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切迫早産で安静入院した2か月間のこと

このコロナ禍で「なるべく外出しないように」と言われる生活が始まって、ふと「この状況、なんか懐かしい」と思った私。

そうだ、この葉桜の季節……!

3年前の今頃、切迫早産で絶対安静にしなければならなかった状況を思い出しました。

切迫早産で丸2ヶ月間、厳しい安静入院を余儀なくされた生活をしていた私にとって、今のコロナ禍による外出自粛といっても今こうして晴れた日には散歩が許されて必要あれば買い物にだって行かせてもらえる生活、なんて有難いのだろう! そんなふうに思っています。

入院中は、ベッドから降りるのもダメだし同じフロアにある自動販売機に行くのが夢のまた夢だったーー

桜が咲いててもガラス越しに眺めることしかできず、病室の窓が5cm位開くのでそこから必死で外の空気を吸っていたな(笑)。

2017年の2月頭〜4月までの丸2か月間、切迫早産にて安静入院。
入院先は、世田谷にある国立成育医療研究センターです。産科と小児科が国内最大といわれる病院で、他の結構大きな病院でも手に負えなくなった患者さんが最終的にここに運ばれてくるという感じのようです。

私はここの病院に2か月間いさせてもらい、結果的に大好きになりました。

病院の周りが公園のように桜や木々が美しく折りなっていて、とても良い気が流れているんですよね。病院内には子どもを飽きさせない仕掛けがあったりして、大きなキッズスペースのよう。先生や看護士さんたちも優しくてアットホームで、完全に思い出の場所。娘が1歳になった時に再訪したほどです(笑)。

それはさておき、私が切迫早産になった経緯はー

妊娠6か月頃から当時通っていた近所の産婦人科の医師に「ちょっと子宮頸管長が短いですね……」と言われ始めて転院の話も少し出ていましたが、そこの病院のお祝い膳が豪華だったりホテルみたいに綺麗な病院で気に入っていたのでできればそこで産みたいと思っていました(今となっては何とも浅はかな理由!笑)が、その後「うちの病院で万が一早産になった場合手に負えないので大きい病院に救急搬送となりますが、その搬送の時間に赤ちゃんの命を落とす可能性もある。そうなったら後悔してもしきれないでしょ?」と言われ、成育病院に転院となって安静入院となりました。

最初の産婦人科で子宮頸管が短いと診断されたときは結構な量の薬を処方されて飲んでいたのですが、成育にうつったら「一番の薬は安静にすることだから、特に飲み薬は出しません」と言われてポカンとしたことを覚えています(笑)。成育は、「安静にして、それでもダメなら入院!」というシンプルな方針のようです。

「お腹の張り」によって切迫になる人も多いみたいですが、私はもともと子宮頸管長が短かい体質らしく……もう切迫になる運命だったみたいです。

出産後の健診で、担当医に「2人目生むときは、倍の安静期間になると思って覚悟しておいてくださいね」と言われました……安静4か月になるのか(白目)ま、予定はないからいいけども!(笑)

突然言い渡される「今日から即入院」

定期健診に行って、本当に突然「今日から入院です」と言われるのが切迫あるある。

「まだベビー用品の準備ができてないんですけど」
「入院グッズ何も持ってきてないから取りに帰りたい」
「マタニティフォト撮っておきたかったのに(涙)」

などなど……言いたいこと、やりたいことは山ほどある。

でも「赤ちゃんの命にかかっているので」の一言で、すべて打ち消されるんですよね。有無も言わさず即入院です。

気づいたら、病室のベッドの上。

「ベッドから動かないでくださいね」と看護士に言われて、そこから寝たきりの生活がスタートします。

入院生活の時系列

<2017/2/1 28w5d 8か月>
紹介状を持って転院先である成育病院へ。
そこで初めての健診に行くと、子宮頸管長15mm。
「入院した方がいいレベルです。ラストチャンスで1週間、自宅で絶対安静にしてみてください。来週の健診で結果が悪ければ、入院になります」との予告。

<2017/2/7 29w4d 9か月>
転院後2回目の健診にて、子宮頸管長18mm。
安静にしたわりに、大して良くなっていない、このままだと危険だということで即入院決定。

〜入院生活がスタート〜
基本的に、ベッドの上で横になっていること。
立つのはトイレの時と、週2回のシャワーのみ。
毎週の診察結果により、結果が良ければ同じフロアの自動販売機に行くことが許される。結果が悪くて移動する時は車椅子。
エレベーターに乗って2階下の売店に行くことは、夢のまた夢という感じ。
病室の窓が5cmほど開くので、たまにそこに顔を近づけて外の空気をクンクンと吸っていました。

