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11月地蔵会終了です。

寒さが足早に近づいてきて、水も風も冷たくなってきました。
そろそろ外出する時には手袋が欲しくなります。
お地蔵さまもあったかい所に集まっているのかな?

今月の地蔵会も無事終了。
施餓鬼供養の施主さまには引き続きあと3日間
お勤めよろしくお願いいたします。

地蔵会祈願の施主さま、また無料祈願にご参加の皆さま、
今月もありがとうございました。
気づいたことがありましたらご感想等いただけると嬉しいです!

祥鈴庵でお祀りしている仏さまは
好きだなと思う方が中心なのはもちろんなのですが、
なんでこの組み合わせかなあと思うことがたまにあります。

例えば今日はいつもお地蔵さまのご供養と共に
愛染明王のご供養も行うのですが、
なんでそうすることに決めたのか自分でもよくわからないんですよ。

ただやってるうちに、やっぱりこれでよかったんだな
と思うようなことが色々起こってきたりするので
今はわからなくても多分なんか意味あるんだろうな
と思って行っていたりします。

今日の地蔵会はとても静かな感じでずっと修法していたのですが、
お地蔵さまがあるところでふと
「小さなものを大事にしなさい」
という感じのことをおっしゃったような気がしました。

小さなもの。
これは文字通りに子どもや動物などの自分よりも小さいものを
大事にするということももちろんですが、
大したことない、些細なこと、というものでもあるようです。

大きな物語よりも小さな等身大の物語り。
遠くの特別なものではなくて近くのごく当たり前のもの。
立派なものではなくて普通のもの。
すごく大変なことではなくて、とても簡単なこと。

大きくて特別で立派なものを人は求めますし、
それはそれで意味のあること。
でも、小さくて当たり前で普通のものにも
同じように意味があります。

子どもの時宝物にしていたきれいな石やつやつやのどんぐり、
蝉のぬけがらや浜辺で拾った小さな貝殻。

それはごく普通でどこにでもあって小さくて
珍しくもないものですが、それを集めて大切に
しまっておいた子どもにとっては、それは
どんなものよりも大切できらきらした宝物です。

小さな頃の憧れを忘れないで追いかけて
大人になってその憧れを現実のものにした人の物語に
誰もが心ひかれるのは、誰にでも心にしまっている忘れがたい
宝物があるから。

それははじめはとても小さなものだったはず。

幼い子どもが拾い上げて満面の笑みで差し出して
見せてくれる何か小さなものを、
お地蔵さまが歩みを止め膝をついて見て微笑まれるのを
見たような気がします。

この世のなんの変哲もないものに美しさを見出し、
それを誰かと分かち合い、心が暖かくなるような笑みや言葉を交わし、
そうやって胸の中が明るく暖かくなった人たちが作る
さらに大きな、さらに立派なものはとても素晴らしいものに
なるのではないかと思います。

心の中に温かい灯火をともし、
光で周りを明るく暖かくできるように。

まず自分がそうなることから
世界を利益することを始めればいいのかな、と思うのです。

お地蔵さまは子どもや動物がお好きで、彼らを常に慈しんで
おられます。

お地蔵さまは六道を遊行して地の底で苦しんだり悲しんだり
しているものを憐れんで救います。

お地蔵さまの胸の中で明るく輝く灯火。
それが慈悲。
そして同じものは私たち自身の胸の中にもあるのです。

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