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「好き」の裏に隠れる「認められたさ」とどう向き合うか

自分の「好き」という気持ちが、本当の「好き」でないと気づいてしまった時、一体どうすればいいのだろう。

その「好き」が予期せぬ、ある種運命じみた出会いを孕んでしまっている時など、自分の本当の気持ちに嘘をつきたくなってしまう。

僕にとってその運命の出会いのは「演劇」だった。

「前から思ってたんだけど、君は声が大きいから、演劇部に入りなよ。知ってると思うけど私は演劇部の顧問なんだ。今日の放課後空いてる? いきなりだけど見学でもしていかないかい?」

全てのきっかけは、中1の担任の先生に部活の相談をしたことだった。

演劇なんてこれまで小学校の学芸会のような催し物でしかやったことがない。そもそも演劇部に入部するなんて考えすらなく、猫騙しを食らったような気持ちだった。

見学するだけならいいかと思い、放課後、先生に連れられて、部員が集まっている教室に足を運んだ。演劇部というのは大概男子部員が少ないため、男子というだけで普通の部活以上に歓迎を受ける。とりわけ、男の先輩は貴重な男子部員を逃すまいとの思惑もあったのか、随分と優しく接してくれた。居心地の良さを感じた僕は、その日のうちに入部することを決めた。

演劇部は体育会系文化部だ。舞台の上で芯のある立ち姿を保つためにも筋トレはしっかりと行うし、しなやか動きを生み出すために、柔軟運動も他の部活以上に徹底してやる。基礎練の時間は毎回毎回苦痛でしょうがなかったけれど、必死で食らいついた。それに、一回舞台に立ってしまうと、観客全員の目が自分に注がれる瞬間の虜になってしまい、やめるにやめられなかった。

初めて任された役はネズミBという役だった。演目は超有名なおとぎ話、シンデレラ。1時間以上の公演時間の中で自分のセリフは確か2、3行しかなかった。ただ、舞台袖からシンデレラのガラスの靴を持って走り出し、「チュウ!」と叫んだ瞬間の光景は今でも鮮明に思い出せる。もちろん灰色のネズミのスーツを身にまとい「この舞台が終わったら、クラスの友達にバカにされるのかなぁ」という思春期独特の気持ちが湧いていたことも一緒に。

運が良いことに、1年生の終わりから2年生の始めにかけて練習をする新入生歓迎公演では、2回目の舞台にも関わらず、随分とセリフの多い役を任せてもらえた。経験年数の多い先輩達に囲まれながらも、必死に自分の役を全うした。ネズミBの時は打って変わって、自分のセリフをお客さんに届ける機会が増えた。自分のセリフが舞台にこだまし、自分の一挙手一投足に観客と他の役者の視線が注がれる。そこにいる人全員の心を掴んでいる感覚。狙ったタイミングで観客が笑ってくれたり、泣いてくれたりする。この快感を中学2年生にして味わった僕は、すっかり演劇にはまってしまった。練習中には、お客さんが笑ってくれたり、感動してくれたりする様子をいつも妄想していた。

小学校のクラスの出し物会で、一人だけ手品を見せてクラスの友達をアッと言わせることが好きだった僕にとって、演劇は天職かもしれないとさえ思えた。

学年が上がると、演じる役もどんどんと重要な役に変わり、高校一年生の新入生歓迎公演ではついに主役を任せもらえた。三谷幸喜の書いた「12人の優しい日本人」という演目だった。膨大なセリフ量と随所に登場する長ゼリフに悪戦苦闘したけれど、初めての自分が主役の舞台。ボロボロになるまで台本を読み込み、ダメ出しを空白のスペースに書き込みまくり、何度も何度も家での個人練習を重ねた。そうして作り上げた舞台の幕が閉じる瞬間は、名状しがたい達成感で心が満たされる。主役級の役になればなるほど、観客の心を掴む機会が増え、「感動した」と声をかけてもらうことも増えていく。
全くのゼロから部員全員で協力して一つの舞台を作り上げていく感覚も、本番前の舞台裏で部員一人一人が役に次第に入り込んでくる瞬間も、幕が下がっていく中拍手のシャワーを受ける時間も大好きだ。けれど、僕が演劇を愛した一番の理由は、たった一人の人間が、何百もの人の心を震わせることができるからだった。

