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習慣にしてること


#オカンの箸袋メッセージ

今年で3人の子供へ通算10年目 
Facebookへも投稿しつづけている。

これは今となっては
楽しんでいるし
楽しみにしてくださる方もいて


#習慣にしていること  なのだけど

#箸袋メッセージは 。。
#愛情表現の模索だったかな

はじめた当初は
先の見えない迷路というか
できる事をやってみたという感覚で。

きっかけは 娘と戦いでもあったし
一緒に戦った。といってもいいかな。


娘も苦しんでたであろう思春期

私の作った弁当はおろか 食事も食べなくなる

しまいに無視どころか捨てるようになる
時には皿ごと捨ててある 

激怒した。詰めると

ママの作ったものみると吐き気する 

とまでいわれる

そして実際嗚咽をあげ吐くようになった。

買い食いしてみるみる太っていく。。
そして下剤を飲みあさり顔には吹き出物が
でだした。

※※

シングルで娘を出産
23歳の夏

家庭のある相手との決裂
1人で育てる決心をした。

娘生後8ヶ月
誰にも負けない!とひとりで育てると奮起し

昼は娘を連れて行けるところは連れて行き
着物の着付けのアシスタントしたり 
指導にあたった。。

↓着物でご飯もよくつくってたな笑

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着付け師として付け爪人がとれるほど。

帯を結んだ
結婚式などの着付けは
娘がいるというとご祝儀を包んでくださる方もいた

夜は 認可保育園に 預け 今でいう

夜の人達になり 接客をして生計を立てた

娘は生後1ヶ月で血液検査の結果 
重度の食物アレルギー ハウスダストアレルギー

溢れる母乳を断念アレルギー対応ミルクに変え


アレルギー対応特別食(この頃は割高だった)を
園にお願いしていた。

おやつも手作りしてもたせた

家での掃除は狂気じみるほどに徹底した 

2歳を過ぎると
おしゃべりも上手になり預ける時間が長くなった頃

ママのご飯が 1番と言ってくれるようになり

睡眠を削って 手作り弁当もってドライブや
遠方にも出かけた

よくサービスエリアで仮眠して
心配して起こされたな笑

特に 貝塚公園や
円谷ジャングルにいってたな
(女の子だけどウルトラマンが好きで)

シングルマザーっていうのがまだまだ
色眼鏡で見られる時代

近所の公園でママ友達を作るのが怖かったから
(思い出すと。結構病んでた)
遠くの公園につれていく。転々と色々な公園に行く

他のお母さんと仲良くなりすぎないように
距離がちぢまらないように。
詮索されるのが嫌だった。

正義感が強くはっきりモノを言うこだったから

お友達とも喧嘩するのも
よそのお母さんとの摩擦を考え
ホントはビクビクしてた

本当に可愛くて
よく笑ってよく絵をかいては癒してくれてたなぁ。。

娘が4歳の時に 子連れで結婚。

弟達ができてから よく面倒も見てくれたし
お友達にブラコンとからかわれても

ブラコンの何が悪いんだ!って
鼻ズルムケに血をだして
喧嘩して帰ってきたり笑

お友達つれてきて
ママのご飯美味しいで!とかウチ綺麗やで!とか

相手のお母さんに冷や冷やしたものだ。。

幼稚園から続けていた(小学生まで続けた)
絵日記はママへラブレターのような日もよくあった

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しかし、、

いや。予兆はあったはずだ。
思い返せば 思い当たる事は山のようにある。

離婚して3人のシングルマザーだから仕方ないとか
自分に言い訳していたし

シングルなのにそれなりの生活レベルで不自由させてない!と自負していたし 細かなことは 見えないようにしていた いや実際あの頃は見えてなかった。

結論。

自分中心な子育てをしていたのだ  自己満足だ

当然だ

着々と その時はきていた

嘘をつくようになり
悪いとする事 最初はこっそり 次第に
目を盗むこともなく堂々とするようになる

私の財布からお金をもちだし
ママのご飯たべたら気持ち悪いと買い食い三昧

私自身16歳で
家を飛び出したので 身に覚えがある

反抗期やな。とかるく考えた。

来たか!この日が!と ムキに向き合っても仕方ないか。と。

あからさまに 娘の食事と弁当を作るのをやめた

すると。。

体重が増え 姿勢が悪くなり 下剤を飲みあさり

心身共に変化していく。。

ちょっとまてよ。。

そう。私も苦しんでた 

ホントは気付いて欲しかったあの頃の私と
同じじゃないか

愛情を欲するあまりに 
自分の事をどう表現していいかわからない
私をみて!悲痛な心の叫びが
自分でもわからなかった あの頃の私だ。

寝てる時に 指や手や腕を チェックした。

既に自傷行為は始まっていた。

爪もかんでいた

吐きダコや吐くことによる
歯が当たる手の傷をチェックする

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↑私の右手 喧嘩じゃないよ笑

よし、、まだない。が このままではきっと
わたしと同じになる。。
違う。。
私と同じことさせてどうするんだ。

繰り返させてはいけない!

このままだと
家を飛び出すかもしれない
危険な目にあわせるかもしれない

色んな事を自分を鏡にしてぐるぐるめぐった。

無駄かもしれないけど まずはごはんだ!

うざいかもしれないけど!

北風と太陽だ! 

この日から大皿料理をやめる。

それぞれに 盛り付けた ご飯の作り置きをし

置き手紙をする

弁当も再開

同時に小さな手紙を書くようにした。

が 捨てられる

学校には今日弁当食べてましたかと問い合わせ
帰ってきたら バックを開けて
弁当箱がなければ
おかしいと 責めた

途中まで尾行した。ストーカーのような
母親だ。
わたしが熱くなればなるほど
娘は貝になる。
言うのをやめた。

弁当を弁当箱ごと捨ててる所を発見し
学校からもゴミ箱からも
弁当箱を持ち替えり
何食わぬ顔でまた洗ってだす。

持久戦だと覚悟した。

しかしそれも

流石に毎日出来なくなった
私の体力も限界がきた。心も折れた
おそらくわたしも病み出した。。
いやもともと病んでいたのかもしれない。。

娘の身体はますます大きくなる。
学校でも苦しんでいる事がみてとれた。
よく呼び出されるようになる。
色々なトラブルにも巻き込まれていた。

その頃から私も胃炎や腸炎で悩まされ
顔には吹き出物がでだした。。

深呼吸した。もう私も 肩の力を抜こう。

開き直って使い捨て容器に作る事にした

長期戦でもいいや!何かがふっきれた。

捨てたかったら捨てたらいいねん。

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