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『オッペンハイマー』の時間演出

観てきました。特に光と音の演出がすばらしく、映画館で観る価値のある映画でした。
原爆に対する視点については各所で感想が出ているので、ここでは演出について書いときます。

本作はだいたい2つから3つの時間軸が平行に流れていて、学生だったオッペンハイマーが原爆開発して実験に成功するまでのストーリーを軸に、戦後の聴聞会シーンが適宜挿入される形で進んでいきます。
その時点でノーラン監督らしい『時間の演出』が挟まれているといえますが、私が気に入ったのは原爆投下のあとの演説シーンです。

オッペンハイマーの演説では、世界初の原爆実戦投下に浮かれている聴衆に対し、「ドイツにも使いたかった」という(本心ではないのが明らかな)台詞が挟まれます。つまり彼自身も社会の要請とか戦時中の否応なさを理由にして、自分の葛藤を黙殺しようとしてるんですね。
しかし、そのすぐ後、オッペンハイマーは聴衆を照らす光を幻視し、彼らと彼女らの皮膚が溶け、炭化した死体を感じます。

このシーンは無音で展開します。オッペンハイマーが壇上に上がるまでは聴衆の足を踏み鳴らす音や歓声で耳を聾するほどだったのが、画面は急激な静寂に支配されます。
これは、原爆実験のシーンと重なります。マンハッタン計画の佳境たる爆破実験において、爆破に成功し、火柱が画面に広がるシーンは無音になり、明らかに荘厳さを伴うように描かれています。
それが、爆発の衝撃波が観測者に届くと、一気に物理的な破壊のニュアンスを帯びます。『人間がプロメテウス=「神に通じた者」となった』シーンが、『300年の物理学の歴史が大量破壊兵器の道具へと堕した』シーンへと色を変えるのです。

演説シーンも同様です。最初はオッペンハイマーの輝かしい成功を祝福していた聴衆の歓声が、悲惨な幻視の際には遠くなり、そしてまさしく爆発的な音となって戻ってきます。このとき、歓声はむしろ暴力的な衝撃を映画を見る私たちに植え付けます。
他方で原爆は、その火柱の観測から数瞬遅れて本来の機能である破壊をもたらします。演説シーンの歓声も、最初は祝福の象徴だったのが、虐殺を歓呼するグロテスクな側面を遅れてオッペンハイマーに突きつけます。

つまり、『最初見えていた印象はあとから容易に破滅へと塗り替わる』ことを示しているんですね。これを私は形を変えた時間演出と捉えました。物事は時間の経過によって大きな悲劇をもたらしてしまう。
これは単純に、オッペンハイマーの栄光と名声の転落を示唆しているといってもいいですが、それ以上に本編最後の映像が効いてきます。

核の連鎖反応が起こり、地球全土が焦土と化すイメージ。
「我々は破壊した」。この台詞のとおり、オッペンハイマーの功績は『すでに世界の破滅を引き起こし終えている』。換言すると、『今現在の平和は核実験の火柱を見ているようなもの』ということです。

この映画は登場人物が多く難解なところもあり、政治的にも批判を受けやすい作品ですが、最もよかったのは『観客の想像力を信じている』姿勢です。
衝撃波が届く前に何かできることがあるのではないか? そんな考えをもたらしてくれたので、これはいい映画です。


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