ボタンのかけまちがいのあいだで
大学生時代の数年間、青いなりに真剣に付き合っていた年上の人がいた。私にとって本当に人生で初めて真っ当に「恋愛とは」を学んだ時間だったと思う。人を大切に想うことを学んだ。
つい昨夜の2時頃、知らぬ間に彼が最近結婚していたことを知った。SNSは恐ろしい。もう数年前のことだから十分に傷も癒えていて、ズンと胸に鉄のかたまりが落ちてくるような気持ちにはならず、「へぇ」という気持ちにしかならなかった。自分でも驚いたけど、恋愛の傷は時間でしか癒えせないのは本当らしい。
ただ、昔のことを思い出して切なくなった。至って真面目に好きになって、至って真面目に一緒に生活をし、至って真面目に日々を過ごした。心から楽しい時間を素直に楽しいという気持ちだけで満たせた日々が確かにあった。チャーハンセットを食べた静かな夜の王将や、虫がこびりついた暑い深夜の自動販売機。動物園で白クマをずっと並んで見続けた時間、なんでもない部屋で何にもせずに過ごした休日。薄い黄色とみず色のベールで包まれていたような、淡くて若くて優しかった時間。
そんな時間でさえも、二人が離れてしまえば過去になる。時間が経つと思い出すのにも時間がかかる。わずかに覚えている楽しかった記憶。あのときの感情や優しさ、空気や匂い。もう誰にも見つけてもらえない、私が忘れてしまえば今にも消えてしまいそうな、確かにあった過去を思って切なくなった。
気持ちや思い出を真空パックの中に閉じ込めても、開ける時にはもう当時の自分にはなれないのだと知った。
ボタンのかけまちがい
私たちは度々ボタンをかけ間違えてしまう。いるべきではないような場所で長い間過ごしてしまったり、今じゃないタイミングで出会ってしまったり。ただその時は、真っ直ぐな気持ちで生きているだけで、ボタンをかけ間違ったことに気づいていない。かけ間違った穴の中でもがきながら過ごしたり、我慢できなくなってその穴からボタンを外したりを繰り返す。時には、どの穴にもかけずに宙ぶらりんのボタンのままでいる。
そして時間が経って気付く。ここではない、この人ではない、今ではない、と。
でも、かけ間違った穴の中で過ごした時間は確かにあった。その時間には、ひと時の楽しさや悲しさ、幸せや苦悩などがあった。その時間が無ければ、次のボタンの穴は見つけられなかった。ひとつひとつのかけ間違いは、ちゃんと必要な間違いだった。
私たちはボタンをかけ間違いながら、幸せと思える場所を探し続けている。
ちゃんとボタンをかけるまで
知らないうちに、ちゃんとボタンをかけた彼と、まだ宙ぶらりんのボタンを持ったままの私。それぞれが同じ月日をちがう形で過ごして、気付けばもう遠すぎる場所まで来ていた。一瞬でも、将来を共に考えた人。遠距離恋愛になる前日には号泣した二人。そんな唯一の関係を築けた人でも、気付けば人生最大のイベントすら祝えない関係になっていたのか。誰も悪くない、ただただ目の前にある現実の非情さにゾッとする。恋愛は儚くて残酷で美しい。
一度でも出会えて、一瞬でもやさしい時間を共に過ごせて良かった。当時は思い出を美化するなんて出来なかったけど、今は心からそう思える。
一緒にボタンをかけ間違えてくれてありがとう。おめでとう。笑顔で健康に年を取ってね。バイバイ。
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