2023年も終わりそうなので「コズミック・ジョーカー」を評価したい

私がミステリーを読み始めてからそろそろ一年くらいだろうか。
基本的に電車での移動中にしか本を読まないので読書量が少なく、現時点では有名作品でも未読のものが多い。クリスティは「アクロイド」と「そして誰もいなくなった」の二作しか手をつけていないし、三大奇書についても「黒死館殺人事件」は未通過だ。

そのため、識者からは「もっと他に読むべき作品があるだろう」とお叱りを受けてしまうかもしれないが、幼少期から邪道を歩む陰のサブカルオタクとしては、この作品は避けては通れないイニシエーションみたいなものだ。

それこそが「コズミック・ジョーカー」だ。(多くの場合はデビュー作の「コズミック」単体が槍玉に挙げられるが、私は文庫版の清涼in流水の順番で読んだので、敢えてこの表記にする)

この作品、当時はかなり叩かれたらしい。なんなら今でもバカミスの代表作のような扱いを受けている。
読めばその扱いもまあ致し方なしという内容なのは事実だが。

私の主観では、本作が批判される要因は大きく二つ考えられる。

まず一つが、突拍子も無いオチだ。この本のネタバレを気にする人間なぞ殆どいないだろうから一切の配慮を捨てると、作中において発生した殺人事件を構成する密室全てが、目撃者の偽証によって成り立っていたという主旨の解決だった。
厳密には『密室教』なる宗教の信者が密室の中で死ぬために、他の信者が協力して口裏を合わせた…的な内容だ。嘱託殺人、さらに証人も全て共犯みたいな。

うーん、これは酷い。

私は事前にネタバレ以外の悪評を踏まえて読んでいたので耐えられたが、刊行当時に期待して読み進めていた読者からすると怒り心頭だろう。
「壁に叩きつけた」「一枚一枚ちぎって捨てた」などの本の物理的な扱いについての感想が寄せられたのも理解できる。

ちなみにこれは「コズミック」の方のオチだ。
文庫版は「コズミック上巻→ジョーカー上下巻→コズミック下巻」の読み方が作者によって推奨されており、これによってジョーカーで発生した密室殺人についても全て『密室教』の仕業なのでは…という背景が浮かび上がってくる。
しかもこれ、当時は「コズミック」のこのオチを踏まえた上で、同じ世界観を共有した「ジョーカー」が刊行されたわけだが、どんな気持ちで読んでいたのだろうか。

そして「ジョーカー」の方もなかなかのオチだ。
こちらに関しては、館の中で連続殺人が発生するというお馴染みのプロットで、いったんは犯人の名前が指摘されるのだが、最終的には「犯人は誰でもいい」と締めてくる。
いや、誰でも良いはずが無いだろう。まあ、探偵以外の事件関係者が全員密室教信者だから確かに全員共犯で誰でも良いのかもしれないが。

ただ、「コズミック・ジョーカー」を通して一番最悪なのが、『トンネル効果が作用して完璧な密室が出来上がった。ゆえにこの密室は解けない。解く必要が無い。』という部分だろう。
こうも真相解明を真正面から放り投げられるといっそ清々しい。
ある意味、事前のネタバレ無しでこのオチに出会えたのはものすごく幸せとも言える。

そしてもう一つが、登場人物の名前が奇抜すぎる上に、話のスケールが大きすぎてかえって幼稚に思われたからだろう。
オタク文化が広く普及した今となっては逆に慣れ親しんだレベルだが、本作に登場する探偵の名前は全員クセが強い。
例を挙げれば『九十九十九』『竜宮城之介』などだ。意外にもこの手の苗字代表の小鳥遊はいない。

加えて、これらの探偵はそれぞれ独自の推理方法を用いており、その推理法に名前がついている。先に紹介した九十九十九の『神通理気』が特に良い例だ。

この要素がのちの西尾維新の戯言シリーズへと与えた影響は計り知れない。
その点でいえばあらゆるオタク向け設定の開祖とも言えなくはない。

それらに加えて「コズミック」では密室卿による予告状が『今年1200人が1200個の密室で殺される。誰にも止めることは出来ない。』である。
とんでもない大言壮語だ。もう少し地に足の付いた予告をしてほしい。

そして「ジョーカー」の方では、登場人物の推理作家の一人が『ミステリーのあらゆる要素を内包した総決算的な作品を書き上げる』みたいな事を言い出す始末。
その結果生まれたのが、トンネル効果によって成立した完璧無比の密室だ。

このように、本作は間違いなく”問題作”だ。
だが、良くも悪くも読了後に本の内容について語りたくなる作品は早々ない。その点においては、数々の傑作たち相手にも十分引けを取らないレベルだろう。
また、以降のメフィスト賞の方向性を決定づけ、数々の特殊ミステリが誕生する契機にもなったと評価しても過言では無いだろう。
いわば「コズミック」はミステリにおける特異点なのだ。

とどのつまり、本作に対する評価は、読者がどのスタイルで読書に臨んだかがより強く影響しているのかもしれない。
国名シリーズなどの緻密な論理を重ねたうえで犯人の唯一解を導き出す、いわゆる本格ものとして「コズミック」を読んでしまったら、あまりの結末に本を壁に叩きつけてしまうのも仕方がない。

しかしながら、『クソみたいな内容』という評価を前提として本書を手に取った私のような読者からすれば、もはや評価は伸び代しか存在しないのである。
タイトルは伏せるが、読んだうえで「これマジでつまんねえな」と感想を抱いた本でさえ重刷され、あろうことか映像化までされるこのご時世に、実質絶版な時点でたかが知れているというものだ。
ちなみにその本の方がぶっちぎりでつまらなかったが、世間的にはそれなりに評価されているので、声を大にして「この本コズミック未満」とは言い難い。

なんなら今再版されたら絶賛される可能性すらある。
「イヤミス」みたいないい感じのラベルつけて宣伝に注力すればバカ売れするだろう。今ってだいたいそんな感じだし。

余談だが、この記事を書いている現在、続編の「カーニバル」を読んでいる最中だ。
文庫版全五巻中の三巻目を読んでいるところだが、一冊一冊が百鬼夜行シリーズ並みに分厚い上にとにかく面白くない。決して面白くはないが、なぜかクセになって先へ先へと読み進めてしまう。
私もまた、JDCシリーズという密室の中に閉じ込められてしまったのかも知れない……

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