(小説) 砂岡 3-1 「プリクラ」

塩崎はマザーボードを取り出し、それをもって帰った。
わたしと一緒に。電気街には行っちゃいけないって。
手をつなぎたくて。それだけで。同じ学年なのにおっきいその手で。白い肌で。
塩崎は消えた。
プリクラ取ったよね。
深く、深く、沈む。
パパのホバークラフトが燃えている。
もっと頭をなでなでしてほしかった。


「えっ?はっ」
おばあちゃんのひざ上で目が覚める。轟音に包まれながら。
ガタガタしていて、ときどきくる浮遊感。
とても気持ち...良くはない。
あと、エリザベスと王室のひと。
窓から外を見ると、水平線の向こうに海。
この轟音は夢の続き、では、なかった。
「えっ?」
わたしに現状を説明してくれるひとはいなかった。なぜなら、轟音がとても大きくて、みんな大きなイヤーマフをしているのだから。おばあちゃんが何か言って、わたしにもイヤーマフをしてくれた。すると、突然、まわりのひとの声だけでなく、いろんなひとの声、というか無線が入ってきた。

[una control, Royal air force 001 , Leaving 1 thousand 5 hundred for 200.][Royal air force 001 ,maintain 200. Contact iruga controll 332.5]
[una control, Royal air force 001, I afraid heavy-jaming]
[Royal air force 001 , if you want to answer, Contact iruga controll 332.5]
[huu]

 わたしはいま、間違いなく、エリザベスのヘリコプターの中にいる。この砂嵐の過ぎ去った晴れやかな空を北へ飛んでいる。
エリザベスは外を眺めている。なごやかな表情で、ぎりっとしたまなざしで地上を見つめている。


 わたしは思い出さなくちゃいけないんだ。スタバのこと、あのときのママの表情を、言ったことを。古本屋で忘れようとしたこと。あの場所の近くで起こったこと。それから、どうして私にダイビングセットを送るよう頼んだのか。いや、そもそもどうしてママがわたしが山へ行ったときその免許を取ろうとしていたのかを。

