見出し画像

どんどん大きくなってきて。地蔵会のご感想その14。

本日で地蔵会の行事は全て終わりました。
夜は施餓鬼供養も行いました。
施主さまにはおつとめありがとうございました!

日中は暑かったですが、朝夕はまだ肌寒いです。
なんとなく今年は暑さと寒さのメリハリのついた
それぞれその時期らしい気候だなという気がします。

観光の方もちょっとずつ増えてきましたが、
気候も観光の楽しみの一部かもしれません。

見るものも体験も体感も、十分楽しんでいただけたら
と思います。

極楽橋駅の天井絵、たまにはゆっくり見ると楽しいです。

地蔵会のご感想いただきました。ありがとうございます!

「こんにちは。
 地蔵会いつもありがとうございます。
 おつとめも楽しく続けています。
 安心できる気がするのがいいですね。

 質問です。
 おつとめをする時に、
 最初は気に入ったお地蔵様の写真を
 置いていたのですが、
 慣れてきたので近頃は
 お地蔵様を思い描く形で行っていました。
 
 そうやっておつとめを続けているうちに、
 イメージの中のお地蔵様が
 どんどん大きくなってきて、
 先日は大きすぎて一部しか見えないくらいに
 なりました。

 これはいいんでしょうか?
 適度な大きさになるよう意識するべきでしょうか?

 どうぞ教えてください。」

ご感想とご質問ありがとうございます。
安心するというのは何よりです。
そう言っていただけると嬉しいですね(^人^)

思い描いているイメージが大きくなるというのも
非常に興味深いご質問です。

イメージの大きさが変わるというのが
いいかどうかは一概には言えないのではないかな
と思います。

なんとなく大きくなるのはいいような気がしますが、
あんまりそういうところに意味を求めすぎないのも
重要ですし。

スピリチュアル系の方などがよく、
「お参りをすると神仏のお力が増す」ということを
言われていたりしますが、その辺の連想もあるのかなと
いう気がします。

確かにお参りの方の多い神仏は
お力が強くなる感じはありますので、
ご自身のイメージの中のお地蔵さまもそのように、
なんというか育っていくことも
あるのかもしれません。

大きくなったお地蔵さまをみて、どんな感じでしたか?
とお尋ねしたところ、
「抱かれてて近すぎて見えない感じです。
 感覚としては、リラックスしてほっこりしているので
 気分は悪くないです」
とのことでしたので、特に大きさや一部しか見えない
ことには問題はないと思います、とお答えしました。

全体像を見たいな、と思ったときにそのイメージが
描ければそれで十分。

大切なのは、お地蔵さまとつながっている実感が
持てているかどうかということ。

こういうおつとめを行う時の観想で
イメージが見えることがすごく必要で重要か
というと、それほどではありません。

「観想」という言葉はどうしても
ビジュアル優先な感じを抱かせますけどね。

五感の感覚は人によって得意不得意がありますので
見えにくくても悲観する必要はないです。

お大師さまは「弘法大師」という諡号を
延喜21(921)年に醍醐天皇からいただきますが、
その時下賜された御衣を
東寺長者の観賢僧正と弟子の淳祐という方が
高野山へ届けに行かれました。

その時、観賢僧正はお大師さまのお姿を拝することが
できたのですが、淳祐は拝することができず、
観賢僧正が手をとってお大師さまのお膝に
触れさせてくださったので、
お大師さまの温かさは感じることができました。
そして、その手にはいつまでも消えない香りが残った
ということです。

これは、淳祐の修行がまだ進んでいなかったから
お大師さまのお姿を拝することができなかった
という考え方もできるのですが、
もしかしたら淳祐さんは、見るよりも暖かさや香りを
感じる方が得意な方だったのかもしれません。

ご自身の中に育ったお地蔵さまのイメージ、
抱かれているかのようなお地蔵さまとの近さ、
その感覚を大切にして今後のおつとめの糧と
してくださいね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?