国分寺燕稜会

東京都立国分寺高等学校山岳部OBOG会公式noteです。山岳部OBOG会活動について発…

国分寺燕稜会

東京都立国分寺高等学校山岳部OBOG会公式noteです。山岳部OBOG会活動について発信します。 よろしくお願いします。 お問い合わせ先:enryokai.kac1971@gmail.com

マガジン

  • 山岳部大全

    編集責任 小菅聡一郎・発行者 田上幸太『山岳部大全』(1996)の2024年改訂版です。

  • 国分寺高校山岳部山行報告(2024)

    東京都立国分寺高等学校山岳部の山行報告リンクをシェアしています。

  • 燕稜会

    国分寺燕稜会の概要、活動について紹介しています。

最近の記事

  • 固定された記事

国分寺燕稜会を設立しました。

都立国分寺高校山岳部卒部生の皆様 都立国分寺高校を愛し応援するすべての皆様 山岳と登山を愛するすべての皆様 2024年5月5日、東京都立国分寺高等学校山岳部卒部生によるOBOG会活動のプラットフォームとして「国分寺燕稜会」を設立しました。このnote公式アカウント設置をもって本会のスタートをお知らせいたします。 都立国分寺高校山岳部は、1969年に国分寺高校が設置された後1971年に本格的に活動を開始していることから1971年を創部と考えますと、2024年で53年に渡って

    • 1973 昭和48年【山岳部大全#6】

      1月 ヴェトナム和平協定成立 アメリカ撤退 10月 第4次中東戦争勃発 オイルショック  この年もパイオニア精神あふるる1年でした。部長のナカガワさんは生徒会長もやった方で、山岳部の食事をおいしくした人と言われています。まず新歓では合流山行の形式を取り、山のゴミ拾いを兼ねました。次は6月に沢行を行いました。つまり沢登りです。山岳部史上唯一の冒険の結果、山岳部史上初めての事故があったようです。どうも雨のための増水が原因のようですが「某さん

      • 国分寺高校山岳部 R6第5回山行 夏季合宿

        都立国分寺高校山岳部の令和6年度第5回山行 夏季合宿報告はこちら。 https://www.metro.ed.jp/kokubunji-h/activities/2024/08/r6_4.html 国分寺燕稜会は都立国分寺高校山岳部現役部員の皆さんを応援しています!

        • 都立高校山岳部を応援しよう。

          今日は山の日(8/11)です! 燕稜会の母校である都立国分寺高校の山岳部をはじめとして、山岳部のある都立高校を調べ、学校ホームページのリンクを集めたポータルサイトを作ってみました。 山岳、アルペン、登山、ワンダーフォーゲル、トレッキング、ハイキング部・同好会の学校ホームページのリンクや、各校山岳部のX、instagramなどのSNSアカウントを掲載しています。 (2024/8/11山の日現在。随時更新予定。) 【全日制高校・定時制高校】 青山高校 アルペン部 学校ホーム

        • 固定された記事

        国分寺燕稜会を設立しました。

        マガジン

        • 山岳部大全
          7本
        • 国分寺高校山岳部山行報告(2024)
          5本
        • 燕稜会
          7本

        記事

          国分寺高校山岳部 R6第4回山行

          都立国分寺高校山岳部の令和6年度第4回山行報告はこちら。 https://www.metro.ed.jp/kokubunji-h/activities/2024/07/r6_3.html 国分寺燕稜会は都立国分寺高校山岳部現役部員の皆さんを応援しています!

          国分寺高校山岳部 R6第4回山行

          1972 昭和47年【山岳部大全#5】

          2月 連合赤軍浅間山荘事件(19日) ニクソン訪中 5月 沖縄返還 7月 田中角栄内閣成立 列島改造始まる 9月 日中共同声明  この年山岳部に初めての女子部員が入部しました。ニシザワさんとトヤマさん達だと思われます。ニシザワさんは入部を決めたあたりのことを部誌に書いていますが、オリエンテーションの様子などは今とほとんど変わらないようです。これは推測ですがニシザワさんとトヤマさんの住所が近いということから、先に入部を決めたニシザワさん

          1972 昭和47年【山岳部大全#5】

          7/13(土)〜14(日)、丹沢山(ヤビツ峠〜丹沢表尾根〜塔ノ岳〜丹沢山〜丹沢主稜〜大倉)に登ってきました。ガスっていて展望はなかったですが、暑くならくて良かったです。塔ノ岳は母校山岳部が5月山行で登っています。(Kota・23回生)

          7/13(土)〜14(日)、丹沢山(ヤビツ峠〜丹沢表尾根〜塔ノ岳〜丹沢山〜丹沢主稜〜大倉)に登ってきました。ガスっていて展望はなかったですが、暑くならくて良かったです。塔ノ岳は母校山岳部が5月山行で登っています。(Kota・23回生)

          1971 昭和46年【山岳部大全#4】

          8月 ニクソンショック ドルの金兌換を停止 10月 国連、中華人民共和国を招請 台湾を追放 国分寺高校山岳部の実質的なスタートはこの年タカハラ先生が赴任されて顧問を引き受けてくださったことに遡ります。はたしてトロイの木馬か出雲の国譲りか、3年生(1回生)から山岳部の主導権を譲られた(詳細は未だ不明)2年生(2回生)によって今に続く山岳部の雰囲気というものが作られていったようです。部長は唯一のワンゲル時代からの部員であったカメさん、亀さんではなくカメレオンのカメさん

