なぜ「星虹思械BRICOLEUR」を作るのか。原動力は好きであること。
いきなり脱線しますが、何かモノを買うときにいろんな人のレビュー動画を参考にすることが多くなりました。
ブラウザの機能もあってか最近は広告をほとんど見なくなったのですが、意図された宣伝文句に心動かされるというよりは、動画の中で熱く語る人の熱量に好奇心を掻き立てられ、次の行動が決まるということが多くなったように感じます。影響受けやすいわけではないと思うのですが、、。
そして動画内で熱弁する人自身にも興味・関心を持ち、その人が興味を持っていること、使っているもの、知識、スキルなどにも興味が湧き、好奇心がさらに広がる構図となるわけです。もしかしたら戦略的に誘導された可能性もゼロではありませんが、何が言いたいかというとその人の個性そのものがコンテンツになっているわけです。
「熱量」は好きかどうかで決まる
このように売り手・作り手に熱量があると、消費者は自然とその想いを受け入れ、自らも知識を広げてくれるようになります。そのため熱量を伝えられる人がいるかどうかは、プロジェクトが成功するカギにもなったりします。そういう局面をよくみかけました。
会社などのプロジェクトの場合、もちろんマーケティングや市場分析、その他クリエイティブも重要ですが、そもそもやりたくもない仕事をやらされている、みたいな空気になっているプロジェクトを見たことがあります。熱量は製品やサービスに対する理解度や、仲間を巻き込む積極性にも大きく影響してくるのでとても大事な部分のはずです。
自社の製品やサービスが良いものであっても、そもそも消費者の手前にいる身内の人たち(社員など)に、興味・関心をもってもらう努力を怠ったり、方法を間違ったりすると、その先にいる人にも伝わる情報も浅いものになってしまうわけです。好きなものとして語ってくれる仲間のチカラは侮れないのです。
自社の製品やサービスが好きか、所属する組織が好きか、メンバーが好きか、それらを自慢できるかなど、「好きかどうか」で社員含むステークホルダーの取る行動が決まってくるわけです。
「熱量」供給のためのスキル
デザイナーの思考プロセスは常に消費者に近い位置で物事を考えますから、その価値や熱量を伝えるのために、消費者目線の課題解決において、どのようなクリエイティブが最適かを現場を通して学んできています。
人を中心に考えるということは、商品やサービス開発だけでなく組織作りでも同じで、デザイナーやクリエイターは組織やサービスの解像度を上げ、自分はどこに向かい何者を目指すのか、どんな良いことが待ち受けているのか(MVV:ミッション・ヴィジョン・バリュー)、インナーブランディングにも大きく貢献が期待できるわけです。
デザイナー・クリエイターの活躍の場が事業開発や組織作りなどにも拡張する一方で、人を動かすための熱量が不足したり、MVVの方向が定まらなかったりすると、不透明のプロジェクトに陥ったり(何をやっているかわからなくなる状態)、短絡的な丸投げで迷走状態に陥ったりすることがあります。そのようなプロジェクトも多く見てきました。
人の心を動かしたり、協力者を巻き込んだりするには、社内外ともにエンゲージメントにより大きく改善もされることがあるわけですが、極端な話「それについて熱く語れるか」「好きなこととして語れるかか」これに尽きるとも言えます。
それは日頃から夢中になって取り組めるものなどにより訓練されていくものです。プライベートなどで多くの時間を割くことになるし、生き方の選択すらも必要とする場合もあります。そのような人たちは「できない理由」を並べるより「できる方法」を考える思考を常に持っており、自分なりの熱量を供給するための何らかスキルを発動させているのだと思います。
僕らクリエイティブに携わる人間ができることは、迷子になっている熱量そのものを認識・誘発させることもあると考えており、そのスキルを持つ人、気づいている人が今後必要とされるクリエイターなのではと考えています。
こころ動かす者とは
とはいえ、これがスキルなのか?といってもスキームなどが存在するわけでもなく、自分を「こころ動かす者」として、みんなの心を動かせるようなクリエイターになってやろうとか、そういう大層なものでもありません。単純に私の好きなアニメの主人公?が「星を動かす者」と呼ばれるシーンがあって、それにあやかっているだけです。
「星虹思械BRICOLEUR」というインディアニメ制作に取り組んでいるのは、ブリ子とレヴィという自分が考えたキャラのことが大好きで、「なんだかよくわからないけど作りたい欲求」に素直に実行しているだけのことです。
人のために時間を費やすというよりは、自分のために使った時間が、結果誰かに必要とされたり、喜ばれたりするならばいいなあという、自分自身がコンテンツに感じてもらえるような、自分への宣言みたいなものです。
色々考えてやってきたことは経験や知識として価値あるものとは思いますが、どちらかというと好き勝手やってる方が、割と必要とされることが多くなってくるのでは?と思い始めているところです。