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「日本人」として消える日まで⑤

イルミナティの餌食 ― 思考停止状態の世界

本を読むとは、自分の頭ではなく、他人の頭で考えることだ。たえず本を読んでいると、他人の考えがどんどん流れ込んでくる。自分の頭で考える人にとって、マイナスにしかならない。なぜなら他人の考えはどれをとっても、ちがう精神から発し、ちがう体系に属し、ちがう色合いを帯びているので、決して思想・知識・洞察・確信が自然に融合してひとつにまとまってゆくことはない。

これはショーペンハウアー著「読書について」の中の一節です。人より少しだけ知識欲が強く、本を読むことが好きな私には、少しチクリと刺さる内容です。しかし私は、このことは私だけでなく、現代を生きる人々全員にいえることなのではないかと考えます。

ここでいう「本を読む」を、「テレビを見る」や「SNSを見る」に変えてみてください。私にはどれもやけにしっくりきます。ショーペンハウアーの鳴らした警鐘は、現代においてもなお、通ずるものがあるのかもしれません。

現代の社会ははっきり言って、思考停止状態にあると思います。

「こうしろって言われたから」

「周りがみんなこうしているから」

「こうすると安くなるから」

意味はない。環境がそうだからそうする。そんな受動的な人間は、環境適応能力が高いといえば聞こえはいいですが、裏を返すと、イルミナティの恰好の餌食でしょう。

繰り返しになりますが、彼らのゴールは人間のコントロールです。目指すは超管理型社会なのです。

こちらの資料を、軽く読んでみてください。※決して怪しいものではありません。こちらは、文部科学省の発表している今後の技術政策に関する資料です。簡単に言うと、ユビキタス社会を実現して、安心・安全・快適・健康な暮らしを目指しましょうという内容です。

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ここに書いてあるのは夢のような、便利な暮らしかもしれません。しかしその裏では、徹底した管理体制が構築されることを見逃してはなりません。

マイナンバーなんて、なんで必要なんだって思いませんでしたか?あれだけ大騒ぎして大急ぎで作った割に、大したことには使われていない。おかしいと思いませんか。最近始まったキャッシュレス制度も、なんで何もしてないのにお金が返ってくるんだと思いませんか。

何度も言いますが、裏にある目標は、超管理型社会です。それさえ達成できれば、彼らは何でもするんです。経済の流れを変えることも、戦争を起こすことも、災害を発生させることも(?)。そして私たちはまんまとその手に乗っかっているわけです。お金がもらえると聞くと、細かいことなんてどうでもよくて、喜んで従うのです。

従う人々を全て否定するつもりはありません。お金が正義である社会においては、もしかするとそれが正しい判断なのかもしれない。けれどもそれを分かって従うのか、訳も分からず餌についていくのとでは、雲泥の差があると思うのです。

これから先イルミナティは、どんな手を使ってくるかわかりません。そんな中、どこかのタイミングで、「これはまずいんじゃないか?」と踏みとどまれるかどうかにかかっているのだと思います。いつも社会を能動的にとらえられているかが、今後の私たちの命運を握っているのではないでしょうか。

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エピローグ ― 「日本人」として消える日まで

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筆者は最後、これからに向けてのアドバイスとして「生きる次元(波動)を変えろ」というアドバイスを残して本書を締めくくっています。高速道路と一般道を走る自動車のように、生きている次元(波動)が違えば、同じ世界にいても互いが互いを認知して関わることはないということです。

そう言われればそうなのかもしれませんが、「あなたが幸せを手に入れるための」なんて表紙で銘打っている割には、なんともぼやけてはっきりしない終わり方です。そのため私は、今回の投稿を通じて、私なりの思考を整理して、これからどう生きていくべきなのかについて考えました。

その考えはこうです。

「能動的自信教」を開くこと

そしてその上で

「日本人」として消えること

最後の最後になって結局怪しいスピリチュアルと精神論かよ、なんて思わないでくださいね。これでも私なりに考えてみた結果なのです。もちろん、この考えはこの先変わっていく可能性も大いにあります。

まず「能動的自信教」を開くことについてです。自信教については、③稿の3節に書いています。私は、これからを生きる上で私たちに必要なのは、自分自身を信じるための自信教なのではないかと考えます。そして、自分を信じられるようにするために、信じる力の源を、獲得し続けることが必要だと思うのです。その行為が、次項に記す「生涯」学習です。

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次に、「日本人」として消えることについてです。この鍵かっこがポイントです。ここまで書いてきたように、現代の日本は、レプティリアンやナーガの侵攻によって、純粋なムーの国ではなくなりました。現に私も、テレポーテーションや次元(波動)間の移動はできません。しかし、私はきっと他の「みんな」よりも、現代社会に違和感を感じているのだと思います。そしてそれはきっと、私の中にかすかながらにも、ムーの血、いや波動が流れているからなのだと思います。だとすると私は、ムーを継ぐ者として、これからも生きていかなければならない。ごちゃ混ぜになってよくわからなくなってしまった、ただの日本人ではなく、みんなの自由で平和な暮らしを望む、真の「日本人」として、これからの社会を見つめていかないといけないと考えるのです。それでいて、無駄な対立はしない。次元は越えられないけれど、ある種現代の社会から消えることが必要なのではないかと考えます。

これは私の個人的な思考にすぎません。この考えを誰にも強要するつもりもありません。しかしもし少しでも、私と同じように社会に違和感を感じている人がいるならば、本書の内容を踏まえて、これからの日本について語り合いたいなと、ただそう思っているだけです。

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真の「生涯」学習社会をめざして

私は、これからの社会では、「お金では手に入らないもの」の価値が、これまで以上に高まるのではないかと考えます。そしてその最たるものが、「知」すなわち学びです。

お金なんて、いつなくなるかわからない。いつ急に職を失うかわからない。そんな時、最後身一つの人間に残るのは、それまでの人生で経験し学ぶことで獲得した「知」だけなのではないかと考えるのです。人生とは、そのためにあるのではないかと思うのです。

そしてその「知」こそが、自分を信じる力の源になるのだと思います。学び続ける事こそが、これからの時代を生きていく上で、食べることと同じくらい重要なことになってくるのではないでしょうか。

そこで目指すべきは、字面を並べただけの生半可なものとは全く異なる、真の「生涯」学習社会です。

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ブリューゲル作 「子供の遊戯」

先生に言われたことを鵜呑みにするのではない、やれと言われたからやるのではない、自分が好きだと思えることを、とことん追求してみる、やり切ってみる。生涯を通して学び続ける。生きることこそが学び学ぶことこそが生きること

それが当たり前になる日を目指して、私は少し、「日本人」として消えてみようと思います。


おわり

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