雪空

『すべてがミニチュア』感想文

2019年11月24日の文学フリマ東京にて購入いたしました
がねさんの『すべてがミニチュア』より引かせていただきます。

あなたあなた 気づかなかったね降る雪も降らない雪もわたしだったの

「親戚みたい」という連作の中の最後を飾る一首だった。
わたしはこの歌に一目ぼれをしました。一目ぼれっていうか一読ぼれ?ただすぐにこの感覚は言葉にできないので、まずはこの連作全体に触れてみようと思う。
この連作は冬から春になる少し前の季節に、別れを詠う一連のようである。全部で20首であるが、通読した感じで、どうも主体が二人いて交互に入れ替わっているように感じる。便宜上、1首目から順に番号を振ったとして、奇数歌・偶数歌と書くが、奇数歌に一人称は登場しない。また奇数歌の二人称は「きみ」である。そして偶数歌については一人称が「わたし」、二人称が「君」と「あなた」だ。じゃあ、登場人物は3人なのかな…と思いたくもなるが、私は「君」と「あなた」は同一人物のように感じた。
では、ここで「君」の出てくる歌を引く。

ガラス玉ひとつください君の目が映す世界を見せてください

最初に引いた歌の二人称は相手に呼びかけているもの、次に引いた歌は呼びかけているものではない、と判断した。呼びかけている、と思うのは「あなたあなた」という繰り返しの表現からだ。
「君」に「あなた」と呼びかけている「わたし」の歌なのだ。
雪に「わたし」は自身を重ね合わせて、終わってしまった二人の恋を振り返っているのだろうか。「あなたあなた」と呼びかけても多分、返事はないのだろう。その余韻が一字空けに表現されているように思った。
単に「雪」ではなく「降る雪」「降らない雪」としている。雪は雪でも、雪ぜんぶ、と言いたいのではないかと思った。降った後の積もった雪も、融けていく雪も、融けずに残る根雪なども、ぜんぶ。それがぜんぶ「わたし」なのだと詠っている。
雪は冬の間、「あなた=君」の周りに常にあったのだろう。でもその雪がまさか「わたし」だと「気づかなかった」し、「わたし」は「わたし」で「わたしだったの」と過去形で詠まれている点からもすべては「わたし」の述懐なのだろう。
作中の二人のお別れの理由ははっきりはわからない。連作中全体の単語を拾っていくと、「遺された」や「目も声も遠くなる」とあったりして、死別の予感も感じさせる。「わたし」は融けていなくなってしまう雪なのか。
でもそうなると、季節が廻ればまた雪は「あなた」の上に降ってくるのだろう。だからまた会えるの、悲しまないでね、ということに気づいてほしかった、という「わたし」の想いにも感じる。

と、長くなりました…。
私がこの歌に惹かれた理由が自分でも整理できたのかはわからないのですが…、がねさんの超自由詠とかも大好きですが、こういう詩情あふれる雰囲気の歌がもっと読みたい…と思った次第です。

という訳で、私の拙い文章で気になった方がいらっしゃったら嬉しいので、ほしいと思ったら、こちらで、通販やっています!(勝手に宣伝)

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