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1970 昭和45年【山岳部大全#3】

植村直巳エベレスト登頂
3月 よど号ハイジャック事件
11月 三島由紀夫割腹自殺

この45年度という年は恐らく山岳部史上一番わからない年です。というより、この年はワンゲルだったのか山岳部だったのかも分からないのです。初代にして「万年顧問」タカハラ先生はこの年について「山岳部の前身…ワンダーフォーゲル部(45年度)」という書き方で45年度はワンゲルだったと書いています。タカハラ先生の「山岳部の歴史」という資料は53年度の終わりに書かれたものだと思われますが、実はこのタカハラ先生は46年度、つまりこの翌年に国分寺高校に赴任された方なのでこの記述に関しては人から伝え聞いたものを書いたということになるはずです。一方、45年4月に入学した2回生のツルカミさんは1回生のうちは、1年生のうちはバスケ部と陸上部を掛け持ちし、2年生になった46年度の4月頃、同じく2回生のドバシさんとホサカさんから「ワンダーフォーゲル部に入部しないか」と誘われて入部し、その後1年生(3回生)と一緒に名前を山岳に変えたというのです。これではつまり46年度までワンゲルは存在したことになります。45年度中に山岳部が作られたというタカハラ先生の文章と必ずしも一致しません。ここで先ほどの「44年度生徒会,クラブ活動のまとめ」を読むとますます分からなくなります。ここには「45年1月30日ワンダーフォーゲル部、山岳部と改名」とあるのです。もし本当にこの日付に改称したのならワンゲルは1年間も続かなかったことになります。しかしそれではなぜこの時(45年1月)には入学していなかった。2回生がワンゲルの名を知っていたのかということになります。またこの「まとめ」が書かれたのはS45年3月23日となっていますからもしツルカミさんのいうように46年の4月以後に山岳部と改称したのなら、なぜそれよりも早くその名を使っていたのかということにもなるわけです。しかも「まとめ」は、生徒部の正式な文書であるのでその信憑性を疑っても始まらないのです。自分が顧問になった時は山岳部だったというタカハラ先生と、自分たちが山岳部に名前を変えたという2回生と、44年度には山岳部になっていたという生徒部の資料と会計報告。よく分からなくなってしまいました。

『山岳部大全』は、責任編集 小管聡一郎と発行者 田上幸太により1996年に刊行された文集に、個人情報についての配慮を加えた2024年版です。

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