見出し画像

昔から言われてることはやっぱりそうしておいた方がいいことが多い。

ご供養やお墓の質問を時々受けることがあります。
まあ、お医者さんは健康や病気のことを
弁護士さんは法律や手続きのことを聞かれることが
多いみたいなもんですね。

わざわざ行って相談するほどではないけど
会えたらこれ聞いてみたい、みたいなのって
けっこうあると思います。

聞いてくださるのはもちろんオッケー。
でもあんまり具体的な話は立ち話では無理よー
ということもあるのでその時はご相談ください(笑)

子どもの頃飼ってたペットが死んで
庭の片隅に埋めようかという話になった時に
祖母に頑強に止められました。
「生きてる人が住んでいる家にお墓を作ってはいけない」
とその時に言われたのですね。

今までそばにいてくれた可愛いペットがいなくなって
せめて遺骨をそばにと思うのも人情。
でも「ダメなものはダメ、昔からそうなってる」
という説明は腑には落ちなかったものです。

母が亡くなった時も、父が悲しみのあまり遺骨を少し
とっておいたのですが、それも祖母にとても叱られて
四十九日にお墓にお納めするときに全部一緒に納める
と言うことがありました。

最近は宅葬や手元供養といって、ご自宅で遺骨を置いて
ご供養することも多くなってきました。
ダイヤモンドに加工してアクセサリーにするというサービスも
ありますね。

こういう方法についてお坊さんとしてはどうなんですか
と聞かれることはけっこうあります。

まず法律的なことをいうと、墓地以外の場所に埋葬するのは
法律違反になります。
ですので、自宅の一角にお墓を作ってお納めすることはできません。

でも、遺骨の状態のまま保管することは違法ではないので
このような方法をとることができるのですね。

お墓を新たに建立しようとすると、かなりのお金が必要ですし
止むを得ない部分もあるのかなと思います。

しかし、お坊さん同士で本当のところどう思う?
と話をすることがありますが、
やはり従来通りお骨はお墓にお納めして、
ご自宅はお位牌を置いて
ご供養するのがいいんじゃないのかな、
と言う人が多いです。

占い師さんや霊能系の方だと
遺骨を納めないで手元に持っていると運気が下がる、
という方も多いようですね。

悲しみのあまり手元に置いておきたい、というのは
人情としてはわかります。
しかし仏教的観点からいうとこれは形あるものへの執着。

この世界のしがらみから離れて浄土や仏の世界、
あるいは次の転生に移行しようとしている方を
こちら側に引き止める重しとなってしまいます。

もちろん、そんなことは重々わかっておられると
思いますけどね。

そもそも初期仏教の時代は、
遺体や遺骨はお釈迦さま以外はほとんど重視されず
亡くなったら川に流したり
尸林や寒林と呼ばれる郊外の林地に放棄されました。

日本でも近世以前は同様に
貴族などは埋葬して墓を造りましたが、
庶民は葬られる方もいましたが郊外の山野や河原などに
遺棄されることも多かったようです。

中国では道教や儒教の考え方によって
人は死ぬと魂と魄とに分かれ、
魂は天へ、魄は地下へ帰るとされていました。
遺体は五体揃った状態で故郷の墓に入れねばならないので
遠くで亡くなった場合はなんとかして故郷まで運びました。

お金がない人はこれができず苦労してお金を工面するお話や、
道士が霊符を使って遺体自身に歩かせることができる
という伝承が生まれたりしました。
これがキョンシーの由来の一つ。

日本でもこの魂魄の考え方はある程度受け入れられていて
遺骨や遺体は非常に強いひもろぎや依代になると
いう考え方がありました。
なので、遺体や遺骨は速やかに埋葬して鎮められねば
ならないともされていました。

これは御霊信仰と関連があるのでしょうね。

日本の遺骨を重視する習慣は純粋な仏教由来ではなく
陰陽道や道教、御霊信仰や祖霊信仰がないまぜになって
受け継がれたもの。

日本独特の宗教的心情です。

長年にわたって共通了解として共有されてきたものは
意識するしないに関わらず強い影響力を持ちます。

そして同じやり方をしてこられた向こうの世界の方達とも
共有されています。

ですので、こちらの都合だけではなく向こうの都合も
考える方がいいのかなという気がします。

自分の都合と彼岸の都合と伝統の都合を
どうすり合わせればいいのかを
考えなければいけない時代になったということですね。

まあ三方よしになるのが一番、なんですけど。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?