこ、いわじゅん、ヒロシマン)
9月22日 エンリコ・ベルテッリ(9月23日=律動1001秒@満龍寺)
10月18日 DYSTOPIA(DJ AKI、加藤シモン、ほか)
11月8日 ささきりょうた
12月8日 ひょうたん総研インターナショナル

開催日に「8」の日が多いのは、おそらく偶然ではなく、奥田の発案でヒョウタンの形にちなんで設定したものではないかと思う(他人事のようないい方になってしまったがライブの日時設定に中島はほぼノータッチ)。

なお「ラブユーひょうたん」は、イラストレーターなどとして活動しておられる真子さんとのコラボ企画。当時真子さんが生活や表現活動の拠点としておられた長野市のワンダラストとスワロー亭を会場に、お互いに春から秋までかけてヒョウタンを栽培しながら、ヒョウタンにまつわるあれこれを題材に立体的なイベントを計3回開催した。その第1回目を4月の「御一緒」と位置づけたもの。

「御一緒」の1年間を思い返してみると、スワロー亭史(といってもこの時点でまだやっと2年目だが 笑)はじまって以来の華やかさが漂っている。よくぞここまで多彩なアーティストのみなさんが集ってくださったものだと感じ入るし、主催者である自分たちも楽しませていただいた。

なかには「今度、小布施に遊びに行きたいんだけど」と連絡をくださった県外・海外在住のミュージシャンに、「せっかくだからライブを」と応じて実現した回もある。「小布施でぜひ共演したい」とラブコールをくださり、県外からはるばる遠征してこられたミュージシャンも。

そのなかでも、成り立ちが異色だったというか、「ここまでやるのか」と学ばされたのが、3月の「能天気」だった。

「能天気」は小布施に隣接する須坂市在住の高津会さん、高津研志さん、牧周平さんのユニット。

彼らはライブ前日から舞台設営のためにやってきて、夜遅くまでかけて場をつくり込んでくださった。音合わせやリハーサルと称して事前に店を訪れたアーティストは多かったが、出演者みずからステージのしつらえを整えてくださったのは、後にも先にもこの御三方だけだった。

自宅から屏風や番傘、大ぶりな壺、飾り台などさまざまな小道具を運び込むと、ああでもない、こうでもないと小道具をあちこちに置き換えながら、狭小なスワロー亭の空間からいかにして最大限に潜在力を引き出すかに挑んでくださった。その細やかな感性は観客席にも及び、この回だけは土間に御座を敷いた上に座布団を並べるかたちをとった。

彼らの尽力で、スワロー亭がいつものなりをひそめ、まったくの異空間に生まれ変わった。一夜で消えてしまうのが惜しくなるほどの舞台。そこまでやってこそ本番に臨んで最高のパフォーマンスが可能になるのだろう。会さんのダンス、研志さんのDJ、周平さんの謡、そこへ奥田の瓢箪楽器が絡んだ即興ベースのライブは、終始不思議な熱を帯びていた。

極度に照明を落としたこの日のステージは、ほとんど記録らしい記録も残せなかった。その点も、彼ららしいといえばらしいような気もする。

話は逸れるが、このころから、研志さん・会さんの自宅でもある曹洞宗の古刹満龍寺でのイベントに、自分たちもブース出店やライブ出演、フライヤーやポスターの制作など、さまざまなかかわりをもたせていただくようになっていった。

彼らの舞台づくりはいつもすさまじい。告知チラシひとつにも尋常でないエネルギーを注ぐ。細部にまで意識の粒子を行き渡らせ、どこまでもていねいに隙間なく場をつくり込んでいく。彼らの姿に接して、自分たちが失ったものを思い出させられたのか、もともと自分たちにはないものを見せつけられたのかわからないが、たくさんのことが身にしみた。

さて、「御一緒」イヤーとも呼ぶべき2018年を振り返ってみると、2017年にソロライブというかたちでマンスリーをやってきたことがウォーミングアップの機能を果たした面もあったと感じる。

ゲストミュージシャンを迎えるにあたり、奥田の暖機運転はもちろん万端となっていた。

運営面全体を見ても、備えというか予行演習ができたのが2017年だった。

古本屋でライブをやる。ただそれだけのことだが、やることはそれなりにある。

毎回の趣向に応じたステージ設営、観客席のレイアウト、入場料をどこで受け取るか、それと引き換えになにを手渡すか、飲み物を出すタイミングをどうするか、お手洗いを使いたいお客様をどう誘導するか、動画撮影用のカメラをどこにセットするか、出演者控室をどこに用意するか、本番前に出演者にドリンクを出してよいかどうか、本番中にドリンクは必要か、本番中の写真撮影場所をどう確保するか、終演後の段取りは……。

列記してみると思っていた以上に考えること・やることが多い。基本的に奥田は「出演者」の立ち位置なので、舞台裏部分の多くは中島が担った。こういう方面の経験がないわりには大きなトラブルもなくよくやったものだ。

各回の趣向や事情に応じて、スワロー亭を飛び出し、町内外の別会場へ出張しての開催となった回も何回かあった。「御一緒」は、関係者の方々に助けられながら、機動力をきたえられる企画でもあった。

2017年、2018年と2年間にわたってマンスリーライブをやりつづけた。ゲストの方々との日程調整、チラシの作成や直接・間接の告知活動、楽器のメンテナンス(奥田が使用している楽器はしょっちゅう壊れたり改造したりしている)、練習、事前の音合わせ、会場準備、ゲストのアテンド、そして本番、打ち上げ、と繰り返していると1カ月が短い。ライブだけやっているならよいが、ライブ以外の日は古本屋を営業しながら、本の制作やデザインなどのデスクワークもやっている。「も」というよりもそちらが日常の重心になっている。

2018年が終わりに近づき、「さて来年はどうしようか」という話になった。結論は「いったんやめようか」だった。2年間、自分たちは心から楽しんだ。自宅兼自店にいながらにして、さまざまな才能にふれられる。たくさんのすばらしい音楽、演奏に身をひたすことができる。ただその一方で、お互いにちょっと疲れも感じはじめていた。

奥田がソロでやっているうちはよかったが、ゲストをお招きするとどうしても「集客」を心配してしまう。ギャランティのお支払いの問題ももちろんだが、ゲストに気分よく演奏していただくために、ちいさい会場ながら満席にしたい。なかには立ち見が出るほどの回もあったが、満足にお客様を呼べないときもあった。自分たちの力不足だった。意識のなかにうっすらと漂う「やらねばならない」感を越えられなかったこともあったかもしれない。

2年間楽しめた。いろいろな可能性も感じられた。やってよかったと思える。そのことをもって、この企画はもう充分やりきっただろうとうけとめた。一抹の寂しさも感じながら。

(燕游舎・スワロー亭 中島)

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