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(まとめ)シューホフ 0-0「ロシアの4つの革命?」

はじめに 4つの革命(数学革命、産業革命、芸術革命、政治革命)

 本書は日本ではもちろん欧米においても未だマイナーなロシアの技師ヴラディーミル・グリゴレェービッチ・シューホフ(Владимир Григорьевич Шухов)(1853-1939)についての卒業論文を加筆修正したものである。技師シューホフの活躍の幅は一時期ユーラシア大陸最大の産油量を誇ったバクーの油田開発に始まり、全ロシア博覧会会場の建設や帝政ロシアでの輝かしい構造設計の数々から、革命後のロシア・アヴァンギャルドの様々な芸術家との直接的間接的関わりまで非常に広範囲に及ぶ。昨年2017年(この文章を僕が書きあげた年)はロシア革命からきっかり100周年となり、大小を問わず様々なイベントが国内外で開催された。そこで「革命とはなんだったのか?」ということが改めて問い直された。本論に入る前に、そのあたりの事情を整理するために、ロシアで起こった4つの革命について整理したい。

(1)数学革命(1830年代~) 

19世紀を通してロシアはとりわけ数学における幾何学と代数学において世界的に目覚ましい発展を遂げている。ロシア科学アカデミーの創立メンバーにはレオンハルト・オイラーを始めとする多くのドイツ系の数学者が含まれており、その蓄積と宮廷の庇護のもとに様々な革新的な発見が成された。とりわけヤーノス・ボヤイやニコライ・ロバチェフスキーらによる「非ユークリッド幾何学」(1826年2月21日ロバチェフスキーによる学術会議での発表)の発明と開拓は、リーマン、アインシュタインへとその後の数学のみならず理論物理学や力学に与えた影響は計り知れない。それは建築学においても例外ではなかった。その後も、トポロジーや確率論、代数学の分野(ブニャコフスキー、チェビシェフ、ルージン(モスクワ学派)など)での革新は20世紀に至っても続いてゆく。

(2)産業革命(1890年代~) 

 一般的には18世紀に始まるイギリス産業革命から約2世紀近くが経った1890年代からがロシアの産業革命の始まりであるとされる。これは当時の後発産業化国であったドイツや日本とほぼ同時期か、すこし遅れているくらいである。しかし、1774年からペテルブルク鉱山高等専門学校をはじめとして数多くの工科系専門学校の設立・運営と科学アカデミーでの西欧科学の蓄積というロシア独自の蓄積が急速な産業革命を支えていた。カンフル剤となったのはアレクサンドル2世の外交政策とフランスからの資金援助である。そして、もとは鉄道経営者のセルゲイ・ヴィッテの宰相就任である。この産業化の流れは革命期にまでおよぶことなる。とりわけ鉄道事業とバクーでの油田開発およびパイプライン輸送はロシアの重工業化には必須であり、さらに都市圏の給水やガスのインフラ敷設が大きな課題であり、シューホフはそのほとんどすべてに関わっている。

(3)政治革命(20世紀初頭)

 ロシア革命といえば、普通1917年の一連の政変のことを指す。古くはナロードニキ運動などの宮廷インテリゲンツィアの結社活動から始まり、19世紀末には一部の新興貴族層にも浸透した。20世紀初頭には兵士や一般大衆、プロレタリアートを巻き込む運動となり(ロシア第一革命、1906年)、遂にツァーリからドゥーマへと権力転換を果たした。(2月革命、1917年)その臨時政府もまたボリシェビキ政権へと武装蜂起を経て、ソビエト政府の樹立へと至る。

(4)芸術革命(19世紀末~、20世紀初頭)

芸術的変革の正確なはじまりは定かではないがロシア銀の時代と呼ばれるユーゲントシュティールと象徴主義の時代を経て西欧のキュビスムや未来派の影響を受けつつも、ロシア独自に発展をとげたものに、ロシア・アヴァンギャルドと呼ばれる政策をも巻き込んだ芸術運動が文学・絵画・彫刻・建築のみならず、デザイン・演劇・映画・音楽などにおいて展開された。マレーヴィチの「黒い正方形」やタトリンの「コーナーレリーフ」、ロトチェンコの原色で描かれた3つの正方形はともに絵画芸術の最先端であり、その限界に挑戦するものであった。

 技術者あるいは晩年はテクノクラートとしての立場に置かれるシューホフの人生はこれらの革命的時代の流れに大きく依存している。第1章ではシューホフの個人史。第2章ではシューホフと他の建築家との関わりについて、第3章ではすこし踏み込んだ考察を行っている。

 

 

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