8年ゲームを仕事で作ったが世の中に僕の名前は何処にもないのだ

これは一生引きずる話だと思っている。

クレジットを見てゲーム業界を目指したのは20年くらい前の話で、そこから随分遠くに来たものだとおもうわけです。

クレジット表記の文化の無いモバイルゲームという分野に来たのはまだiPhone4も無いしパズドラだって無い。まわりはまだまだガラケーでモバイルゲームを遊んでいるそんな時代。

別に当時はクレジット表記は気にならなかったんだけど辞めて違う業界に来て薄い本を書きふと自分は何本も関わったのに生き残ってるゲームは何処にもないし名前も何も残っていない。僕がかつてモバイルゲームの業界で何かをしたという痕跡は塵ほどにもないのだと改めて感じた。

そういう意識が強くなったのは会社の一部のプロジェクトでクレジットを作ったりしている様を見たり友人たちのクレジットを知る機会が増えたからだと思う。

僕の夢の始まりはクレジットに憧れたことで、夢はゲームクリエイターになるということよりもそのクレジットに名を連ねたかったというのが本質なのかもしれない。

ゲーム業界もコンシューマーとかになってくると文化はある。長い長いクレジットを眺めるのが僕は好きだ。そこには何処の誰とも知らない人たちの名前が連なっており、名無しとは言え仮にも制作側に回った自分にとってそこに名前がある人達というのは憧れと尊敬みたいな感情が湧く。

仕事では僕は名前が残せないと思ったのはいつのことかわからない。ただ、ゲームを自分で作るとその夢は小さい形だけどかなったりした。

あの悠々たるクレジットの列とは程遠い小さなものなのだが、それは自分が作ったゲームだと胸を張って言えた。

自分がクレジットの列に名前を初めて連ねたのはゲームでもなんでもないクラウドファウンディングのバッカーになった事だった。

当時ライブ会場の終わりに自分の名前が流れゆくのを待ち、ついに念願の光景を目の当たりにした。僕は作品の血の一滴になれたのだ。

それはただお金を払っただけでしかない。しかしそこにはそれでも感慨深いものがあった。他の人達はどうだったのだろうか。同じような思いを募らせた人間がもしかしたらあの場に居たかも知れない。この光景を見た時は既にゲームの業界を辞めており、現職に居た。

CEDEC2020が先日あった。カンファレンスに立って自身の体験を知見として語る人たちを見る。クレジットとは違うのだけどこれもまた関わっていた事の証左だろう。自分にはそういう道ももしかしたらあったかも知れない。

クレジット表記について少し作為的にアプリを調べた。かすかな希望のようなアプリもいくつかあったがそのほとんどではクレジット表記はされていない。

クレジット表記について調べるのはすごく難しくて泥臭いのだけどまたやってもいいなと思った。
そして、いつかこのクレジット表記というものが当たり前になってくれたらいいなと思う。

そんな願いを込めたわけじゃないんだけど自分の本はそんな一欠片の思いでできている。


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