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僕らは本当に自分の意思で選択をしているのか

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日々、何の気なしに乗っている電車。パッと周りを見渡すと、沢山の広告が目に入ってくる。電車内の広告なんて興味のないものばかりだけど、毎日同じ広告を見ると、いやでも情報がインプットされる。

電車内だけでは無い。たとえ一日家から出なくても、ネットの世界を歩けば1日に1度は広告を目にする。

意識的に広告を見ているときに、ふと1つの疑問が湧いた。
日々メディアから流れてくる広告は、たとえ自分の興味のない情報であっても、自分の意思決定に影響を及ぼしているのではないかと。

「人生は選択の連続である」

これは、劇作家ウィリアム・シェイクスピアの言葉だ。

寝ている時以外、大小合わせて限りないほどの選択を僕らはしている。
選択を意識するときもあれば、習慣となり、無意識になっているものもあるだろう。

だが、その意思決定の裏には必ずなんらかの情報が影響している。

では逆に自分が誰かの行動の選択に影響を及ぼす情報の視点に立てたとしたら、その誰かにどんな行動させるだろうか。

そんな世界を体験できる1つの作品がある。

Netflixで配信されているオリジナルドラマ「ブラックミラー・バンダースナッチ」だ。このドラマの特徴は、視聴者がドラマのストーリー展開を自分で選択できる点にある。複数のエンディングが用意されており、後のストーリー展開に影響を与える選択とそうでない選択が散りばめられている。

さて、ここで疑問に思うのが、なぜストーリー展開に関係のない選択肢も出てくるのかということだ。

例えば1番最初の選択は、主人公が朝ごはんで食べるシリアルのメーカーについて。別にどちらを選ぼうと関係ないのだが、なんと物語中盤で主人公が見ているテレビのCMにそこで選択したシリアルが出てくるのだ。

つまり、主人公が自由意志で選んだと思ったものは、実はテレビのCMによって無意識下に刷り込まれたものだった、という解釈ができる。

全ての選択肢を観終えたあと、ゾクリとした。

画面の中の世界はフィクションだが、その本質はノンフィクションな気がする。

果たして僕らは、どれくらい自分の意思で選択しているのだろうか。

自分で選んだ選択は、もしかしたら頭の中に入り込んだ情報によって意図的に選ばされているのかもしれない。サブリミナル効果のように、無意識の中に潜り込んだ情報に操られて何かを選んでいるのかもしれない。

これは論理の飛躍だろうか? ちょっとペシミスティックに考えがち?

電車の広告は依然として、自分が興味の無いものも含まれているが、ネットの広告の世界では、すでに自分がアクセスしたデータに合わせた情報が現れる。

毎日メディアからとめどなく溢れてくる情報の洪水溺れながら、僕たちの意思決定にはどれほどの「個人の考え」が含まれているのか。「個人の考え」の割合を多くするためにはどうしたらいいのか。

僕自身も100点満点の答えは導き出せてはいないが、現時点での対抗策は「自分のコンパス」を持つことかなと思っている。

「自分のコンパス」とは、「その選択が利他的であるか」とか「自分の正義感に反していないか」とか「浪費ではなく投資になる購買か」とか。

「自分のコンパス」を作るためには、能動的な選択を繰り返すことだ。

例えば、いつもアマゾンのレコメンド機能で本を買っている人は、本屋に行って全く関心のなかったコーナーで本を買ってみるとか。いつも頼まれ仕事が多い人は、小さくてもいいので自分から「こんなのどうですか」と提案してみるとか。

もちろん、能動的な選択が100%「個人の考え」で成り立っているとは断言できないけど、何かを選択する前に踏みとどまって考えないといけないフェイズを挟むことは、大切なことの一つなように思う。「なんとなくの選択」の数を減らしていけば、ベストでなくてもベターな選択を繰り返せるはずだ。

そうして、一人一人のちょっと踏みとどまって考える回数が積み重なっていけば、無意識の情報に踊らされる回数が減り、世の中が少しは良くなるのではないかと思うのだ。

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