映画感想『アリスとテレスのまぼろし工場』
感想です。ひとことでいうと傑作でした。
私はオリジナルアニメに対して贔屓目に見るタイプで、さらに何か新しい試みがされていると大幅に加点してしまいます。この作品はどっちも満たしているので超好きアニメです。
じゃあ何が新しいかというと、まあやっぱりラストの展開ですね。
世界を永続させるために五実を神に嫁がせたい佐上と、どうせ自分たちが幻ならこのまま滅んでもいいという市民たち。そのどちらでもなく、正宗が出した『いずれ滅ぶとしても変わりたい、変わっていける』というメッセージ。
「たとえ明日世界が滅亡しようとも、今日私はリンゴの木を植える」ってやつですね。で、エンタメ作品としては、いくらそんなメッセージを出したとしても、なんぼなんでもほんとに滅亡はさせられないわけですよ。普通。なんだかんだ奇跡が起きるなりして主人公たちを助けるはず。
でも、この作品に奇跡は起きません。いや、正確に言うと、奇跡が起きたかもしれない匂わせはある。けれども、それは基本的に観客に想像させる作りにしていて、最後のシーンは五実が現実世界で失恋を消化したところで終わる。
まぼろしの世界は滅んだのか? 制作サイドも観客がそこを気にするのはわかっているでしょう。でも、あからさまに明示するのはテーマがぼやけるので、ただ廃墟になった工場に正宗の絵を置くだけに留めた。
この絵、上手くなってますよね? 気のせいかもしれないけども。
どういう理屈で現実世界のそこに絵が置けたのかはあまり主題ではありません。ただ、少なくとも絵を完成させて工場に持ってくるだけの余裕は、まぼろしの世界に与えられたわけです。
ささやかな優しさではあるけども、その優しさによってリンゴは五実の手に渡った。このバランス感覚が素晴らしい。
私はたぶんあの世界は滅んだと思います。しかし、1枚の絵を登場させることで、そよ風のような爽やかさをスクリーンに満たし、幕を下ろすことができている。
このビターさが強くなりすぎそうなプロットで、観客の感性を信頼し、ギリギリを攻めるような演出を選択したのは本当にすごいことです。
五感の話をします。
まず冒頭、笹倉くんがオナラしてみんなが「クッサ!」となっているのがすでに伏線ですね。この頃はみんな現実の存在なので。
その後「臭い」と明言されるのは正宗が五実のオマルを片付ける時です。他方、まぼろしの世界の住人だから、睦実には匂いがない。
ここまでは嗅覚の話。他には、痛みに鈍感だからわざと痛くなるような遊びをしたり、冬なのに上着を着ていなかったり。
正宗たちと違い、明らかに美味しそうに食事をする五実というのもありました。これらは触覚と味覚。
では、残りの視覚と聴覚はどうか。
この2つは、現実世界の人間より鈍くなっているようには見えません。空のヒビ割れやそれを神機狼が修復する様は普通に見えているし、正宗が睦実の存在を確認するのも、心『音』によってでした。
まぼろし世界の住人は、視覚と聴覚については現実世界と遜色ないのです。
ここで確信します。まぼろしの世界は、アニメーションのメタファーです。
アニメ作品は匂いも味も温度も伝えることはできませんが、目と耳で享受することができる。そしてそれは、現実に負けるものではない。
『グリッドマンユニバース』とか『君たちはどう生きるか』とか、今年は虚構を作り出していることに自覚的な作品を観てきました。ただ本作は、虚構の無力さを受け入れた上で、それでもアニメーションに可能性を見ている感じがある。
いずれ滅びる世界のように、作品もいずれ忘れられる。しかし、それは悲劇ではないし、世界の価値がなくなることでもない。
五実がまぼろしの世界に迷い込んだことで、両親と過ごす時間が奪われたと同時に初恋の相手と出会えたように、アニメに触れることには、いい影響も悪い影響もありえる。しかし少なくとも、五実を現実に送り出した時に睦実が語ったような、作品に触れた人への祝福のような温かみを感じます。
ところで、この睦実と五実の最後の会話シーンは特に好きです。「正宗の心は、私がもらう」。このセリフで、完膚なきまでに五実の恋を終わらせ、現実へ帰る後押しをしている。
母としての配慮ばかりではないでしょう。本音で、一人の男を奪うための、堂々たる宣言だったと考えて大きく外れていないはずです。
佐上さんの話もしておきましょう。
睦実の義理の父親である佐上衛は、まあいかにもな悪役で、最後は無様に敗退する典型的な小悪党です。
ただ、キャラ造形が絶妙で、普通の悪役として片付けるにはもったいないところがあるんですね。
この作品はセカイ系の文脈を継いでいます。それを踏まえた立ち位置としては、佐上は世界を守るために少女を犠牲にする大人、といったところ。それに対する主人公の選択は、『少女を無事に解放する』なので、ここだけ見ると割と古典的なアンビバレンツです。
しかし本作の場合、市民が「もう世界滅んでもいいや」というスタンスなので、佐上とわずかな取り巻きだけが浮いています。
ここが面白いところで、長年(30年くらい?)の変化しない生活に倦んでしまっている市民は、もはや生存自体を諦めつつある。一方、最初からこの世界で楽しむ気満々だった佐上は、何をもってしても世界を延命させたい。なので現実世界からのマレビトを生贄にする。
五実を神の嫁にしたところで世界に影響があるのか不明なのですが、佐上は行動せずにはいられない。理由はともかく、子供も含めて全滅を受け入れている市民をよそに奔走する姿は、世界を守る主人公的といえなくもありません。
結局正宗の叔父さんの時宗は工場を再稼働して世界を延命させるし、なんなら佐上のほうが先を見ているんですよね。上述の通り市民はまっとうな生存本能が欠落しているので、彼の言う通り事実を伏せておくのが効果的だったというのは悲しい話です。
佐上はやはり、人との関わりにもう少し恵まれていたらなと思います。本人の性質だけの問題とは言えず、変わり者として嫌われてきた環境の影響も少なからずあったでしょう。
正宗の父が自分を友人だと認識していたのを知ってショックを受けていたり、妻とした睦実の母が自分を悪く言っていたと思い込んでいたことからわかるように、結局佐上は自分が人に受け入れてもらえるなどと信じられないのです。五実は睦実に「友達ができるよ」って言ってもらえたのに。
だから、自分が特別な存在でいられるまぼろしの世界に拘泥する。その愚かさ、不完全さも含めて、愛すべきキャラクターです。
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