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「光る君へ」の恋バナで考えたルッキズム

「光る君へ」美しい俳優陣が出演し、雅な時代の衣装を楽しんでいる大人女子も少なくないらしい。ドラマでは、見目麗しい公達が集って勉学や弓矢に励むなか、恋バナのシーンも興味深い。

男性の前では女性は扇で顔を隠し、自由に外出できない時代。和歌を送り合って好意を伝えたり、こっそり顔を覗き見て意中の人を決めるシステムや、男性が密かに女性の部屋に出掛ける通い婚や、妻が何人もいるのが普通だったり、不自由化とおもいきや、この時代のほうが結婚のスタイルはおおらかだったようにも見える。

公達と言えば、いまのハイスぺ男子にあたるのかな、その公達が集まって女性の好みを話すシーンが気になった。「あの人は和歌は上手だけれど、顔が残念だ。」と話すルッキズム男。「ああ、どの時代も一緒じゃないか」げんなりした気分になる。

どんな人も容姿は気になると思う。好みや生理的に無理は誰にでもあるからね。私にだって好みはあるが、夫はまるっと逆のタイプ。人生って面白い。
ま、私の話はどうでもいい。

私が最近気になっていることがある。
ルッキズムが婚活の場面で進んでいきそうな気配。
人も魅力は、見た目だけじゃないしむしろ見えないところにこそ、その人らしさや在り方の素晴らしさがある。けれど、それを理解できる人が減っているように感じるのです。

深く人と関係を深めず、何かあっても傷つかない程度の距離感で、嫌な思いをしない程度に微妙な関係、いつでも他へシフトできるよう浅く広い緩い繋がりを保有する人が増えているように思う。

すると、目の前の人がどんな人か判断する時も浅い部分しか見えない。つまり、容姿や目に見える条件や肩書だけ。その人が、どんな考えを持ちどんな生き方をしているのか、どう生きてきたのか、知識や経験やその人の核は、対話を重ね深く理解しようと開き合わなければわからない。

人と向き合う経験がなければ、内側のその人に気づくことは難しいし、内側に宝物が眠っているさえ知らないので、知ろうともしない。
わかりやすい顔や外見で判断する。

人って外見に出るって言うでしょ?
笑顔が素敵だからいい人ですよ。
さわやかで美人だから優しい人ですね。
シュッとしたイケメン、美人やかわいいが大事。
綺麗だったら許せるけどそうでなければ腹が立つ。
こんな言葉を耳にします。

順位をつけない運動会、全員主役、得意なことを得意にできない。運動が得意や才能努力より、学歴、有名かどうか、見た目、収入、目に見えてわかりやすい物が価値になる。

こんなに自由で出会える場所もあるのに、なぜこんなに婚活が大変になったのだろう、と考えることがある。
プロフィールには条件を丁寧に書きそろえ、きれいに写真を撮って、見えないものはAIがマッチングで可視化してくれる。けれど、人柄や人の奥深さ心が通う部分はその人の中にある。

心を深めてみなければその人自身はわからない。心を開いたコミュニケーションをしなければ、素直な自分を見せなければ、お互いのことなんかわからない。

けれど、外見だけで内面を推測し、思ったようでないとすぐにダメと決めつける。カエルだと言って確かめもせずに嫌いになる。
自分の思い込みの枠を疑わない。

好みや理想は合ってもいいと思うけれど、それが全てではない。人はもっと深くて素晴らしいものなんですよ。

アプリで加工までして、どんなに外見をよく見せても、愛ってそのあとなんですよ。年を取って皺ができたり太っても、大切に思う尊重し合って生きることが愛するっていうことだから。
美しさ前提のそれは、愛なのかな?

そこに本当の愛はあるのかい?

ジュンコ

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