パパ…

そっか、塩崎のことも。


塩崎との関係はなんというか複雑で、というかシンプルで。
砂岡では植民地支配の影響でわたしも含めて黒人やアジア系がたくさん混じっていた。わたしのママはアジア系で、パパは黒人で、わたしは、どっちかな。とにかく塩崎はクラスでも脚と手が大きかった。そして彼女は白人というか、すべてが白かった。彼女はここからずっと北に旧エストランゲを越えた向こうカウナスという聞きなれない地名のところからきた。そこではアルビノが珍しくないらしい。それでクラスでいつもぽつんと浮いていた。いじめみたいなのはなかったけど、彼女はいつもひとりだった。彼女はひとりを好んでいた。そんな彼女をわたしは、そう、好きだった。というか、わたしが女性を、女性として好きであるということをわたしに教えてくれたのが塩崎だった。もちろん、彼女が直接わたしになにかを教えてくれたわけでもなくて、わたしが一方的にそう思って、気がついただけで。なんとなく、それでもひとめぼれだった。なんのきっかけもなく、なんの接点もなく。うん。つまりは片思いで。そんなわたしの視線が刺さったのか、わたしが塩崎をみつめて5年がたったとき、彼女のほうから話しかけてくれた。「食券交換しない?」。その日から塩崎のお昼の選択肢が増えたわけだ。うん。食券はAとBのふたつあって、一か月前に提出する。当然、一か月後に自分が何を食べたいかなんてわからないし、覚えてもいない。だから、塩崎はその日のお昼が気に入らない日はわたしの食券と交換するようになった。効率よく交換するため、わたしはA、塩崎はBを提出する。そんなある日、塩崎はドトールに誘ってくれた。彼女なりに感謝?罪悪感があったのだろう。とっても嬉しくて。わたしは自信満々でフェミフェミしたかわいいワンピースで出かけて行った。で、うん。塩崎は制服で来た。わたしはコーヒー、塩崎はティーとサンドイッチとケーキ。なんだか嫌な予感もしつつ、塩崎はわたしの知らないゲームの話をめっちゃ熱心に語った。そして、お会計、わたしは塩崎の分も、払った。その日の帰り、わたしはちょっと怒った。というかめっちゃ怒った。ドトールを出てすこし歩いたファミマの前で、わたしは「お前はわたしをなんだとっ」つって、財布を地面に叩きつけた。で、わたしが叩きつけたわたし自身の財布はスローモーションで小銭を振りまきながら、わたしの額にぶすりと反撃した。それを見て塩崎は笑った。めっちゃ笑いながら散った小銭を集めてくれた。それで、うん、だから、塩崎に借りができた。「一緒にプリクラ取んないと許さない」とわたしは要求した。塩崎はオッケーって承諾した。でも、よく考えてみれば、おごらなくても、財布で自爆しなくても、プリクラくらい普通に誘えばよかったんだ。で、プリクラを取ろうとしたら、まぶしい明かりはついたけど、3ポンド飲み込んだきり作動しなくなった。わたしはつま先でバシッとプリクラ作成機下部を蹴った。塩崎も同じ場所を蹴った。店員が来てわたしたちは抗議したがむなしくわたしの3ポンドは戻ってこないかと思われたそのとき、塩崎は店員に「直してやるよ」と低い声で言った。店員もプリクラが動かないことは知っていたらしく、鍵をすぐにもってきた。それで塩崎はマザーボードを引き出し、裏側も調べて「できそう」とつぶやいて、わたしに3ポンドを渡して、小銭箱とマザーボードを抱えて帰った。わたしは電気街には行っちゃだめとママから言われていたので、外で日が暮れるまで待った。塩崎はもう家に帰っちゃったのかと心配したが、ちゃんと戻ってきた。塩崎もまさかわたしが待っているとも思っていなかったらしく、びっくりしてた。今までさんざん尽くしてきたし、これからもずっと尽くしていきたい。そういう風に、本当に思ってたんだ。塩崎はゲームセンターに着くとプリクラ作成機をあっという間に直した。ついでにハードディスク内に保存された歴代の数々の知らないひとたちのプリクラ画像をパネルに映し出した。やばっ。といろんな意味で思ったが、時間をたどってゆくごとに変化するプリクラ、そして、この場所に置かれる前の、つまり輸入する前の日本本国で撮られたデータまで辿ることができた。ふたりでゆっくり時間をかけてずっと見てた。友達同士で撮ったもの、部活とかでたくさんのひとが映り込んだもの、ひとりで撮ったもの、家族や親子で撮ったもの、コスプレしたり、独特な加工したり、そうそう、いろんな加工ね、ハートマーク、恋人同士で。なんかわかんないけど、途中で、感情が込み上げてきて、胸がいっぱいになった。塩崎もはじめは面白半分だったが、真剣なまなざしになっていた。最後まで見終わって、塩崎はハードディスクを嵌めてから「そろそろ撮ろう」と誘ってくれた。塩崎の笑顔を収めたい、ずっと。ハートは使えなかった。そして、わたしたちのプリクラも記録された。うん。それから食券交換がはじまって、わたしは塩崎の誕生日にペンダントを渡した。中にはプリクラが嵌っていて。今思うと、なかなか。びっくりだよね。友達からプリクラの入ったペンダントを誕生日に渡されるなんて、絶対、好きじゃん。好きが重すぎるじゃん。塩崎は「ありがとう」と言って、プリクラのなかの笑顔と同じ笑顔をみせた。そのあとも食券交換が続いて、砂嵐の季節になった。そう。空が赤くなって。20年に1度くらいの大嵐が砂岡を襲った。連休明けに塩崎が学校に来ない。塩崎の友達から聞いて、わたしは病院へ向かった。塩崎はそこにいた。でも、彼女は動けなかった。母親がそこにいて、塩崎が脳死であると告げた。彼女は貧民街に住んでいた。シングルマザーの母親がシェルターへ呼ぶときには、屋根が砂の重みに耐えきれずに崩れ、頭部に損傷を受け、そのまま、1時間も砂の下に生き埋めになっていたのだった。塩崎自身が生前に望んでいたため、宗教上の理由を押し切って母親も承諾し、即座に臓器移植が決まった。そして、事故から3日後、心臓が取り除かれ、塩崎は息を引き取った。あっという間に葬式まで進行し、わたしは友達枠で参列した。大嵐が去ったときと同時に塩崎はわたしの目の前から消えてしまった。好きだと伝えることもできず、プリクラ以外の思い出もないまま。本当に、それだけ。シンプルでしょ。



王立空軍VH-92は入雅市に着陸した。

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