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(まとめ)シューホフ 1-2「シューホフのアメリカ旅行」

2.アメリカ旅行

 モスクワ高等技術学校の理事会はまた、アメリカ旅行(1876-1877)で大学の講師に同行する機会を提供した。シューホフはチェビシェフの助手としての学問的キャリアを追求したいとして、はじめは申し出を拒否したものの、教授陣の勧めと彼の好奇心とが勝ち、旅行に参加することになった(註1)。この旅行団の目標は、米国における最新の技術的成果に関する情報を得ることであった。メンバーはオルロフと他2人のモスクワ高等技術学校からは計4人が選出された(シューホフが一番若い)。フィラデルフィア万博(1876年)(註2)には(ジンガーのミシン、ベルの電話機、最初の機械式タイプライターなど)数多くの技術的な新作が発表されていた。米国産業のこの巨大な業績と熱意は、ウォルト・ホイットマンの「展覧会の歌」によっても伝えられている。シューホフは博覧会を見学したのち、ピッツバーグの機械工場を訪問した。当時、ピッツバーグは米国内の製鉄業の中心地であり、さらに鉄道、その他産業が集積している。ピッツバーグは河川交通が活発であり、多くの艀を始めとする船舶がひしめきあい、随所に鉄橋が架かっていた。この風景に一行がロシアの後進性を見せつけられたであろうことは想像に難くない。このピッツバーグでシューホフはアメリカの鉄道工学を勉強した(註3)。

1876年のピッツバーグ(大きな鉄橋を数多くの汽船がくぐっている)


 さらにフィラデルフィアでは、後に彼の人生で決定的な役割を果たすロシアのエンジニアリング会社会長アレクサンドル・バリに会っている。シューホフは英語、ドイツ語、フランス語の外国の科学技術雑誌を読み込んで、すでに多くの情報を手に入れており、現地でも語学で苦労することはそれほどなかったと思われる(註4)。

 初期のシューホフのエンジニアリング活動では、ドミトリー・メンデレーエフ(1834-1907)(註5)との関係は重要である。シューホフとメンデレーエフはアメリカで出会っており、彼との接触はシューホフの考え方にとって重要な役割を果たした。メンデレーエフは同時期に「石油無機起源説」(註6)を唱えており、バクー油田の将来的可能性をいち早く指摘したひとりでもあった。シューホフとメンデレーエフは単なる面識があるという程度の関係だけではなく、メンデレーエフは自分の研究とその効果を公開するだけでなく、油田開発の広告や宣伝を務め、シューホフのバクーでの研究の新規受注を確保することで協力した。

 

註1.[Vladimir G. Šuchov, 1853-1939 : die Kunst der sparsamen Konstruktion] (ヴラディーミル・シューホフ、1853-1939、経済的構造の芸術)Rainer Graefe, Murat Gappoev, Ottmar Pertschi、 Deutsche Verlags-Anstalt, 1990.(ドイツ語)8ページ

註2.会場の鉄骨構造はドイツ人技師ヘルマン・ヨセフ・シュバルツマンによるもの

註3.[Vladimir G. Šuchov, 1853-1939 : die Kunst der sparsamen Konstruktion] (ヴラディーミル・シューホフ、1853-1939、経済的構造の芸術)Rainer Graefe, Murat Gappoev, Ottmar Pertschi、 Deutsche Verlags-Anstalt, 1990.(ドイツ語)8ページ

註4.[Vladimir G. Šuchov, 1853-1939 : die Kunst der sparsamen Konstruktion] (ヴラディーミル・シューホフ、1853-1939、経済的構造の芸術)Rainer Graefe, Murat Gappoev, Ottmar Pertschi、 Deutsche Verlags-Anstalt, 1990.(ドイツ語)20ページ「シューホフの孫フョードル・ヴラディーミル・シューホフはシューホフの書棚に様々な言語の技術雑誌を見ていたと記憶しているほか、現地において鉄道技術について学んでいることから推測」

註5.ロシアの学者のひとりで元素周期表の構築で有名である


註6.石油無機起源説とは石油の由来が、太古に死滅した生物の名残であるという説ではなく、地球内部から生ずる化学合成によって自然に生ずるものであるという説

Encyclopedie de l’environnment , Pétrole : les preuves de son origine biologique
https://www.encyclopedie-environnement.org/vivant/preuves-origine-biologique-petrole/#_ftn7 (参照2021-12-25)
"le savant russe Mikhaïl Lomonossov formule en 1757 l’hypothèse selon laquelle le pétrole liquide et le bitume solide tireraient leur origine de détritus végétaux transformés dans le sous-sol sous l’effet de la température et de la pression."

American Cities
https://archive.org/details/appletonsillustr00newy/page/78/mode/1up?view=theater


CHEMEUROPE.COM , Dmitri Mendeleev : other achievements
https://www.chemeurope.com/en/encyclopedia/Dmitri_Mendeleev.html (参照2021-12-25)
"Mendeleev studied petroleum origin and concluded that hydrocarbons are abiogenic and form deep within the earth. He wrote: "The capital fact to note is that petroleum was born in the depths of the earth, and it is only there that we must seek its origin." (Dmitri Mendeleev, 1877)"

Bureau International des Expositions
https://www.bie-paris.org/site/en/1876-philadelphia

さらに、メンデレーエフの生涯については以下が詳しい。

以上

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