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(小説)solec 4-8「アナーキスト」

 安藤水子の経営する小さなギャラリーla musée comme medias(メディア美術館)」は文字通り、あらゆるコミュニケーション媒体をテーマとしたギャラリーである。
 ソレクには各研究機関によるシンクタンクの集合体という側面はあるが、あらゆる情報を何かひとつの媒体を通して見ることは不可能だ。そうなると、一個人としては「見たいと思った情報」しか享受しなくなる。必然的に学業の分業化のみならず、職業選択などの意思決定の段階でもその分業化の影響が出る。あとは人間のセンス、ひらめきに託されており、そのための人材をソレクは世界中から集めている。また各データベースの並列的情報処理を横断するようなニューラルネットワークまたは学習演算プログラムも活用されている。ソレクはこれにより各々が最高の能力を発揮することで、最高のパフォーマンスを実現できた上で、多様な思考と選択肢のもとで各々の自由意志が実現していると概ね理解しているようだが、水子には納得がいかなかった。

 水子の過去。あの理化学研究所での事件はまさにそういう体質が生んだのではないかと、確信している。

なぜ、あれほどに軍の横暴が許されてしまうのか。

なぜ、ソレク軍の存在をソレク国民は曖昧にし続けるのか。

 それは、メディアが機能していないからでないか?ソレクには多数のシンクタンクが存在し、常に競い合っている。むしろ言論の自由は人類史上最大に、完全に担保されている。しかし、一体、誰が、あの街から外側へ、取り分け第2、第1段階まで調査目的ではなく、生きるために生きたことがあるのだろうか。最高の学術機関にとって、この街は「サンプル」に過ぎないのだ。
//一匹の猫が屋根から飛び降りる。
 もともと実験国家のひとつとして20世紀に現れたソレクにとって、世界や都市が社会的実験サンプルのひとつひとつとして認識されるに至ったことは至極真っ当な話だ。そして、世界の発展のために課せられた目標としての第5段階。ソレク自身も未だ達成していない第5段階。その存在が世界の永遠の目標であり計画として君臨するかぎりにおいてソレクの世界を前進させるための実験は繰り返される。それぞれの都市に与えられた段階は、ソレクがソレクであるために、社会実験を繰り返し、永遠の発展をするために、あえて残してあるものなのだ。

水子が見上げるとそこには開業前からこの建物に刻まれていた文字

「汝自信を知れ」

この街、そのものがメディアなのだ。

私たちは世界のすべてを知ることはできない。
だがソレクにとっては果たして、どうだろう。


 ここができた当初、まじめな私はまるで図書館のように、品々をところせましに陳列していった。ギャラリーのサブテーマ「世の中を笑うセンス」は彼女がいなければ、私は永遠にこんな心細い路地で持論に閉じこもり、それこそ、パリに漂うメディアにも無関心となっていただろう。いつも何気なくにこやかでいてくれる彼女にはそれ以外にもいろんなところで助けられた。

「ずっと一緒にいて。」今度、いつか私の方から、きちんと伝えてあげよう。あんなキスじゃなくて、言葉で。

//リズミカルな音楽が遠くから聞こえる


「お姉たーん!何考えてる!?」びっくりした!聞こえた?まさか、聞こえた?

アレックスさんの・・・こと。」

「浮気したら、許さないぞ〜。これ〜い!」わっ変なとこ触るんじゃない!

いつまで経っても、わたしと彼女はこんなんだけども、ギャラリーは確実に大きくなっていった。


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