演劇という、こんなにも人の心をワクワクさせることのできるものに出会えて良かった。

高校を卒業するとき、心底そう思った。大学に行っても演劇をやろう。そう思っていた。

でも、大学に入って熱心に取り組んだのは、演劇ではなくてバンド活動だった。演劇をやるという選択肢もあったけれど、僕が入ろうと思った超有名な演劇サークルは、ほぼ確実に留年をするという黒い噂を聞いたため、入るのを躊躇ってしまった。それに、バンド活動は演劇と似通ったところもあり、大学時代の僕は四六時中楽器を弾いていた。中高時代、僕の恋人になった演劇が、徐々に僕から離れて行った。でも、6年間という月日だけが、ことあるごとに僕を演劇に執着させた。

大学生活2年目の頃、バンドサークルの人間関係が少し面倒になり、何か新しいことを始めようと思っていたとき、頭に浮かんだのは演劇だった。「あぁ、やっぱり、僕は演劇が好きなんだ!」そう思って、舞台の趣向が自分と合ってそうな演劇サークルの人に連絡を取って、話をしたことがある。でも、結局入ることはなかった。途中から入るのは気まずいとか、自分が望むような役をできない可能性があるのが嫌だとか、どうしようもない言い訳を並び立てて、自分を納得させていた。

就職活動の時もそうだった。面接が思うようにいかないことを全て演劇のせいにしてしまっていた。就活の最中に知り合った友人に「何してもいいよって言われたら、何がしたい?」と聞かれて、「演劇かなぁ」と答えたことがある。でも、聞かれたタイミングは、自分の就活が難航していた時だった。

「そんなに、演劇やりたいならやればいいじゃん! うじうじしてるの勿体ないよ!」

当時付き合っていた彼女にそう言われたことがある。就活でちょうど悩んでいる時期だった。

気分転換にと彼女に誘われて、鴻上尚史の舞台を観に行った。演劇を観るのは久しぶりで、役者からあふれんばかりの気迫が溢れ、セリフの一つ一つが心にグサリグサリと突き刺さる。彼らの動きから目が離せない。自分の中で消えかけていた演劇への思いがどんどんと高まる。カーテンコールで再び舞台袖から出てきた役者達のやりきった表情や、顔に張り付いた笑顔が、高校時代の自分の姿と重なった。

-彼らのように、観ている人の心を掴んで、動かしたい。

閉演後、劇場の近くにあった居酒屋で、自分はやっぱり演劇をやって、多くの人の心を動かしたいんだ、ということを彼女に話した。自分にはビジネスは向いてなかった、演劇の世界で生きて行くほうが心の健康を保てる。やっぱり好きなことをして生きていこう。お金だって、稼ごうと思えば生きていけるくらいは稼げる。そんなことを話した。

そして、自分の気持ちを確かめるためにとある劇団のオーディションを受けに行った。久しぶりの台本、久しぶりの役。若干勘が鈍っていたが、まだまだやれるなと思った。

それに、やっぱり人前で演じるのって楽しい、そう思った。

オーディションを受けてから1ヶ月ほど経った頃、まさかの1次審査合格通知が届いた。僕は目を疑った。そして、自分にはまだ演劇の才能が残っているのだと思った。

にも関わらず、僕はすぐに返事をしなかった。

実は、同年の10月から留学に行くことが決まっていた。
8月までに就活を終えて、9月で卒業。残りの半年を海外で過ごすという取らぬ狸の皮算用を立てていて、費用もすでに支払済みだった。以前より留学に興味があり、このチャンスを逃すと、多分もう行く機会がないだろうと思っていたが故だ。

一方で、知名度のある劇団は公にオーディションをあまり頻繁には行わない。だから、こっちも今回のチャンスを逃してしまうと、きっと次に同じような機会を手にするのは当分先になってしまうことはわかっていた。今回受けたオーディション自体も、小劇場界隈で有名な劇団のホームページを50個くらい漁ってようやく見つけたものだった。

演劇か留学か。

長年愛した彼女の元へ戻るか、新しい恋に踏み出すのか。

すぐに結論づけることはできず、合格通知に対する返事をギリギリまで延ばした。

結局、僕が選んだ選択肢は留学だった。

あれだけ恋しいと言いつつも、目の前に広がる新しい挑戦を選んでしまった。そして、昔のように、また、演劇を続けなかった言い訳を自分の中で作り上げた。自分が現実から目を背けるためだけに言い訳として演劇という言葉を消費していることに、薄々気づいていた。そうでもしないと、自分の本当の「好き」が、演劇をすることでないと気付いてしまうから。
それを認めてしまうと、今までの自分を否定することになってしまうと思ったし、自分には周りの人たちのように突き抜けて愛せるものがないとわかってしまいたくなかった。

