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1971 昭和46年【山岳部大全#4】

  8月 ニクソンショック ドルの金兌換を停止
10月 国連、中華人民共和国を招請 台湾を追放

   国分寺高校山岳部の実質的なスタートはこの年タカハラ先生が赴任されて顧問を引き受けてくださったことに遡ります。はたしてトロイの木馬か出雲の国譲りか、3年生(1回生)から山岳部の主導権を譲られた(詳細は未だ不明)2年生(2回生)によって今に続く山岳部の雰囲気というものが作られていったようです。部長は唯一のワンゲル時代からの部員であったカメさん、亀さんではなくカメレオンのカメさん、ことナカジマさんでしたが「実権はツルカミ君とドバシ君が握っていました」とのことです。
    最初の新人歓迎山行は川苔山で、山頂では紅茶、スープ、ラーメンを作ったとあります。合宿訓練ではザックを重くするのを各自に任せたところ「みんな軽くして合宿訓練にはあまり役に立たなかった」と反省されています。それだけが原因ではないのですが初めての合宿は南ア北部で仙丈、甲斐駒から鳳凰まで行く予定が全員バテぎみだったため鳳凰を断念しました。バテた原因で一番大きなものはクジラをはじめ魚やみかんといった大量の缶詰などの食糧にあったようです。なにしろ初めての合宿ということで適当な量が分からなかったからかもしれませんが、しおりを見ると一回の食事でひとり2合ものコメがいきわたるような計画になっています。多すぎると思います。全員のキスリングが30キロを超えたというのはきっと食べきれないほどの食糧に原因があるのではないでしょうか。ちなみに「残念ながら雪渓は残っておらず、氷あずきは食べることができなかった。」との記述が有り、こういうのを見ると山岳部はずっと同じことをやってきたんだとあらためて感慨深いものがあります。この年の秋に土曜の午後に出発するお月見参考になるものが企画されたのですが、教育庁から夜歩くの危ないのでやめるようにとの指導を受けて計画を変更しました。タカハラ先生は百ちかくの山岳部から出される「報告書」にまじめに目を通しているお役所に驚いたようです。3年生がいないため追い出し山行ではありませんでした、が3月に大菩薩に行きました。雪の大菩薩をスニーカーで登った人がいたようですが、残念ながら「某君」とされていて誰だか分かりません。

5/9 「新人歓迎」 川苔山
6/27 「合宿訓練」 大岳山
7/29-8/3 「合宿」 南アルプス北部(仙丈、甲斐駒)※鳳凰はリタイヤ
11/7 「秋山」 戸倉三山
1/16 「冬山」 本仁田山
3/21-22 「春山」 大菩薩 ※追い出しではない

<エピソード>
・3年生がいないのに1年生が少なかった
・みんな勝手に軽くして訓練にならなかった合訓
・重かったクジラ
・木綿のテント
・OBがいないのでバテた現役の荷物がタカハラ先生へ行った
・丹渓山荘での多数決 前進か停滞か 5対5
・運動部初!?文化祭に参加
・なにもかもが手探りだった1年目

『山岳部大全』は、責任編集 小管聡一郎と発行者 田上幸太により1996年に刊行された文集に、個人情報についての配慮を加えた2024年版です。

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