東大、医学部と体験格差
私は公立小中高と近所の公立の学校に通った、いわばそこらへんにいる子供だったと思う。
もちろん、横浜という首都圏の大都会に住んでいた点は、受験などに圧倒的に有利だったが、父親は長崎から出てきた上京者。大卒後に東京の会社に通っていたが、東京ではマンションが購入できなかったので、横浜市南区のマンションを購入した。駅から徒歩20から30分という、なかなかな利便性のところだった。1979年のことだ。
これが私が転校を繰り返す原因になったことは、まあ、今はかすかな想い出なのだけど、ちょっと苦い思い出だ。
なお、母方の祖父母も同様で、祖父が東京に勤めていたので、1970年に横浜に家を買った。マンションは祖父母の家から歩いて20分ほど。私や弟の子育てに祖父母の援助を期待できる絶妙な距離だ。
私たち一家の歩みは、当時の日本の状況をあらわしていると言える。
なお、晩年はその近さから、母は祖父母の介護に明け暮れた。実家が近いのもいろいろある。
さて、そんな私だが、習い事的なことはあまりしていない。
マンションの隣の部屋がピアノの先生の家なので、ちょっとだけ通ったことがあったが、家にピアノがないのに習う意欲が湧かず、すぐやめてしまった。
公文式に数ヶ月通ったこともあったが辞めてしまった。小学5年生くらいのとき、近所の剣道教室に通ったが、低学年向けの教室だったので、年下の子供以下というのが嫌になってこれまた辞めてしまった。
小学6年生のときに通った「地場塾」では成績がよかったのだが、それで虐められて、数ヶ月で辞めてしまった。
本当に辞めてばかりだったが、長崎から上京して資産などない普通のサラリーマン家庭では、子供をそうそう習い事をさせる余裕はないだろうに、その貴重な機会を潰してしまって申し訳なかった。
というわけで、ピアノも弾けないし、習字もそろばんもできない。スポーツもやっていない。
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