<2/14 30w4d 8か月>
院内の診察にて、子宮頸管長21mm。
赤ちゃんは1600gぐらいになっていた。

<2/28 32w4d 9か月>
子宮頸管長11mm!
安静入院してるのに、かなり短くなっていて凹む。
早産になってしまうかもという不安、1日でも長くお腹の中に居てと願う。

<3/6 33w3d 9か月>
もう一つの問題。
血液検査で抗M抗体が出ていて、出産時に出血があった場合、自分の血が必要になるため、自血を溜めるための鉄剤服用スタート。 

<3/7 33w4d 9か月>
子宮頸管長15mm。
先週より4mm伸びたのが救い。

<3/13 34w3d 9か月>
安静から6週間、入院から5週間。
予定日は4/22だったので「学年的に、なるべく4/2を越えてほしい」という家族からのプレッシャーもあり、ちょっと精神的に辛くなってきて、この日初めて「退院したい」と思った。

<3/14 34w4d 9か月>
子宮頸管長9mm。
初の1ケタに衝撃を受ける……!
でも主治医は「しゃーない、頑張って37週を目指しましょう」と言われる。
毎日カレンダーを見過ぎて、気が狂いそうに。
でも一つ朗報が!
諦めていたマタニティフォトの院内撮影OK出た(個室の中だけで友達に撮ってもらうことに)これだけが今の楽しみ、生きる希望に。
ただ、鉄剤1週間飲んだのに貧血が悪化してて貯血が延期になった……。

<3/21 35w4d 9か月>
子宮頸管長7.3mm。
赤ちゃんは2313gくらいに。

<3/22 35w5d 9か月>
400ccの貯血。

<3/24 36w0d 10ヶ月>
夢にまで見た“臨月”突入!!

<3/26 36w2d 10か月>
病室内で念願のマタニティフォト撮影!
撮影は写真はエステのMiCHiCOさんが撮ってくれました。
ここ、信じられない狭い病室の壁なんですよ…そんなことは微塵も感じさせない凄腕!感謝です。

<3/29 36w5d 10か月>
入院中最後の診察で、子宮頸管長4mm。
もうかなり短いけど、もう臨月入ったし生まれても良いよと言う気持ちに。
貯血400cc。

<3/31 37w0d 10か月>
やっと正産期突入!!

<4/1 37w1d 10か月>
晴れて退院!!!
退院したその足で、ずっと食べたかったラーメン屋さんへ。
とんでもなく美味しかった記憶が。

↑入院した日と同じ服なのが、即入院のリアリティ(笑)冬のマタニティニット、もうこの時には暑かったです…

<4/2 37w2d 10か月>
退院した翌日にも関わらず、友達の誕生日会へ参加、その後代々木公園でお花見を楽しむ。
入院していた時からしたら、夢のような豪遊!

<4/5 37w5d 10か月>
退院後初の検診。
もう薄い膜一枚しかなく、赤ちゃんの頭がすぐそこにあると言われる。
赤ちゃん2859g ぐらい、子宮口が2.5cm開いてた!
退院したらすぐ出てくると思われてたのに、なかなか生まれないのが不思議と主治医に言われて帰宅。
この日から一転して、歩きまくる生活へ。

ちなみに美容院に行きたいと直訴したら「絶対ダメ!美容院で産気づく可能性もある状態なんだから我慢して」と言われました…ただでさえ入院期間2ヶ月行けてなくて髪が伸びきっていて、しかも入院する少し後に美容院行く予定だったので本当にバッサバサでしたが、出産前に美容院へ行くという願いは叶わず(涙)

<4/9 38w2d 10か月>
夢のまた夢だったベビーシャワー!
友達が企画してくれた、感謝!!

<4/12 38w5d 10か月>
退院後2回目の健診。
もう赤ちゃんは3080gくらいで、子宮口3.5cm開いてると言われる!
また帰宅。

<4/13(木) 38w6d 10か月>
家で陣痛が来たら即生まれ出てしまう可能性があると心配され、家族会議で来週月曜に入院、火曜に計画分娩の予定が組まれる。
でも本当は、ここまで赤ちゃんも私も頑張ったんだから、自然に生みたいと思っていた……。

<4/15(土) 39w0d 〜お産へ〜>
21:00頃 生理痛のような鈍痛、だんだん間隔が短くなってくる。
23:00 陣痛タクシーに乗って病院へ。週末の夜なので道が混んでいた。
23:30 病院に着くと子宮口が4.5cmに、即LDRへ。
1:10 子宮口7.5cm。無痛分娩の準備をしてもらっている間に、助産師さんにグリグリされて破水(この時が一番壮絶だった)。
2:30 子宮口9cm。麻酔効いて何も痛くない、分娩にむけて体力温存すべく仮眠。
3:30 子宮口10cmになっているよと叩き起こされ、息みスタート!
5:04 するりと赤ちゃん誕生!拍手で出迎えて、早速娘を撮影しまくる。

こんな感じで、妊娠期間は切迫早産に悩まされたけれど、生まれる時にはスルッと出てきてくれました。体重は2710g。

計画分娩日より前に、自然に出てきてくれた娘に感謝!