その事実を知ってしまうと、何か1つのことに熱中できない自分が、すでに「やりたいこと」をわかって、それをやり続けている人に劣っていると感じてしまうと思って、ひどく怖かった。

演じたくて演じたくてしょうがない。

そんな衝動が、外部からの刺激を受けないと起こらない自分が惨めに思えた。その衝動すらも時間が経てば消え失せてしまう。

でも、本当は違った。

大学に入った時点で、すでに演劇は過去の人になっていた。

演劇を言い訳として使っていた本当の理由。
それは、ずっと前からわかっていた、自分の中にある本質的な欲を認めたくないだけだった。
演じることは、それを満たすためだけの手段であり、その手段に敢えてフォーカスすることで、狂おしいほどフツフツと湧いている欲を見て見ぬふりしているだけ。本当は手段なんてどうでもいいと知りたくなかった。ただアーティストやクリエイターを気取っていれば、それを見なくて済むと思っていた。

僕が抱える本当の欲。
それは、「承認欲求」だった。

心を掴んで、離したくない。
ずっとこっちを向いていてほしい。
自分に釘付けになってほしい。

自分より上に立つ人を殺したくなるほど嫉妬し、それを超えて相手の心を掌握したい。

「承認欲求」は僕の中で醜くて、傲慢で、上から目線で、すごい嫌な欲だだった。
自分の中の黒い部分。その黒い部分こそが自分の本質なんだ。

その真実に気づきたくなかった。

気づいてしまうと、自分はなんてやつなんだと思ってしまうから。
僕は嫌な奴になんてなりたくなかった。いい子でいたかった。

だから、必死に「承認欲求」と一線を画そうとしていた。

でも、そうすればそうするほど、本当の自分と離れていくような気がした。

僕が演劇を好きだった本当の理由。それは、人の心を震わせているからではなく、その裏にある注目されたい、有名になりたいという、「承認欲求」を満たしてくれているからだった。

だから、エンドロールで役者が舞台に集まって挨拶をする時と、上演後のアンケートを読んでいる時が、本当は一番鼓動が高まっていた。エンドロールでは大体主役が最後に舞台に出てきて、挨拶を述べる。まるで有名人になったかのような気分で、アドレナリンがドクドクと体に流れるのをいつも感じていた。上演後のアンケートには「好きなシーン」や「好きな登場人物」を書く欄があり、そこに自分が気合いを入れたシーンや、自分の演じた役の名前が書かれていると、嬉しくてしょうがなかった。入部当時は書かれる頻度こそ少なかったけれど、やっぱり主役級になると名前を書いてもらえることも多くなる。一人でも多くの人に名前を書いてもらいたい、学校で、大会で、有名人になりたい。そんな気持ちを抱えていた。

高校3年生の頃、受験勉強に集中しなさいという理由で、突然脇役を演じなければならなかった時、僕は演じることが好きなのではなく、注目されることが好きなんだということに、実は気づいていた。でも、自分の「演劇が好き」という気持ちを汚したくなくて、その気持ちに蓋をした。だって、もし本当に演劇が好きなら、演じるということが好きなら、大学で迷わずに演劇サークルに入っていたはずだし、オーディションだってもっと沢山受けていただろうし、舞台だって積極的に観に行くだろうし、役の大小に必要以上にこだわることなんてないはずだから。

そして、本当は演劇なんて愛していなかったんだ、と確信した事件が起こった。

留学中、Kさんというロンドンで役者として働かれているKさんという方に会う機会があった。Kさんのことは留学する前から知っていて、ダメ元で連絡してみたら快く会ってくださることになった。

とある小劇場の一階にあるパブで、Kさんと待ち合わせた。開演30分前にも関わらず、パブはその日の演目を楽しみにしているお客さんでごった返していた。アルコールの匂いがふんわりと漂うなか、雑談もそこそこに僕は一番聞きたかったことをKさんに質問した。

「役者をやり続けるってことは、それ以外の生活を多少なりとも犠牲にするってことだと思うのですが、そのあたりの心の折り合いとかは、どうやって乗り越えたのですか」
「まず、犠牲にしているって考えている時点で、君は役者に向いていないと思う。確かに仕事が入らないときは、アルバイトばかりの生活になったり、精神的に辛くなったりもするけど、私は演じることが幸せだから、そのために生活を犠牲にしているって考えたことはない。君が今の生活レベルを下げれないとか、役者を貫くために何かを犠牲にできないなら、役者にならないほうがいい。そのほうが幸せだよ。それに、有名になってお金持ちになりたいとか、主役級の役じゃないとやりたくないとか、そういった人も沢山いるけど、だいたいそう言ってる人は長続きしないから」

