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【社説】ミッシェルはいつになったら桂から逃れられるか?

 3月19日深夜2時12分、いきなりこのようなことをミッシェルが言い出した。

 これはミッシェルが個人会見室で以下のように突然言い出し、その後始まった論争による結果だと思われる。

 本誌が桂や特定の人間のために行動している気はさらさらないがどうやらミッシェルには敵対行為をしていると思われたらしく公認メディアの資格を停止されるかもしれないことになった。

 そもそも突然真夜中にちょっと話題になったからと言って公認メディア資格を止めようとするのは場当たり的としか言いようがない。さらに画像を見てもらえば分かるが、話が始まってから公認メディア資格を審査されるまで00:55~02:12の1時間17分しかない。あまりにも早すぎる判断、ミッシェル主義ここに極まれりと言ったところだろうか?

 国会を通さずに新規約を発表したり批判されたらいきなり辞職して、でも大統領代行として権力を握っているなど最近のミッシェルの行動には少しため息が出ると言って仕方がない。

 本誌は現状ミッシェルに対して批判的な論調を取っていることは事実だ。だが、だからと言って完全に非難一色かと言われればそれは違う。ミッシェルがTwitter国会の基礎を作った功績は認めているし、作り上げるまでの開発独裁は認めてきた。
 しかし、もう国会も出来て裁判所も出来ているのにいつまでたっても権力に固執して他人をないがしろにする姿勢はTwitter国会のためにならない。

 ところでミッシェルは「空想国会やかつら派への利益を供与する報道を繰り返す」として本誌を審査にかけた。だが本誌がそうした報道をしたことが果たしてあっただろうか?唯一を思いたる節があるとすれば空想国家はメタバースでやるべきだと説いた記事だが、あれは当然のことながらTwitter国会やネット国会も含まれる。

 他にも提言を張るべきではないなどと言ってきた。しかし、それはTwitter国会に関さないことであるならば貼るなと言うことだろうか?何を言っているのだろうか?Twitter国会だけでメディア運営など到底できるわけがない。現実を見るべきだ。

 さらに押風氏に寄稿を許したことを批判しているが、何度も言う通り本誌はいかなる人物であっても寄稿を許している。それが表現の自由であり、いやなら反論文を書けばいいのだ。当然本では受け付けるし、それこそが用言の自由である。

 ついにはメディア宣伝室にあった押上氏の寄稿を一方的に根拠なく削除しただけではなく、公認メディア資格を剥奪した後には容赦なく訴追すると言ってきた。

 規約違反と疑われることをしなければと言うが自分で規約を作って自分で訴えて自分で判決を確定させるミッシェルならばその規約違反の基準がどんなものかは察するまでもない。

 さらには自分が訴えられた際には他の裁判官に任せるなどをするのではなく自分でさばいて無罪にするという荒業を見せつけてきた。
 そして本誌編集長の丸山紡がミッシェルの最高裁判所長官職を罷免する決議案を規約に則って出した際には5日間何の音沙汰もなくいきなり投票を始めたかと思えば13時56分後には投票を締め切り賛成10、反対1、棄権4の賛成少数によって否決された。

 否決について提案者の丸山紡は「あきれて言葉すら出なかった」と答えている。

 暴走を始めた機関車ミッシェルは一体どんな終着駅を目指しているのか?

 それは本人にしか分からないが、今のままでは確実に悪いことになるということは明白だ。

 今重要なのは批判者=桂というスティグマを止めて物事を多面的な目で見ることだ。

 そしてここで宣言するが、本誌はいかなる人物にも一切屈しない。
 蘋果日報のようにどんな壁の前でも決してペンを折りはしない!

 文責:丸山紡

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