「帝国憲法の真実」(倉山満著、扶桑社新書)「本当は恐ろしい日本国憲法」のケーススタディ。-信教の自由と「地下鉄サリン事件」

本欄では、日本国憲法を通して現代史を読み解く試みを行っている。そこで何度か「帝国憲法」に触れる必要があると述べてきたことから今回は「帝国憲法の真実」(倉山満著、扶桑社新書, 2014)から、現代的なテーマの一つとして、「カルト」の問題をケーススタディとして取り上げたい。

現在日本で進行中の諸問題を理解し、今後の日本社会の在り方を占う上で理解しておかなくてはならないのが、「カルト」の問題である。カルトそのものの問題に切り込むとキリがないので、本稿では、あくまで「憲法の保障する信仰の自由」と「カルト」という切り口で論を進めたい。

今回はさらに「地下鉄サリン事件」を題材に論を進めてみたいと思う。"カルト"という意味では安倍首相の暗殺からもうすぐ一年が経とうとしている。

以前、筆者は、村上春樹著「アンダーグラウンド」(講談社文庫)について本欄で触れた。

村上春樹氏自身もオウム真理教に感じた嫌悪感を表明しているわけだが、筆者は、これも実は戦後日本、あるいは「日本国憲法」の生んだ異形な風景の一つではないかと思う。

日本国憲法に関しては、何度か触れてきたが、その特徴の一つが、「人権のハイパーインフレ」である。これと同様に、「信教の自由」も日本国憲法の第二十条"信教の自由”でほぼ際限なく認められている。

一方で、帝国憲法では、第二十八条で、信教の自由を留保を置きながら以下のように保障している。
「日本臣民ハ安寧秩序ヲ妨ケス及び臣民タルの義務ニソムカサル限リニ於イテ信教ノ自由ヲ有ス」

さて、地下鉄サリン事件という、帝国憲法では、「安寧秩序を妨げる」事件発生の後、当時、オウム真理教に(結局は見送られたが)「破壊活動防止法」などの適用が議論された。「オウム新法」や、「元オウム信者転入拒否事件」なども重要な論点であるが、一旦捨象する。

その点に関して著者の倉山氏は、以下のように述べる。

(引用)
「日本政府は、戦後最大のテロを起こした暴力団に対して、その団体を壊滅させるべくあらゆる実力を行使したのであって、宗教弾圧はしていません。」
(引用終わり)

狂信的な教団内部の様子もかなり報道されたことから、さぞかし厳しい制裁が下されたのであろうと思っていたが、倉山先生曰く、行使されたのは「テロ対策」「暴力団対策」としてであり、宗教団体としての弾圧は行っておらず、日本政府は信仰そのものは否定していないと言う。オウム真理教は解散したが、新団体「アレフ」として、同様の教義を持ったまま、活動は継続している。

倉山先生は以下のようにも述べる。

(引用)

「欧米ではオウム真理教のようなことをしたら、最後の一人になるまで根絶やしにします。火あぶりも辞さず、です。国家は信教の自由を認めるからこそ、国家転覆を企む宗教団体とは徹底対決するのです。」

(引用終わり)

本章の最後で倉山先生が結論付けるのは、

「日本国憲法が無責任な欠陥憲法だから、こういう事態を看過することになってしまうのです。」

とのことである。

「アンダーグラウンド」という作品を、興味深くしているのは、まさに東京の中枢で地下鉄サリン事件の被害にあった人々への膨大なインタビューによって構成されている事である。

もう一つ、「無制限な信教の自由」がもたらした結果として、昨年の安倍首相暗殺事件を想起せざるを得ない。本作は初版が2014年だが、それは何と、8年後、2022年の日本国の首相の暗殺の原因として、白日の下にさらされた。

ここからは推測だが、事件の一報では容疑者が元自衛官であると言うことが
報じられた。今にして思うと、「改憲」を目指していた首相が、その憲法の矛盾の象徴であるとされる「自衛隊」あるいは元「自衛官」によるテロによって襲撃されるという前代未聞の事態である。「信教の自由」と、日本国憲法下ではあり得ないはずの「テロ」が実行されてしまった。

ここにもいくつかの要素の点と点をつなぐものとしての「日本国憲法」の呪いが立ち現れているようにも思える。

紙幅が尽きてきたので本稿は以上。

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