脳天を思いっきりハンマーでぶん殴られたような衝撃だった。

自分が実は心の中で思っていた頃を、素手で鷲掴みにさり、抉り出され、目の前のテーブルにポンっと置かれた気分だった。

演劇が好きという名前の蓋が取っ払われ、注目されている自分が好き、という己のまがまがしい欲望が現れた。そして、彼女の答えにこんな言葉で返した。

「僕は、演劇を現実から目を逸らすための言い訳として、使っていたかもしれません」

白日のもとで、自分の罪を告白している気持ちだった。

この日、僕は演じることが好きなのではなく、演じることは手段であり、それを通して、人の心を支配したいだけなのだと認めざるを得なくなった。

帰国後、池袋にある天狼院書店という書店で、文章力を鍛えるライティング・ゼミの講座を受講し、課題として毎週文章を書いている時も、今思うと多くの人にすごいと思ってほしいという「承認欲求」が知らず知らずのうちに働いていた。演じることと同じように、書くことは好きだけど、書きたく書きたくて、書かないと死んでしまう、という衝動が四六時中起こることはない。結局のところ、自分は承認欲にまみれた人間で、書くことが好きでたまらない人間になることはできないんだと、自分を責めた。

そんな悶々とした日々の中、天狼院書店で、自分の本質的な欲(天狼院ではそれを「狂」と名付けている)について話す機会があった。正直、僕は自分の「狂」をさらけ出すのが怖かったし、嫌だった。天狼院の三浦店長をはじめ、スタッフの方や、共に受講しているゼミ生の方々を信頼しきっているとはいえ、自分の醜い部分を出すことは、はばかられた。でも、ここで言わなければきっとまた悶々としてしまう。そう思って、自分の「狂」を打ち明けて見た。すると、思わぬ返事が返ってきた。

「別にいいんじゃない? それでも。それって達成欲求みたいなものでしょ?」

三浦店長のその言葉がすっと身体の中に染み込んだ。ずっとネガティブだと思っていた自分の欲も、使いようによってはポジティブなもの変えることができるのだと気付かされた。「好き」の後ろに隠れる、醜い気持ちも肯定していいんだと。演じることも、書くことも、僕にとっては自分の醜い欲を陽転させて、世の中に出すことのできる形に変えてくれるろ過装置のようなもなんだと、見方を変えることができた。演じることや書くことに執着仕切れない自分を受け入れてあげようという気持ちになった。そう思うだけで、体が少しだけ軽くなった気がした。黒々とした曇天から、一筋の光が差し込むのを感じた。

5年後、10年後、僕はもしかしたら書くことを止めているかもしれないし、やっぱりまだまだ書き続けているかもしれない。でも僕は、それでいいのだと思っている。もしかしたら他にも自分の欲をポジティブに変えてくれる武器があるかもしれない。むしろ器用貧乏で飽き性な僕は、手を変え品を変えの方が性に合っているかも、とすら思う。

ふと、立ち止まって振り返ると、やっぱりその時熱中するものがあって良かったと絶対に思えるからだ。

運命の出会いなんて、そう何度もあるものじゃない。
けれど、せっかく出会ったのならば、やっぱり大切にしたい。
自分のネガティブさをポジティブに変えてくれていたのなら尚更だ。
いつ、昔の点と点が繋がるのかはわからないのだから。
死ぬ間際に自分の歩いてきた道を振り返った時、「あぁ、色々あっちこっち行ったけど、どの出会いも素敵だったなぁ」と笑えるためにも、一つ一つの運命の出会いを大切にして、今日、現在を、最高値で通過して生きたい、そう思うのだ。


ーあとがきにかえてー

まずはこんなに長い文章を読んでいただきまして、ありがとうございます。

このnoteを公開するか、実は迷っていました。

自分が外に見せたくないドロドロとした気持ちが入り組んでいたからです。どうせならカッコつけてたいと思っていました。

でも、何人かの方にこの下書きを見せて、背中を押してもらって公開することを決めました。

承認欲求に悩んでいる人や戦っている人が少しでも生きるのが楽になればいいなと思って書きました。

もし、あなたの友達で同じ様に苦しんでいる人がいたら、この文章をそっと差し伸べてくれると幸いです。

最後まで読んでいただきまして、有難うございます。 あなたが感じた気持ちを他の人にも感じてもらいたい、と思ってもらえたら、シェアやRTしていただけると、とっても嬉しいです。 サポートは、新しく本を読むのに使わせていただきます。