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終わりと始まりのはじまり

大晦日。今年はどんな年だっただろう?
振り返ってみたけれど、夏以前のことがどうしても思い出せない。何を思い何をしていたか思い浮かべてみるのだけれど、遠い昔か別の世界にでもいたかのように、不思議場ほど思い出すことができない。

年のせいなのだろうか、それとも本当に世界が変わったのだろうか。

考えても仕方がないことだな。珈琲を飲みながらぼんやりと思う。
ただひとつ言えるのは、それほど変化が大きかったということなんじゃないかな。見えるものと見えないものそれぞれの世界が、入れ替わったようなきがする。この年の初めと終わりでは、見えるものも意識も全く違うのだ。

今年の前半は、とにかく内側にある歪みや軋みにもがいて、出口を求めていたように思う。外側の誰かや何かに振り回されているようで、じつは自分自身の内側と向き合わされていた。

自分の意志ではどうしようもない、抗えない何か渦の中をただ歩いているようだった。ある節目までは。

夏を迎え妬けつくような暑さで、何もかも焼き尽くされたように、暑さが過ぎるころ出会う人も意識も大きく変化していた。今年を振り返る時、前半と後半では激変したと話す人が多いので、わたしだけではないのでしょう。

社会や環境、文化や人々の意識も、この数年で正解や普通という概念はなくなりつつあり拠り所は揺らいでしまったと思う。それによって、不安定で頼りない自分を思い知り、時にはドロドロと渦き傷を負ってきた。

何度も自分と向き合いながら、不要な思い込みや枠をそぎ落とし、自分はどうか。「自分は何を大切にどう生きるか。」自分自身に問い続ける1年。

暑さが過ぎるころ、コロナでもインフルエンザでもないのに、急に高熱が出て2,3日身動きができなくなった。いつものあれだ。
気温の暑さと内側で昇華していくもので、重かった心身の力が抜けてフッと軽くなった。大掃除が終わる最後にやってくるあれは、肉体と内側の調整なのだと思う。たぶんだけれど。

それまで熱心に集めていた情報も学びも、もう不要だと急に感じるようになった。たとえそれが、人から見てどうであっても、自分がどうか。それでやっていくだけ。何を選んだとしても、自分が選択し責任を持つこと。自分の中にある答えを無視せずに行動し続ければそこに道はできるし、正解も間違いもなく必要なことしかやってこない。

動いていないものは終わりにして次へすすむだけ。閉じる準備をはじめて迷いが消えると、いつのまにか新しい出会いがやってきた。
終わりと始まりだ。

考えることは大切だ。けれど、確実に世界が動くスピードに追い付かなくなっている。予測して考えることは必要だけれど、精神面の充実から肉体を創ることに注力し始めている自分がいた。
行動し具現化するには体力がいる。肉体充実なくして精神の成熟と安定は得られない。両輪が回って現実が動く。

まもなくやってくる来年2024年は、とにかく動く年。11月からの動きがそこへつながるものになりそうだ。終わりと始まり、そして新しい世界で伏線回収がありそうだ。

とにかく、ずっとやってきたいい子ちゃんを脱いで、調子にのっていく。
始まりのはじまり。
そんな1年がやってくる。楽しみだ。

掬乃 ジュンコ

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