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私の母はスーパードクターゲーマーおばあちゃん

深夜、ふと目が覚めてみると、居間に明かりがついていることに気付いた。寝床からでもすぐに分かる。なぜなら我が家は狭いのだ。

時計を見ると朝の4時。

(ひょっとして・・・)と思って居間をのぞいてみると…やはり私の予想は当たっていた。

70歳現役ゲーマー

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そこにはドクターマリオをひたすらプレイし続ける母がいた。

ちなみに私の母は今年で70歳になる。

他にもYou Tube、マンガ、映画、ドラマを朝の5時まで見続ける時もある。

おそろしい集中力だ。
私にはとてもマネできない。マネしたくないが。

ありえないと思われるかもしれないが事実である。「信じられない」という人は、ぜひ深夜に私の家に来てみてほしい。

ちなみに
我が家には侵入者撃退用のトラップが張り巡らされているので注意が必要だ。たまにその存在を忘れて私自身がひっかかることもある。我が家は狭いのだ。

それにしても、この年齢でこの集中力は正直いって私も信じられない。

きっと母の体は機械でできているにちがいない。

カドを曲がるときは体より先に顔を曲げ、関節を動かすたびに「ウィーン、ウィーン」と音が鳴っているのだろう。

もし、敵が攻めてきたらオッパイミサイルで撃退してくれる。なんとも頼もしいものだ。見たくないが。


私の母はドクターX


さすがに毎回朝の5時までプレイしているだけあって、母のドクターマリオの腕前はプロ級だ。

このゲームはステージで難易度を選べるのだが、当前のように毎回MAXの20を選択。

カプセルを落とす速さも、あえて最も速いタイプを選んでプレイ。

『ぷよぷよ』等とちがって、連鎖の難しいシステムであるにもかかわらず、2連鎖3連鎖はあたりまえ。

みるみるうちにウィルスが撃退されていく。

「私、失敗しないので」と今にも口走りそうだ。あなたがドクターXか。

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だが、どんなに歴戦練磨の母といえど、敗北するときもある。

まれにゲーム開始時に、いきなりプレイを放棄する場面があるのだ。

「あれ?なんでやめちゃうの?」と私が聞くと

「今のはダメなパターンだから」
と、医者になりそこなった母が言葉を返してくる。そしてさっさとゲームオーバーにして、もう一度はじめからやりなおす。

いや、むしろやり慣れているからこそ
スタートの段階からダメなパターンを瞬時に見分けることができ、いさぎよく諦められるのだろう。匠の技である。

手術のオペを始める前に「ああ、これはダメなパターンだわ」と言って、なにも見なかったことにして颯爽と手術室を去っていく様子を想像していただきたい。

そして手術室を出たあと、呆然とする他の医師達を振り返って一言。

私、失敗しないので」と言い放ち、次の患者へと向かう。

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カッコイイ。
確かに、そもそもオペ自体を実行しなければ成功も失敗もない。

しかし、いくらプロとはいえ患者の身にもなってほしいものだ。私はつくづく「母が現実の医者じゃなくて良かった」と本気で思う。


他のゲームでも縛りプレイ


母のゲームの腕前は本当に一級品だ。もしシニア部門のeスポーツがあったら優勝が狙えるのではなかろうか。

あきらかに「もう無理だろう」と思われる状態まで積み上がったカプセルの塔(カプセルタワー)も、母の手にかかれば一瞬で瓦解し、崩れ去るのだ。

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それはまさに「無免許医師だが、手術の腕は世界一ともいわれるどこぞの天才外科医」と重なって見える。あなたがブラック・ジャックか。

さすがスーパードクター。

ちなみに
母の頭文字はKなので、こちらのスーパードクターかもしれない。別にどっちでもいいが。

ちなみに、母はドクターマリオ以外のゲームは一切プレイしない。

一時期はファミコンのボンバーマンにハマって、例のごとく朝の5時までやっていたことがあるが、やってる内にあまりにも簡単になりすぎて飽きたようだ。

最終的には、強化アイテムを一切使わないで縛り、残機をわざと0にしてプレイするという、いわゆる『オワタ式』で遊んでいた。なんなんだこの人は。

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あきらかに普通の楽しみ方ではない。クリアできるかどうかよりも、スリルを味わえるかどうかを重視しているようだ。

あのまま続けていたらおそらく今頃は爆弾魔になって、テロリストとして全国に指名手配されていたにちがいない。

いや、それ以前に「本物の爆弾の威力が知りたいからちょっと試してみるね」と言って家のかべを破壊できるかどうか実験していたかもしれない。

勘弁してくれ。
そんなことをしたら部屋同士がつながってしまい、元々わずかしかない部屋数が、より少なくなってしまうではないか。我が家は狭いのだ。

破壊して崩すのはカプセルタワーだけにしてほしい。

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朝5時の謎


ところで、
ここまで読まれた読者のみなさんは、なぜいつも朝の5時までなのか、気になっているのではなかろうか?

ニセ医者である本人に聞いてみると
「新聞配達のにいちゃんが来るから…」という意外な答えが返ってきた。

どうやら歴戦練磨の天才外科医だろうが、全国指名手配中の爆弾魔であろうが、朝までぶっ通しでゲームをプレイしているのを他人に知られるのは恥ずかしいらしい。カワイイ。

しかし、最近は新しくYou Tubeの朗読動画にハマり出したこともあって、夜ふかしする頻度は減ったようなのでいろんな意味で安心した。

気が付くと大抵布団にもぐりこんだままタブレットのYou Tubeをつけっぱなしで眠っている。カワイイ。


普通じゃないからこそ


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私はよく母と一緒に映画館へ行ったり、休日にお茶をしに喫茶店へいったり、延々とバカ話で盛り上がる時もある。

どちらかというと親子というより友人感覚で接しているほうが近い。だがこれも仕方がないことだ。なぜなら私は友達が少ないのだ。

このような間柄になれたのは幼少期から母が私に対して過保護にするでもなく、放任するでもなく、ひとりの人間として対等な目線で扱ってくれたからだと思う。

私が思うに、成人後に親子が疎遠になってしまったり、その逆に親離れ、子離れできなくてお互いに依存してしまったりするのは、この対等な関係が築けていないからではないかと思う。

私の親は変わっている。

今回のゲーマーじみた部分もそうだが、考え方や行動もちょっとズレているというか、世間離れしているところがある。

祖父のようにガンコな一面もあるし、一匹狼的な部分もあってあまり人付き合いが豊富なほうではない。

やや攻撃的な性格だし、実際に怒ると怖い。

だが…
私はこんな母が好きだ。

むしろ、「普通じゃなくてよかった」と心から思う。


相手の幸せが自分の幸せ


今日も楽しそうにゲームをプレイしたり、マンガを読んだり、You Tubeの朗読を楽しそうに聴く母がいる。

ウチは父がいないので母が身ひとつで働いて私を育ててくれたのだが、定年後も楽しめる趣味があるというのは良いことだ。

私はそんな母の様子を見て、ちょっと微笑ましくなる。

「今が一番幸せ」と母が言う。

私も同じ言葉を返す。

家は決して広くはないし、世間的に見れば貧しそうな暮らしに見えるかもしれないが、私は何不自由なく、豊かな暮らしができていると思っている。

「子の幸せが親の幸せである」とはよく聞くが、子の私からすれば「親の幸せが子の幸せである」ともいえるのだな、と最近感じた。

だがしかし…
もし母が本当に医者でたくさん稼げていれば、我が家ももうちょっと広かったかもしれない。

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