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聞くべきは人の声。

最近、カナカナ鳴くセミの声が聞こえるようになって来ました。
このセミはひぐらし。
秋のイメージが強いですが、実は6月から9月までと長期に渡って
鳴くセミで、特に秋限定というわけでもないとか。

ちなみに高野山ではこのセミが一番に鳴きだすそうです。
初めての夏を高野山で迎え、初夏にひぐらしの声を聞いて
思わず「秋みたい…」というと、
高野山生まれ高野山育ちの院生仲間が
「僕はこの声聞くと夏がきたなあ、って思うんですよね」
と言って、そのことを教えてくれました。

いろんな土地のいろんな思い出。
それぞれの感覚の違いも話してもみると興味深いものです。


あるお寺の管長猊下から、
仏さまのご意思は、人とのつながりや人の言葉を通じて現れてくるもの。
それにちゃんと気づけるようになりなさい。
と教えていただいたことがあります。

仏さまとつながる、
仏さまからのメッセージを受け取る、というと
不思議な感覚でそれを受け取ると思う傾向が
強いと思うんですけど
それは実はちょっとバイアスがかかった考え方。

特殊な感覚でその声を聞くとか何かをみることを
求めすぎるのはけっこう危ないです。

というのは、人の感覚というのは人それぞれのバイアスが
必ずかかっているからです。
そして、自分自身はそれに無自覚です。
なぜなら、それが自分にとって当たり前だから。

一番わかりやすいのは味覚。
同じものを食べても甘味を強く感じる人と
酸味を強く感じる人がいて、
その料理に対する表現が違ったりすることは
よくあること。

時々、感覚についてよくよく親しい人と話し合ってみると
思いの外違いがあって驚くことがあると思います。

耳で聞こえる周波数の範囲も人によって違って
ある年齢以上の人には聞こえない音があったりしますし、
目で見ているものはほとんど脳で修正がかかっていて
周辺視野の部分はほとんど実際に見ているものではない
という研究もあります。

わたしたちは外界の情報を五感を通して受け取っていますが、
リアルタイムに感じていると思っているその五感ですら
本当に客観的で他の人と共通認識を持てるかというと
そういうものでもありません。

だからこそ霊的な超感覚が信じられるのでは、と
思ってしまうのですが、この感覚も実は五感の延長にある
ものであり、五感の持つバイアスを同様に持っています。

この世界の情報を受け取る感覚器は、
眼なら光、耳なら音、というような受け取るべき刺激に
対しての反応の精度が最も高いので、
それ以外の刺激に対しては、反応したとしても
誤作動といってもいいかもしれません。

多くの幻視者や神の声を聞いたという人が
精神病を疑われるのは、そのメッセージが本当に
神からもたらされたものなのか、精神の不調による
感覚の誤作動なのかが当事者にとっても周囲の人にとっても
はっきりとはわからないからです。

神仏は伝えることを誤解されたいとは思っておられないので、
知らせたい時にはわかりやすく伝えてこられます。

一番わかりやすいのは人を通じて伝えること。

その人の周囲のいろんなチャネルを通して表現し、
その人の認識で多重的に受け止められることによって
その人にとって意味のあるメッセージとしてくっきり現れます。

情報評価で大切なのはダブルチェック、トリプルチェックが
できること。

幻視やお告げも同じです。
リアルな感覚によってもたらされた
別ルートの情報で補強されることができれば、
その確からしさに信頼が置けるでしょう。

ですので、まずは周りの人の声に耳をすませましょう。
その中に浮かび上がってくるものに目を凝らして、
常にそこに現れている神仏の思いを汲み取ってみてください。

そして、自分と違う考えの人と話すこと。
たくさんの違う視点から映し出す時、今まで見たことのない
新しい何かがあぶり出されてくるかもしれません。

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