見出し画像

1972 昭和47年【山岳部大全#5】

2月   連合赤軍浅間山荘事件(19日)
          ニクソン訪中
5月   沖縄返還
7月   田中角栄内閣成立   列島改造始まる
9月   日中共同声明

 この年山岳部に初めての女子部員が入部しました。ニシザワさんとトヤマさん達だと思われます。ニシザワさんは入部を決めたあたりのことを部誌に書いていますが、オリエンテーションの様子などは今とほとんど変わらないようです。これは推測ですがニシザワさんとトヤマさんの住所が近いということから、先に入部を決めたニシザワさんが中学校時代からの友人であるトヤマさんを一緒に誘ったということかもしれません。ところで部の雰囲気を良い状態で維持したいと考えるならば、山岳部に入るときの女性の心理というものを歴代の部長は知っておかなければなりません。なぜなら、これは独自の物の見方ですが、部の女性含有率(失礼)と部のギスギス度とには直接的な関係があるはずだからです。
 さて話がそれましたが、この女性部員達は親などの反対が理由のようですが、合訓には参加しながらも合宿には行けませんでした。その合訓では去年の反省からみんなのキスリングの重さを25キロに揃えようとはかりが持ち込まれました。ところが当時30キロまで計れるばねばかりが見つからなかった為に、3年生のドバシさんは家の体重計を使って天秤棒のような物に目盛りを記してさおばかりを作ってきたということです。これは翌年から「ドバシ式」と呼ばれるようになります。そして合宿は南ア中部でした。この時は合宿のしおりが残っていないため食事の内容などは分からないのですが、合宿の感想の中に「今回は特に食事がうまかったのでけんかもおきずスムースにいった」とあります。いったい前の年には何があったのでしょうか。また前年の反省から食糧の軽量化がなされたようです。そのおかげか8月6日(5日目)には台風接近が伝えられたため、熊ノ平から広河原まで一気に駆け下ったということです。このコースを歩いた事のある人ならこの事の大変さが分かると思います。またこの年で初代山岳部である2回生が卒業しましたが追い出し山行はなかったようです。

5/7 「新人歓迎」 御前山
6/17-18 「合訓」 本仁田山
8/2-7 「合宿」 南ア中部 塩見、間ノ岳、北岳
9/17 「写真撮影山行」 大沢林道
11/2 「秋山」 鷹ノ巣山
1/14-15 「冬山」 雲取山

<エピソード>
・女子部員の入部
・13人なのに団体券が使えた新歓
・ドバシ式さおばかり
・ザック麻酔にかかったマエヤマの腕
・部誌(部報)第1号発行 9月
・初めての合流山行 秋山
・秋山まで参加した3年生

『山岳部大全』は、責任編集 小管聡一郎と発行者 田上幸太により1996年に刊行された文集に、個人情報についての配慮を加えた2024年版です。

※国分寺燕稜会では“仲間”を募集しています。
この公式noteを見て、会の趣旨や目的に賛同し、一緒に活動したい卒部生は以下のメールアドレスまで連絡をお待ちしております。
【国分寺燕稜会問い合わせ先】
enryokai.kac1971@gmail.com

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?