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私と対人恐怖

以前の私は、かなり苛烈な人間観を持っていた。
・人間は、自分とその仲間の利益しか考えない
・人間にとって他者は、自分が利益を得るための手段である
・人間は、自分たちの物質的、精神的利益のためなら他者をあらゆる手段で容赦なく攻撃する
・人間が協力できるのは、協力が相互の利益になるときだけである
・利他的な行動をことがあったとしても、それは見返りを得るためか、周りからの評判を良くするためか、優越感に浸るためである

一方で、このような人間観に従って行動することは悪いことだとは思わなかった。むしろ、社会的に(建前上はともかく、本音として)望まれる正しいあり方なのだと思っていた。
このような人間観のもと強く生き、勝ち抜いてきた人々が「成功者」として賞賛されていたからだ。
「利他的な成功者」がいることも知っていたが、そのような人は「利己的な成功者」の攻撃が通じないほど並外れて強いのだと思っていた。

利己的になり切れず、強く生きることもできない私は間違っており、無力で無能な存在なのだと思っていた。

自分は無力で無能だ

人間は自己利益のために他者を攻撃する

人間は無力な自分を狙う

人間は脅威だ

という流れで、私は対人恐怖にさいなまれてきた。

対人恐怖が強かった時代の私は、こんな感じであった。
・言うべき用件を言えないまま逡巡し続ける
・行ったことのない店に入りづらくてその前を何往復もする
・自分の好きなものを言ったら「なんでそんなものが好きなのか」「年齢相応でない」「かっこ悪い」と笑われないか心配で言えない
・スピーチなどはうまく話せないので避ける。絶対に避けられないときは何日もかけて原稿を丸暗記することで対処。
・何かの拍子に何かの拍子に他人の機嫌を損ねたら、その人は自分以外の全員を味方につけ、あらゆる手段を用いて攻撃してくるだろうと考えていたので、他人に従う以外の方法がない。


相手に利益がある関係では相手も協力的になると理解すると、そのような場合は恐怖は小さくなっていったが、相手に何かを頼む場合など、そうでないときはとても恐ろしかった。

現在の私は、人間が自己の利益を考えずに親切を働くこともあるし、自分はまったくの無力で無能ではない、とはまだ完全に信じられないが、少なくとも信じようとしている。

まだまだ道のりは遠い。

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