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妙音。

大学では僧侶になる人の必須科目というのがあって
それは「法式」「常用経典」「布教」そして「声明」。
これは毎日のおつとめの中でも常に使うので、
何をおいても履修しておかないといけません。

声明はこの年になって初めて習うものの一つでしたが、
音楽好きでほんとによかったなーと思いました。

昔取った杵柄はけっこう役に立ちます。

僧侶は戒律では歌舞音曲を楽しんではいけないことに
なっているのですが、法会には鈴や鐘や鐃(にょう)、鉢、太鼓
といった楽器がつきもの。

仏さまの世界では仏さまを讃えるために常に天女が
いろんな楽器を奏しているのですが、そのさまを表しているわけです。
宗派によっては雅楽を用いるところもあります。

そして声明。
仏さまを讃える内容の漢文やサンスクリット語の文章に
一定のメロディをつけて読むものですが
RPGでよくある呪文の詠唱みたいな感じでなかなか面白いのです。
真言宗と天台宗では違うメロディなのも興味深いです。

真言八祖のお一人、不空三蔵は音曲に長じていたと伝えられ、
お大師さまも唐では梵字梵讃を熱心に学ばれたということです。

声明は梵唄とも言われますが、梵唄は魏の曹植が
山東省魚山で梵音を感得して梵唄を創作したという伝承があり、
「魚山声明」と称する声明の起源とされています。

魏の曹植は三国志の曹操の息子で、非常に優れた詩才がありましたが
政治的には不遇でした。
魚山は彼が墳墓の地に選んだとされるところ。
この説話は曹植が仏教に心を寄せていたということを
匂わせているのかもしれません。

声明の達人で以前人間国宝になられた方もいらっしゃって
声明も芸能や音楽のカテゴリーに入っていますが
宗教音楽はやはり宗教あってのこと。

最近はコンサートなどで声明を聞くこともできますけど
(最近はコンサートもあんまりないですね…泣)
初めて舞台の上で声明やって、と頼まれた時は
侃侃諤諤の議論になったそうです。

ですが、当時の声明の第一人者のお坊さまの
「本尊は寺でなくてもいると思えばいつでもそこにいらっしゃる」
という一言で舞台の上での声明が実現したとのこと。

本来声明は仏さまを讃嘆するものであり、お香やお花、
瓔珞や幕などとともに、ご本尊のいらっしゃる場を音で
荘厳するものとも言えます。

先日ちょっと書きましたけど。

大きな法会では、声明は不可欠。その法会の時にだけ使われるものも
あったりしますし、祭文といってご本尊に今日の法会の趣旨を説明
したりする文章も声明にしてお唱えすることも多いです。

ですので、声明ももちろん阿闍梨さまから直接つぶさに
伝授していただく必要があります。
「またかいな」とお思いでしょうが、それが密教ですので(笑)

なので耳コピしたりどこかで音源を入手してお唱えするのはNG。
行中も勝手に練習してると叱られたりしました。

何人かの先生に声明をご指導いただいていますが、
それぞれ個性が出ていてすごく勉強になります。

声明はハーモニーはなくユニゾンで、個性を出すための
音楽ではもちろんありません。
それでもその人の個性がにじみ出るのがすごくいいです。

高野山の大きな法会で金堂のような大きなお堂でも
声とその音の色合いで、あ、あの先生がおられる。
と思うことがあり、お年かさの阿闍梨さまでも
つややかな素晴らしい声で若い僧侶たちが何十人かかっても
太刀打ちできない響きをお聞かせくださいます。

音の荘厳はその時その場に居合わせた人だけが
経験することのできるもの。
何かの時にはぜひ実際に体験しに行ってみてくださいね。

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