ヘイトスピーチの規制が意味ない話

川崎市の条例とか、ヘイトスピーチを禁止することは、私は意味がないと思っています。

例えば、「朝鮮人はゴキブリ、ぶっ殺せ」という憎しみをあおるものから「部落は、ブラック」のようなギャグめいた嫌な発言をするバカを規制したい、いやな言葉を聞きたくない。そういう思いは、規制をしようという方と私はあまり変わりません。

しかし、聞きたくない発言を規制して抑えることに意味がないと思うのです。たしかに、強制力を持って発言を禁じたら、多くのヘイトスピーチをしたい人は、黙るので、静かになると思います。

それで、平和になったと喜ぶのは人が良すぎます。

ヘイトスピーチをする人が、次の局面では、言葉を発する以上の行動に出るかもしれません。私は、有言実行する人がたまにいることを知っています。言っただけ、口だけの根性ないヘイトスピーチしかしない人は、どうでもいい。

私が知りたいのは、ヘイトスピーチをするだけでなく行動力がある人がたぶん何人かいるので、その人の動向です。

ヘイトスピーチを禁止してしまうと、今まで見えていたヘイトスピーチをする人が隠れて見えなくなってしまいます。やばい奴が見えていて、やばい発言をしているのをうるさいとか、気分が害されると言って、禁圧してしまうと、やばい奴がどこにいるのかわからなくなってしまいます。

私は、やばい奴がこっそりと隣にいて、そいつがやばい奴であると気づかない社会のほうが怖いです。大声で醜い差別発言を繰り返しているバカを見るのは、気分がいいものではありませんが、ありがたいことにバカがここにいるとわかる安心感があります。

だから、ヘイトスピーチを禁止するのに、賛同できません。

あと、今ある法律の適用で、怖いヘイトスピーチは、場合によっては、脅迫罪になったり、強要罪になります。行動を伴うヘイト行為は、行為によって普通に殺人罪とか、傷害罪、暴行罪、凶器準備集合罪とかになります。

被害者の身を守るには、法律の適用で十分と思います。ヘイトスピーチは、やらせていたほうが、バカを認識できるのでずっと合理的に安心して暮らせると思います。

嫌な言葉をたくさん書いてしまいましたが、いやな物言いを聞きたくないという思いは、ヘイトスピーチ規制に賛同される方と同じですが、ヘイトスピーチを禁圧したところで、発言していたバカは、内心が変わることなく、ヘイトな心を持ったまま黙っています。そしてその中の一部は、黙っていて、いきなり行動に出る恐れがあることを私は一番心配しています。

大きな声でヘイトスピーチをしているバカ、自称愛国者は、本当に愚かで視野が狭いし、なによりもうるさい。しかし、ここにバカがいますよ!と聞かなくてもわかるくらい目立って存在していることを我々に教えてくれています。

うるさいけれど、バカがここにいるとわかっていたら無用なトラブルは、避けられます。

逃げろといっているに近いですが、そうでもありません。言い返したかったら言い返せばいい。だけど、頭に血が上ったバカとかみ合わない議論をけんか腰でするよりも、相手にしないのが合理的だと思います。

私は、しばらく、ヘイトスピーチの法的規制をどう考えたらいいか考えていて、最近以上の考えにいたりました。

聞きたくないから言わせないではなくて、聞きたくないことを言う人の顔が見えたほうが安心できるから、ヘイトスピーチは、法的な規制をしないほうが住みやすい街になると思うのであります。

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