見出し画像

平日のIKEAで息をしていた、すべてのものたち

どうにも、平日のIKEAは人を感傷的にさせる力をもっているような気がする。

木曜日、午後4時半。客の姿もまばらな店内で、私はひとり、人生に散らばる〈可能性〉について思いをめぐらせていた。

その日、私は立川に野暮用があったので、せっかくだから少し早めに出かけて立川を満喫しようと、IKEAに寄った。

IKEAには数年前に横浜の店舗にいちどだけ行ったことがあるが、日用品を売っている場所なのに、どことなく非日常感のただよう空間だなあ、と思ったことを覚えていた。
あれほど大型の店舗が私の近所にないことと、店に置かれたあらゆるポスターや看板に「外国」を感じる(日本語がことごとく翻訳っぽいのだ)ことが原因なのかもしれない。

とにかくIKEA初心者の私は、プチ旅行のような心持ちで久しぶりに訪れてみることにした。

立川はあまり来ないので、街並みからして新鮮だった。大きな駅からのびる巨大な歩道橋を降り、平坦な西大通りをまっすぐ進む。

右手には四角くて大きな建物が続き、左手には昭和記念公園があった。遠くに見える木々が三月の淡い空に切り絵のようにくっきりと浮かび上がっている。
こういう大きなものしか見えない道路を歩いていると、自分の一歩がとても小さく無力なもののように感じてしまうのは、なぜだろう。


しばらくするとIKEAが見えた。これまた四角くて大きな新しい建物にでかでかと"IKEA"の文字が書かれている。入り口にはくすんだ赤や白や青の幟がはためいていた。

2階のショールームには、あらゆる〈生活の可能性たち〉がディスプレイされていた。

ひとり暮らしのワンルーム、遊び盛りの子どものいるリビング、お洒落なグラスで毎晩乾杯するような恋人たちの食卓……部屋のように区切られたスペースに、ソファーやベッド、テーブルなどがそれぞれの部屋のコンセプトに沿って飾られている。お客さんはいくつもの部屋を眺めながら、自分がこれからどのような生活を送っていくのか想像をふくらませるのだ。

平日の午後という時間帯もあってか、家族連れの客はほとんどおらず、何組かの大学生くらいの友人同士や恋人同士が、たくさんの可能性に目を輝かせながらテーブルについてみたり引き出しを開けてみたりしていた。

私は『500日のサマー』という映画で、主人公のトムとヒロインのサマーがIKEAで夫婦のフリをしてデートを楽しむというシーンがあったことを思い出した。それはまるで起きえたかもしれないふたりの未来の可能性が、映画の観客に展示されているかのようだった。

私が前に横浜のIKEAに足を運んだのはクリスマスイブの日で、トムとサマーのように恋人と一緒だった。ショールームをゆっくりと歩いて、こんな家具が良いねと話して、レストランで299円のカレーを食べて笑い合った。
私たちは六月からきっと離ればなれになってしまうから、もうあの時間は簡単に戻ってこないような気がして、少し切なくなった。

そうだ、時間は戻ってこない。私にあるのは、無限に散らばる〈可能性〉だけだ。
まわりにたたずむショールームの家具たちが、私に口々とささやきかける。

(あなたはどんな生活をえらぶの?)

(…………)


10年後自分がどんな生活を送っているのか、まるで想像できなかった。


ふと時計を見ると、もう次の用事に向かわなければいけない時間だった。私はあわてて、足早にくねくねとした店内を進んだ。IKEAをこんなにずんずん歩く人はその時の私くらいなものだろう。

建物を出ると、あたりは少しずつ暗くなりはじめており、冷たい風が気持ちよかった。
見通しの良いだだっ広い西大通りをぼんやりと歩いているうちに、私はあることを感じはじめた。

それは、自分自身がおどろくほど街に馴染んでいるということだった。今すれちがった人は、私が少し前までIKEAでセンチメンタルになっていたことを誰も知らない。私がどんな人間で、どんなことを考えて生きているのか、誰も何も知らないのだ。反対に、私もまわりの人のことは何も知らない。街は人を一様に包み込む。

そう考えると、人間も家具も、世界を構成するすべてのものが、こうやって自然と世界に馴染んでいくような、そんな世界のことわりを感じた。

かつてIKEAのショールームで〈生活の可能性たち〉を健気に照らし出していたいくつもの間接照明も、今はもう〈可能性〉ではない〈誰かの現実〉を照らしている。
「驚きの低価格!」と値札を貼られていた全身鏡も、カゴにわんさかと盛られていたぬいぐるみも、倉庫で吊り下げられていた椅子も、みんな世界に散らばって、ひっそりと息をしているのだ。

私は人工衛星のように世界を鳥瞰し、IKEAの家具がある場所にGoogleマップで目的地を表すような仮想の旗が立つ様子を想像してみた。すると、私の頭の中でたくさんの旗がすぽぽぽと次から次へと重なるようにして現れ、私は果てしないような、可笑しいような気持ちになった。

私たちの生活は果てしないほどたくさんの要素から成り立っていて、私の人生にもまだたくさんの可能性がある。
私はこれからどんな街に住んで、誰とどんな部屋に住むのだろう。

まったくわからないけれど、その都度より良いものを選び取っていくしかない。それこそ人生って、少しずつ自分に合った家具を選んでいくようなものなのかもしれないな。

そんな少し大げさなことを考えながら、私はすべてのものが馴染んでいく世界の片隅で、小さな一歩を進めていった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?