          1971 昭和46年【山岳部大全#4】

          1970 昭和45年【山岳部大全#3】

          植村直巳エベレスト登頂 3月 よど号ハイジャック事件 11月 三島由紀夫割腹自殺 この45年度という年は恐らく山岳部史上一番わからない年です。というより、この年はワンゲルだったのか山岳部だったのかも分からないのです。初代にして「万年顧問」タカハラ先生はこの年について「山岳部の前身…ワンダーフォーゲル部(45年度)」という書き方で45年度はワンゲルだったと書いています。タカハラ先生の「山岳部の歴史」という資料は53年度の終わりに書かれたものだと思われますが、実はこのタカハラ先

          1970 昭和45年【山岳部大全#3】

          1969 昭和44年【山岳部大全#2】

          国分寺高校開校 1月 東大安田講堂に機動隊突入 7月 アポロ11号月面着陸に成功 国分寺高校が開校した1969年とは、その前年から本格化していた大学紛争がいよいよ高校にまで飛びしはじめた頃でした。上野高校や学芸大附属では大学生の影響を受けた生徒達が校長師や職員室を封鎖するという事件もおこりました。国分寺高校は学校のあり方が問われはじめたそんな時代に新設された実験的な面を持つ学校でした。「自治」という言葉が今とは違う重みを持っていた時代だからということもあるかもしれま

          1969 昭和44年【山岳部大全#2】

          SONG OF CLIMBING(山岳の歌)。

          国分寺高校山岳部には“幻の部歌”「SONG OF CLIMBING(山岳の歌)」があることをご存知でしょうか。 この“幻の部歌”は優れた楽才のdemons(22回生)が作詞・作曲し、自身により演奏・歌唱された楽曲です。“幻”なのはこの楽曲を聴いたことがあるのがおそらく22回生〜24回生の範囲に限られるからですが、22回生、23回生には大変評判が良く、一年生ながら部長になったばかりのKota(23回生)は特にこの曲が気に入り、「これを山岳部の部歌にしよう!」と発案した

          SONG OF CLIMBING(山岳の歌)。

          はじめに 【山岳部大全#1】

           はじめに  まず、この「山岳部大全」の発行にご協力いただいたすべての方々に対して、遅ればせながらここに完成のご報告を申し上げます。そしてあらためてその甚大なご支援のほどに感謝を申し上げます。  この「山岳部大全」は都立国分寺高校山岳部が本格的に活動を開始した 1971年から数えて今年1996年が25年目に当たることを記念して、その歴史と卒業生現役生並びに顧問の先生方の近況等が綴られた手紙をまとめたものです。  当初、この「山岳部大全」は「部の歴史」「部員の近況」「名簿」の

          はじめに 【山岳部大全#1】

          国分寺高校山岳部 R6第3回山行

          都立国分寺高校山岳部の令和6年度第3回山行報告はこちら。 https://www.metro.ed.jp/kokubunji-h/activities/2024/06/r6_2.html 国分寺燕稜会は都立国分寺高校山岳部現役部員の皆さんを応援しています!

          国分寺高校山岳部 R6第3回山行

          『山岳部大全』(1996)について。

          国分寺燕稜会の原点、または萌芽と言えるのが『山岳部大全』(1996)です。 『山岳部大全』(1996)は本会の副代表であるコスガ(24回生)が編集責任、代表のKota(23回生)が発行者となり、1996年に国分寺高校山岳部四半世紀の活動記録と、各世代の部員や顧問の先生より寄稿された文章やイラストをまとめた文集です。 文集を編むという期間限定の活動でしたが、過去行われた懇親会形式の同窓会を除けば、卒部生を学年を超えて縦に繋ぐ組織的な活動はこれが最後、その後は目立ったO

          『山岳部大全』(1996)について。

          国分寺燕稜会・思い出の山々。【Best④−①】

           国分寺燕稜会メンバーに山岳部で登った思い出の山を聞きました。ここからは単独の山や山域として、複数票を獲得した山を紹介します。  ④大菩薩峠(1897m) 2票を獲得したのは大菩薩峠。選んだのはhinaとみどりの2人。多摩地域からアクセスしやすい山で、日本百名山の一つ。大菩薩峠からさらに登った最高点の大菩薩嶺(2057m)は2000mを超えながらも、展望がよくないことでも知られています。 ③南アルプス縦走  国分寺高校山岳部は昔も今も南アルプス縦走が好きなようです

          国分寺燕稜会・思い出の山々。【Best④−①】

          国分寺燕稜会・思い出の山々。【Best⑨−⑤】

           国分寺燕稜会メンバーに山岳部で登った思い出の山を聞きました。メンバーそれぞれに思い出の山、思い入れのある山があることがわかりました。単独の山を選ぶ人もあり、また山域として選ぶ人もあって、集計は難しくも楽しくもありました。 Kotaによる独断の集計ですが、お伝えしていきます。(回答者24名・有効回答数32件。※丸数字は大まかな順位を表しています。) ⑨北アルプスの山奥穂高岳(3190m) おかね  日本を代表する山域ながら、国分寺高校山岳部においてはややマイナーな

          国分寺燕稜会・思い出の山々。【Best⑨−⑤】