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何のために読むのかということ。

5日は弥勒菩薩のご縁日。

弥勒菩薩は兜率天におられますが、

兜率天は欲界の第四天。

感覚的物質的に快い世界で、

満たされた状態でいられるところだそうです。


そういう快い世界で、弥勒菩薩とその眷属たちは

修行しているのですね。

白い花はさわやか。


真言宗のお寺で日々の勤行の時には

ご本尊の前で理趣経が読まれることが多いです。


理趣経は真言宗の根本経典である金剛頂経系の経典。

以前少し書いたことがありますよ。

お経を読みたいという方から読み方などについて

ご質問を受けることはよくあります。


しかし、たまに聞かれて困惑する質問もあります。

それは

「こういう場合はどのお経を読んだらいいんですか?」

という質問。


「こういう場合」というのは、

何か怪しげな雰囲気になった時とか

妙に体調が悪い時とか

金縛りにあった時とか

そういう場合(笑)


いわゆる霊障的な?


私も以前書いたことありますね。

とはいえ。

お経はそういう対症療法的なことに使うものではありません。


こういう場合はこれを読む、というよりは

ご本尊がこの方なのでこのお経を読むという方が一般的。


ご本尊の威力を信じてご祈願をして、

ご法楽として読誦していると考えた方が適切です。


あるとしたら、拝み屋さんや霊能力者の方などが

ご自身の体験の中から、あるいは師伝によって

経験則的に使っておられるのかなと思います。


読誦されるお経の内容というのは、基本的には仏さまの説法です。

お唱えすることによってそれが法界に回向されます。


経典をご本尊に向かって読誦するのは釈迦に説法じゃない?

と聞かれることもありますが、これは

ご本尊の前で「私はこの説法を聞いて良いものだと感じ、

心に留めておきたいと思いますから

御前で繰り返させていただきますね」

という気持ちで読んでると思うといいです。


小学校の国語の時間に、教科書を順番に一人ずつ音読する

ということをしたと思いますけど

あれみたいなもの、と思うと近いかな。


仏さまの前で毎日お経を読誦していると

きちんと読むことができるようになって、

内容もなんとなく読むたびにわかってきて、

自分の声で音声として耳に入ってきます。

なので、何よりもまず読誦している自分のためになります。


あなたがあなた自身にとって良いことをしていると

仏さまにも喜んでいただけます。


お経を読んでいる時近くにいる人や動物も

自然にお経を聞くことになります。


お経を読んでいると、家で飼っているペットが

その部屋にやってきてくつろいだり

まるで一緒にお勤めをするように後ろに座っていたりする

というお話もしばしば聞くことがあります。


動物は自分でお経を読むことができませんが、

聞くことで利益を受け取ることができると言われてますよ。


経典を読誦することは、

読む人にとっても聞いた人にとっても功徳の積まれること。

なので、お経を読むとそれを聞きたい目に見えないものも

やってくる、と言われることがあります。


古来お経はご供養に読誦されることも多かったので、

そういうものだという共通了解があるのも集まる理由。


聞きたいものがいるなら聞かせてあげてください。


お経を読むのは自行でもあり化他行でもあります。

ご本尊に帰依し経典の功徳を信じて読むからこそ

その意味があります。


なのでまずは、これと思ったお経に深く親しんで

いくのが良いのではないかなと思います。


以前、仏さまとの関係についての記事でも書きましたが。

やはり広く浅く、ではなく狭く深く、の方が

この業界ではいいことが多いような気がします。

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