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『ハケンアニメ!』とガンダムとエヴァとか

『ハケンアニメ!』を観てきました。すごく面白かったのでネタバレしながら感想書きます。

 私は原作小説未読で、予告以外の事前情報なしで観劇しました。ので、原作を読んでからだと違った感想になるかもしれないし、完全な妄想になるかもしれないことを前提に書きます。


■王子監督

 この作品の顔といえば、やはり王子監督(中村倫也)でしょう。好感度マイナスから始まって、対談や作品へのこだわりを示すシーンを積み重ねつつハワイに行ってたと見せかけてセルフ缶詰してた事実が見えてきて、好きな人物になっていく構成は見事です。

 この最初の好感度というのがかなりすごくて、プロデューサーの有科さん(尾野真千子)がさんざん迷惑かけられていじめられてもうダメだってところで「人がゴミのよう、か?」ですからね。ここのイラつきポイントは2つあって、まず失踪してたのに何事もなかったかのようにしれっと旅行鞄持って颯爽と登場する点。第2に引用するセリフがベタな上に微妙にふさわしくなくて、よくいる空気読めないダメなオタクみたいな点です。そのあと殴られた時の発言も、「親父にもぶたれたことないのに」ですよ。相手はその筋では知られたプロデューサーで、当然引用の元ネタも知っているわけですが、あえて一般人でも知っているようなベタベタなセリフを言うわけです。迷惑かけておいて謝るでもなく、『素人向けのセリフ』で誤魔化すのです。舐めているとしか言いようがありません。
 この点、斎藤監督(吉岡里帆)と有科さんが『あしたのジョー』の3回パン出﨑演出で通じ合ったのと対照的です。有科さんはあくまでも『一緒にボクササイズをした仲』である前提で『アニメ演出をパントマイムで表現する』という手段を取ります。ある意味イタさは王子監督以上ですが、斎藤監督はこれをちゃんと拾ってくれます。ここにコミュニケーションが成立したわけです。王子監督の引用芸はガン無視されたのに。

  本作は一貫してコミュニケーションの重要さを描いています。斎藤監督は『サウンドバック』(サバク)の製作が進むに従い、各スタッフに声をかけ、撮影監督にはロジカルに、作画監督にはエモーショナルに要求を伝える。そしてプロデューサーの行城さん(柄本佑)とも心を通わせ、『サバク』最終話の土壇場での脚本変更という暴挙の際、援護をもらいます。さらに、最終シーンでは、お隣に住んでる太陽くんが友達と一緒に『サバク』のフィギュア(超合金?)で遊んでいるカットが挿入されます。自分が作っているアニメが、1人の少年の心に届いたのです。


■ガンダムとサウンドバック

 本作においてガンダムは『敵』です。どういうことかというと、セリフを引用されたシーンが誰かを傷つけたり不快感を煽る状況になっているからです。
 上述の「親父にも~」はもちろん、宣伝プロデューサーと制作デスクが監督の陰口を叩いている時に出たセリフは、「悲しいけどこれ、戦争なのよね」です。前者はことの重大さをパロディに練り込んでうやむやにしており、後者は大して状況にふさわしくない。『オタクの悪い癖』的な表現がされており、転じて『まだ人間関係が築けていない』状況を浮き彫りにしています。「弾幕薄いよ」もね、斎藤監督が未熟なりにスタッフに要求を伝えようとしているのに対していい対比になっています。

 ところが、斎藤監督がスタッフと会話し、心を砕いて作り上げた『サバク』最終話。音とそれにまつわる記憶を失った主人公は、宇宙空間から地球へと戻っていきます。その時の、聞こえないはずの地上にいる仲間の声に導かれるような描写は、あまりにもまっすぐな『ガンダム』ラストシーンのオマージュでした。
 上っ面のセリフだけ引用して何かを言ったような雰囲気を出す道具として使われていた『ガンダム』が、作品の中でオマージュという形で昇華されるのが美しい。『サバク』は全12話の毎回ロボットのデザインが変わるという手間のかかる設定をしていました。それは純粋に面白くするためであると同時に、玩具などの商品展開を見据えてのことだったでしょう(実際、ラストシーンで出てきています)。ほかにも、カップラーメンとコラボして知名度を上げようとしていましたし、『大人の事情』を大きく感じる描き方がされていました。

 これは『ガンダム』も近いところがあります。Gファイターと呼ばれる露骨に玩具っぽい機体はスポンサーの要請から生まれたものです。そういうところまで含めて、『サバク』は『ガンダム』を含むロボットアニメをリスペクトしつつ、覇権を取れそうなアニメとして描くことに成功していました。


