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現実的に架空蒸気機関車!仮称D53(運用編)

前回までの基本編・改善編が未読の方はこちら↓

前回までの記事で、架空蒸気機関車「D53」の要目について設定した。今回は実際にD53が製造されていたとしたら、どのような活躍ができたのかを考えていこうと思う。

設定投入路線の選定

「鉄道辞典」上巻950ページ添付資料に、1958年時点での線路種別(路線のランク)を示した地図があるので、これを参考に投入路線を決めることとした。
「鉄道辞典」はインターネット上に公開されており、自由に見ることができる。
https://transport.or.jp/tetsudoujiten/

ただし、線路種別はおおまかな目安であり、必ずしも実態を反映していない。例えば、東北本線は甲線でありながらC62の投入にあたり軸重軽減を行う必要があった一方、呉線は乙線でありながら軸重軽減なしでC62を運用できた。

D53が運用できるのは、乙線以上の路線である。そのうち、D53投入の必要性が小さい路線を除外していく。

・平坦かつ直線的な路線で、C62、C57などで十分事足りる
東海道本線
常磐線
高崎線
北陸本線・信越本線(福井〜新潟) 
羽越本線 
鹿児島本線(門司〜熊本) 
室蘭本線 

・急勾配区間が多く、旅客列車でもD51等の貨物機を使うのが適切
中央本線 
北陸本線(米原〜福井)
信越本線(高崎〜直江津)
奥羽本線 

・D53を入れるほどの輸送需要がない
関西本線
山陰本線 
鹿児島本線(熊本〜西鹿児島)
日豊本線 

こうして残ったのが以下の路線である。
山陽本線 
東北本線
長崎本線
函館本線

このうち、函館本線の小樽以北は大型機(C59、C60、C62、D52、D62)の運用実績がなく、長崎本線、東北本線の盛岡以北もC60しかないので、実際に運用できたかは明らかでない。
今回の考察では、輸送需要が多いところを優先し、新製時は山陽本線と東北本線(上野〜盛岡)に投入することとした。

設定投入区間の選定

山陽本線と東北本線といっても、どちらも長大路線であるため、重点的に投入する区間を選ぶ必要がある。
D53がC57やC62より活躍できるのは、
・カーブが多く、頻繁な加減速が必要な区間
・勾配が多く、牽引力が必要な区間

である。
このような区間では最高速度が高くてもあまり意味がないので、加速や牽引力に優れる一方、高速性能に余裕がないD53の特性に合致している。

このような区間を調べるため、時刻表を用いることとした。区間の距離を所要時間で割って得られる平均速度(鉄道業界では表定速度という)を比較すれば、カーブや勾配の多い区間は表定速度が低く出るはずだ。
1950年前後の時刻表が手元にないので、今回は1964年9月(東海道新幹線開業直前)の時刻表を使うこととする。この時点で一部の区間は電化され、気動車の導入も始まっているが、各線区のおおまかな傾向を知るには十分であると思われる。

検証に用いた列車は
東海道・山陽・鹿児島本線(検証区間 東京〜博多)
特急第1つばめ(電車 東京〜広島)
特急みどり(気動車 大阪〜博多)
特急さくら(機関車+客車 東京〜長崎)

東北本線(検証区間 上野〜青森)
特急つばさ(気動車 上野〜盛岡・秋田)
特急はつかり(気動車 上野〜青森 常磐線経由のため、検証区間は仙台〜青森)
急行八甲田(機関車+客車 上野〜青森)

で、いずれも下り列車を用いた。
検証結果は以下のとおり。


まず山陽本線だが、「第一つばめ」は岡山までは表定速度80km/h以上と快調に走るが、岡山~広島では速度が下がっている。「みどり」「さくら」は、広島~下関で岡山~広島よりもさらに速度が低くなる。

次に東北本線だが、「つばさ」「八甲田」を見ると、黒磯〜仙台で表定速度が低い。「八甲田」に至っては、この区間は電気機関車牽引であるにもかかわらず蒸気機関車牽引区間の仙台~盛岡より遅い。
この結果を踏まえ、重点投入区間は
山陽本線 岡山〜下関
東北本線 上野〜仙台

とした。

牽引列車の選定

加速と勾配性能に優れたD53は、この2路線で存分に活躍できそうであるが、ここで立ちはだかるのが前回までに取り上げた航続距離問題である。
蒸気機関車はディーゼル機関車と比べるとどうしても燃費が悪く、頻繁に水と石炭の補給を必要とする。例えば、C62牽引「はつかり」では、上野〜仙台(常磐線経由)で2箇所で停車し、水や石炭の補給を行っていた。仮に航続距離の短いD53をこの運用に投入したら、もう1箇所停車して追加の補給を行われなければならなくなるかもしれない。
鉄道の歴史に詳しい方にとっては常識的なことだろうが、1950年代までの特急はまさに「特別な急行」として別格の存在であり、安易に停車駅を増やすようなことは容認できなかった。料金も非常に高額で、当時特急に乗っていたのは富裕層か、そうでなければ内田百閒先生のような奇特な者のみであり、一般庶民にとっては、急行さえ贅沢なものであったのだ。
この点から言うと、できるだけ停車駅を減らしたい特急にはD53は向いていない。しかし、停車駅の多い急行や普通では加速力を活かし活躍できるだろう。
そして、D53の加速力の高さは、D53が牽引しない特急にも利益がある。普通が特急の頭につっかえることがなくなれば、特急がより高速で走れるようになることは、阪神電車の例でよく知られていることだ。


その後のD53について妄想してみた

こうしてC62に少し遅れ、1948年と1950年に製造されたD53は、山陽本線では特急運用をC59、C62に任せ、岡山以西で急行や普通、急行貨物の運用にあたることになった。なお、ドッジ・ラインの影響で1949年の生産はない。
また、東北本線では当初こそ優等運用に投入されたが、東海道・山陽本線の電化が進むにつれて余剰になったC62や、C59から改造されたC60が転入してくると、普通列車での運用が中心になった。(史実ではC62は新製でも東北本線に配置され、東海道・山陽本線の余剰車は北海道に転出)

1961年、東北本線が仙台まで電化されると、東北本線のD53は仙台〜盛岡に移り、この線区のC60を置き換えた。
1964年、山陽本線が全線電化。
1965年、東北本線が盛岡まで電化。
1967年、常磐線が全線電化。
1968年、東北本線が全線電化。
このころになると蒸気機関車時代の終わりは間近に迫っていると広く認識されるようになり、蒸気機関車が走る路線にはファンが詰めかけるようになった。
D53も、最後の蒸気機関車王国・北海道へと向かう。

D53の終焉

北海道に転属したD53は、勾配が多く、牽引力が要求される函館本線の長万部〜小樽、通称「山線」に投入され、そこで現役を終えることになるだろう。
こんなことを書くと全世界のシロクニファンにぶん殴られそうでとても恐ろしいのだが、今なお伝説の列車として語り継がれる「急行ニセコ」は、C62ではなく、D53の重連によって牽引されることになっていたかもしれない。

参考文献

齋藤晃「狭軌の王者」2018年 イカロス出版

高橋政士、松本正司「国鉄・JR機関車大百科」2020年 天夢人

日本国有鉄道編「鉄道辞典」1958年 日本国有鉄道

JTBパブリッシング編「時刻表 完全復刻版 1964年9月号」2020年 JTBパブリッシング

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