切迫入院で大変だったこと

・2か月安静にしていると、劇的に体力・筋力がなくなっているので、歩くのも困難になっていました。ゆっくりしか歩けないし、まっすぐ歩くのってこんなに難しいっけ?と思ったほど。だから産後の育児は本当に大変でした。
・引きこもることがそんなに苦ではないタイプの私でも、日光に浴びられない日が続くと、精神的に弱ってきました。受けられない仕事も多く、それについては悔しくて何度も泣きました。
・ベビー用品を「店頭で見て触って買う」ということが一切できず、すべて通販で購入するしかなかったこと(amazon様様でした)。本当はもっとこだわって揃えたかったです。
・美容院に行けないこと。出産前にヘアカットやカラーをしておきたいという多くの妊婦さんが思う事ができないのは地味に辛かったですね。産後の授乳やおむつ替えの時に長い髪が邪魔でした!

でも辛いことばかりではなかった切迫入院。いいことも沢山ありましたよ!

切迫入院して良かったこと

・妊娠中の大事な期間に、栄養バランスの取れた病院食を三食摂れたこと。赤ちゃんへの栄養としても最善だったと思います。きっと自宅で安静にしてたら、自分でちゃんとした食事が用意できなかったと思うので…体重も妊娠前から+7kgでおさまり、産後はすぐ元の体重(というか授乳の疲れでマイナス)になってました。
・毎日看護士さんや医師に会うので、妊娠や出産後の不安に思うことが、どんな小さな質問でも気軽に聞けたこと。私の場合は、お腹にサラシを巻く方法を教えてもらったり、バースプランの細かなことを相談して変更させてもらったりしました。
・一日中ベッドの上にいるので、寝放題だし食事も3食上げ膳据え膳で、人生最大にゆっくりできる休息期間をもらった感じです。産後、睡眠がまともに取れないハードな日々になってみて、「一日でいいからあの入院生活に戻りたい」と思ったほど(笑)切迫プレママは「休むのが仕事」なんですよね!
・成育病院には、妊娠中に様々なトラブルを抱えている妊婦さんや、病と戦う小児科の子ども達が同じフロアにいたので、「無事に出産することや生きていることが当たり前ではない」ということを学ばせてもらったこと。これはその後の育児にあたっても、よく思い出します。
・産後の健診で病院を再訪したときに、先生や看護士さんとの再会で盛り上がりました(笑)。卒業した学校を訪れたような感覚で、青春の思い出の場所が一つできたような気持ちになれたこと。

私の娘も、明日3歳になります。
出産してから3年育児して、気がつけば切迫早産で2か月間入院してたことをすっかり忘れていました(笑)。それくらい育児って毎日ドタバタ!

今、切迫早産で安静を余儀なくされている方へ。
安静にと言われても、一日何もしないと「これでいいのか?」と不安になると思います。ましてやコロナ禍の今。一日一日を、とにかくお腹の中にいてと願いながら過ごされていると思いますが、何があっても横になっていてください(座っているのも良くないので、横たわることが大事です)。家事が、買い物が、仕事が、旦那さんが等々、、、色々あると思いますが、とにかく横になる!それが赤ちゃんと家族皆のためになります。

今、第二子を妊娠中の方へ。
上の子がいると、その子の相手をして公園で追いかけたりして、気づけばお腹が張って切迫になることが多いように思います(特に上の子が男の子のママはよく走り回ってたりで、切迫になる人が多い印象)。
今は健康でも“切迫早産になる可能性がある”ということを、頭の片隅に置いておいてもらえるだけでも、切迫のリスクは低くなるかと思います。
私の周りにも(ちょうど3歳差で)第二子を妊娠している人が多くいますが、本当に気をつけてほしいです。

以上、私の切迫入院の記憶を思い出せるだけ綴りました。
拙い文章で恐縮ですが、最後まで読んでくださりありがとうございました!

同じような境遇にいる方に、少しでも参考になれば幸いです。


※あくまで私の記憶と感想なので、医学的なこと等事実と異なる部分があるかもしれませんが、そこはどうかご容赦ください。


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