■リデルライト

 一方で、『リデルライト』(リデル)。キービジュアルと『運命戦線』というタイトルを見た時は「ウテナだ……」と思いましたが、実際にはプリキュアとまどマギと遊戯王5D'sとさらざんまいのハイブリッドでした。というかパンフレットで監督が中村倫也に『ウテナ』と『まどマギ』と『さらざんまい』を観るよう勧めたって書いてました。最終話の「死ななきゃ花道にならないような古い感動なんて、誰もお前らにやらない」のシーンは完全に『さらざんまい』じゃん……って思ってましたが、まさしくそのまんまだったみたいです。
『サバク』に比べてやや描写が少ないのですが、堀江由衣ボイスのキュウべぇっぽいマスコットが出てきて、鏡の向こうの世界の敵とバイクレースで戦って、という内容です。1話ごとに1年経過するのでこちらも製作カロリーはすごそう。

『リデル』の作品としての存在感は十分にすごく、ビビッドな色使いとキャッチーなセリフはやはり幾原邦彦を思い出させます。それに加え、やはり王子監督のキャラが強い。彼はいくつものフィクション的嘘を盛り込まれながらも、根底の人間らしさと業界への深い愛を見せることで、驚異的なバランスで成り立っています。
 上述の雑なセリフ引用が1つめの嘘、11話分の絵コンテを放映前に書いてしまえる筆の速さが2つめの嘘、自宅で描いた絵コンテを丸めて床に撒き散らすのが3つめの嘘です(描くことでしか乗り越えられないとか言っていた人がボツにした原稿を見返せない状態にするのは不自然)。それだけの嘘を重ねながらもリアリティが損なわれないのは、ひとえに出来上がった『リデル』に説得力があるからです。「こんな変人そうはおらんやろ」と「こんな変人だからすごいアニメが作れるのかも」というせめぎ合いに、ソリッドさを持った『リデル』が突っ込んでくる。王子監督のキャラは『リデル』ありきで、『リデル』は王子監督を引き立てるために描写されているとも言えます。それにしても前作の『光のヨスガ』が気になる……。


■エヴァからの引用

 アニメネタで言うとエヴァからもいくつか引用されています。そもそも作中のテロップがそれっぽいし、『完全に沈黙』、『命の洗濯』などのフレーズもそうでしょう。そして極め付きは、王子監督が語った「心を開かなければエヴァは動かないぞ」です。予告を観た時点では、このセリフを引用するのは相当なクソ野郎だなと思ったものですが(こう言われたアスカは廃人になるので)、本編を観た上だと意外に悪くありませんでした。
 なぜかと考えると、要するに王子監督は仕事を通してしか自己を表現できない綾波レイなんですね。で、綾波と違って率直にものをいうことができないから、斎藤監督に声をかける手段としてセリフの引用をする。『オタクの様式』というペルソナを被っていれば楽だから。上述の「親父にも~」のシーンと同様、一種の照れ隠しと、発言の責任をアニメという共通言語に被せたいという願望が表れている。『サバク』の内容がかなり刺さっていたから、ある種『ひどいセリフ』を使ったんじゃないでしょうか。

 2人の対談シーンでは、言葉に詰まる斎藤監督に助け舟を出したり、かなり優しいし、草薙素子とベルダンディーが好きな自分を率直に『自分の言葉』で語ってるんですね。王子監督。でも次に直接話す時は、まずエヴァをクッションにしないと声をかけられなかった。たぶん、内心に迷いがあったりすると最初の一歩を踏み出すのに『オタクのペルソナ』が必要になるんじゃないかな。ツイッターで画像リプする人をよく見るように、『誰かの言葉』を借りることで発言のハードルが軽くなるという事実はあります。

 だからこそ、最後の最後での「結婚してもいい」「は?」という流れが素晴らしいのです。お仕着せでなく王子監督の中から出てきた彼自身の言葉は、アニメのように格好いいものではなかったかもしれませんが、とても価値のあるものでした。

 
■まとめ

 熱く、真摯でアニメへの愛に溢れた映画だと感じました。秩父のシーンに出てきた『あの花』の例の橋とか地底人Tシャツの彼みたいに小ネタも面白い。たぶん観返したらもっと発見があるんじゃなかろうか。あと高野麻里佳が出演するのを知らなくて、かなりいい役でビックリしたり突然の速水ボイスで思わず笑ってしまったり。王子監督のモデルが幾原邦彦だと聞いていたけどむしろ富野由悠季に近いんじゃないかと思ったり。情報量が多くてどんどん引き込まれてしまい、2時間以上の上映時間を感じさせませんでした。とてもおすすめできる優れた作品です。

 と、まあここまで書いておいて何ですが、人物の解釈やオマージュについては、もしかすると完全に的はずれかもしれません。最初に言ったように、妄想と地続きの連想ゲームをやっているようなものですので。
 しかし、王子監督が語ったように、「作品が放映されればそれは視聴者のもの」なので、自由に解釈をしたいところです。『サバク』の最終話だって、その解釈は視聴者に委ねられたのですから。

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