崩れる砂場の城を守りたい
例えば目の前にやらなくちゃいけない仕事があるとする。同時に無関係の淡い考えごとが浮かぶとする。残念ながら、私は率先してメモを片手に後者を大切にしてしまう。
人間が出来ることを考える。人間たる理由。人間って何。人間が言葉を使う意味。人間の存在意義。今はそういうことを考えて書いている。
よくよく考えてみると、本当におかしいことだと思う。果てしない銀河に比べれば本当に小さすぎる一つの球。その球の上であらゆる生命が芽生えては、静かに消えていく。この現象を当然として受け入れている世界。
あるものは地面に根を張り、色とりどりの形をもってその場で一生を終える。あるものは海の中で生まれ、暗闇の世界で彷徨い、時に光のカーテンが注ぐ天井を見上げる。彼らにその天井の向こう側に空、さらに宇宙が広がっていることが理解できているかは分からないけど。また、あるものは乾いた大地の上で生まれ、めいっぱい走れど行き止まりのない無限の世界を知る。本当は丸い球の上だから、無限ではないのだけど彼らにそれが理解できているかは分からない。あるものは殻を破って生まれ、空を自由に飛べることを知る。羽を広げれば、青い海や深い緑が目の下に広がっているが、彼らがそれらのグラデーションを美しいと思っているかは分からない。
人間はどうだろうか。光合成だけでは生きていけない。もちろん水中で息をすることができない。四肢を使って素早く大地を駆け巡ることもできなければ、木にも満足に登れず、空も自由に飛べない。人間というものは実際のところ無力で弱いものなのかもしれない。
そんな人間に与えられた能力は、頭脳だ。頭脳というとどこか堅苦しくて途方も無い計算式が見えてきそうに聞こえるが、ここに示したいものはそういうことではない。気持ちや言葉。人間であれば、言葉を知れば、誰にでも持っているものを改めて考えたい。
宇宙という謎の世界を通して考えれば、私たちの生命活動はほんの一瞬で。あなたが生きて死ぬまでの一生でする瞬きのうちの一回のような短い時間。本当に笑っちゃうぐらい短い時間。私はときどきそのことを思っては、一人でゾッとしている。幼い頃は「兵隊さんは死んだらどこにいくの?私は死んだらどこにいくの?」とよく母親に泣いて質問していた。今でもやっぱり怖い。
そんな砂時計の一粒のような、下に落ちればもう一回はない唯一の時間。私たち人間が唯一出来る能力は、考えて残すこと。本当にそれだけ。たとえ、他のあらゆる生命も考えることができたとしても、それを言葉にして、さらに後世に残すなんてことは出来ない。これが私たちの能力だと思う。
だから、生きている限り、考えること、感じること、言葉にすることを大切にしていきたい。楽しいことや悲しいこと、難しいことや笑ってしまうほどばかばかしいこと。なんでもいい。でも全部忘れたくない。いろんな感情の中で巡る自分だけの気持ちや言葉を見つけていきたい。
太陽の光を浴びることや、風に身を任せること、夜の匂いと音。あらゆる生命が当たり前に受ける恩恵のその美しさや儚さ。その一環に私たちも入っているということに喜びと畏怖を持ちながら、考えつづけたい。
心や頭の中、誰かと過ごす空気の中。そういうところで突然芽生えくる、本当に大切なものを取りこぼさないように。
砂場の城が崩れる前にその形を残してしていきたい。
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