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畏れを知るということ。

明日はインターネットラジオの放送日。
本放送は5日の21時からBチャンネル、
再放送が6日13時30分からAチャンネルです。
仏さまなんであんな姿なの、というのを色々お話してます。

仏像や仏画のそれぞれの仏さまのお姿は儀軌にのっとって描かれていて、
実は表現の一つ一つに意味があったりしますよ。

今日は新月。そして日食だったそうですね。

以前も書きましたが、仏教では新月満月は布薩を行うとき。

本来はそのサンガ(仏道修行をする修行者の集団)に
属する人たちが全員集まって、
前回の布薩から今回までの間に戒律に反した行動があった場合
それを懺悔します。

現在の日本でも行っているお寺はありますよ。

今回の新月は皆既日食を伴っていましたが、
これまた以前書いたように中国やインドでは
日食・月食は悪い予兆。

インド神話ではアムリタを盗み飲んだところを
日と月の神に見つかって首を落とされたラーフというアスラが
それを恨んで日と月を飲み込んで日食・月食を起こす
悪星になりました。

このラーフは西洋占星術でいうところのドラゴンヘッド。
インド占星術でもその象意は重視されているそうです。

中国では日食は皇帝、月食は皇后に悪いことが
起こる前兆とされ、天変地異と同様に皇帝の徳が
欠けたことを示すともされていたので
見ないように宮殿に閉じこもるなどしていたようです。

日本でも中国の思想を取り入れて
日食月食の時は天皇は政務を取るのをやめて閉じ籠り、
陰陽寮や密教僧がその災厄を祓うための儀式や修法を
行いました。

太陽や月は人の力でどうこうすることのできない
大いなるものであるだけに、
それが欠けるということに昔の人たちは大変な恐れを
抱いたのだろうと思います。

人の力を超えたどうしようもないもの、
人の力ではどうあっても太刀打ちできないもの、
そういうものに出会った時、人にできることは
ただ祈ること。

それで運命が回避できるか、厄災を祓うことができるか
それすらも確かにもわかりません。
でもただ伏し恐れ打ちひしがれているだけではなく
人は何かに祈ったのです。

畏れを知るということは
人として限界を知り、己を明け渡して受容するということ。

畏れを知るからこそ、人智を超えたものに対して
適切な距離をとって理解し対応することができます。

人としての限界を知ることは、盲従することや
弱さや力のなさに打ちひしがれることではありません。

自らの限界を明確に知ったら、そこからの距離を
正確に測れるようになります。

自分の限界を知るからこそ、そこを越える智慧を
学んで超えていきたいと意志することができます。

限界を知り、分をわきまえ、尊敬を持って真摯に行動を始めましょう。
如実に自心を知るための、それがはじめの一歩です。

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