人の死を「羨ましい」と感じた
誰かに共感してほしい話。というか誰かしらは同じ事を考えた事があるかもしれない話。
一昨年の6月、親友の後輩が死んだ。親友はひどく悲しんでいた。葬式では泣いたらしい。その亡くなったその子の親は彼以上に泣いたと思う。
これは、よくある話だろう。今はまだ20代なので、自分の同級生が亡くなった話は聞かない。だが、今後はちらほら耳にしていくのだと思う。
で、僕がこの話で何が言いたいのかというと、”誰かが死んだときに僕がどう思ったか”という事である。
結論から言うと、親友から話を聞くや否や、僕が思ったのは
「その亡くなった子、羨ましいな」だった。すごく醜い感情だった。
親友の大切な後輩が亡くなった。その話をする親友は少し涙ぐんでいた。だが、僕はそれに対して悲しいと心からは思えなかった。しいて言うならば、自分が悲しめないという事実が悲しいと感じていた。
テレビでよく見るような有名人が亡くなった時は純粋に悲しめた。それなのに、今回のケースでは痛みがほとんどなかった。体裁を取り繕い、共感している風は演出できていたと思うが、心は全く違う方を向いていた。
自分の感性に心底落胆した。どうして自分は悲しまないのかと、そんなに非情な人間だったのかと自身を認識した。すごく嫌な体験だった。
家に帰ってすぐ、その日の事を日記につけた。自分が思った事、感じた事、考えた事を全部、吐き出すように書き綴った。
数日後、それらを見返して分かったことがある。私は誰かの記憶に残りたいのだ。自分のために泣いてくれる人が欲しい。自分が死んだときに思い出してくれる人が数多くほしいのだ。だから泣いてくれる人がたくさんいたであろう後輩の死に対して「羨ましい」と思ってしまったんだと思う。
多分だけど、本当に僕が死んだら泣いてくれる人はまあまあいるんだと思う。泣いてはくれなくとも、何か思うことがある人は一定数いるであろう。ただ、僕にはその実感がない。自分が死んで泣いてくれる人は、一人いるかいないかだと心の底では思っている。この感覚の欠如は僕の人生に大きな影響を与えそうな気がする。
今回の話はかなり自分に酔っている話。悲劇を語るわけではないが、伝わる人には伝わってほしい。そしてこの記事によって誰かが救われればいいなと思う。
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