才能と努力の有無について

地頭はいいのに努力しない人、努力はしてるけど地頭が悪い人。どっちも聞こえは悪いけど言い方を変えれば、努力が下手だけど地頭はいい人、地頭は良くないけど努力できてる人、になる。結局それが良いか悪いかの判断は「結果が付いてくるか」になる。そもそも地頭や才能の有無は大差ないと考えた方がいいと思う。

それでも「あきらかに努力してないのにそれなりにできる人」は存在する。いわゆる容量のいい人ってやつ。
その差はどこから来るのか。

結論からいえば、地頭も才能も「努力の賜物」である。
これはさすがにざっくりしすぎてるけれども。
少し崩せば、経験値とも言える。

「頭がいい人」「才能がある人」はそれまでの生活で積んできた経験が役に立っている人。経験とは、勉強なら読んだ本の量とか、小さい頃からの計算量とか。絵とか歌とかならもっと単純にこなした量と言える。もちろん興味分野は家庭環境とか幼い頃の生活で変わるし、性格的な問題もあるので例外はあるけれど。

地頭や才能が経験値である以上、日々を普通に送っていれば経験値はどこまでも溜まっていく。つまり地頭はどんどん良くなっていく
毎日勉強していればその分「勉強」の経験値は溜まっていく。毎日歌ってたり、絵を描いたり、喋ったりしていれば、その能力は次第に伸びていく。

今の時点で地頭がいい人は、「それまでで周りより少し多くある分野に時間を費やしてきた人」である。
その差は時間をかけることで埋めることが出来るので、人と比べて才能がないと言って落胆する必要は無い。
逆に言えば、その分の時間を何処かに費やしているはずなので、その分の才能がどこかで伸びている。

最後に、地頭は成長していくと言えると思う。伸ばしたい力があるなら時間をかけるしかない。今で満足なら他のことをすればいい。自分の頭をレベリングするつもりでいれば楽なんじゃなかろうか。

P.S.  でも努力って大変だよね。( ゚д゚)、ケッ

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