普通とは?

自分のことが堪らなく嫌になることがある。
普通の生き方をしている人間であること。
敷かれたレールを歩いている気がしてならない。
自分の人生には何の刺激もなく、何の面白みもないような気がしてならない。
自分とは異なる人生を歩んでいる人間を見ると堪らなく羨ましく魅力的に見える。
レールなどとうに取り払って思うままに生きている人間。
そんな人間を見ていると、何が自分がとてつもなく小さく惨めに思える。
少しでも自分の知らない世界に足を踏み入れたくて、少しでも普通の人とは異なる経験をしてみたくて、少しだけ無理をしている。
アンダーグラウンドなラップを聴いたり、
アウトレイジな映画を見たり、
薬物や大麻について詳しくなってみたり。
そうすると何か自分が大きくなった気がして
少しだけ自分が誇らしくなる。
憧れの彼ら彼女らに近づけた気がして。
でもそれは彼ら彼女らの生き写しでしかない。
自分とは?普通とは?
普通なんて、極めて狭い範囲でしか通用しない概念、すなわち自分1人のみが所属する組織みたいなものである。
組織の中には生きていくうちに経験するであろう様々な事柄や、考え方などの多くの分野が存在している。
それら各々は全て、自身が正しく正当であるものと思い込んでいる。
だからまったく異なる他人の組織を目にした時に、差異からくる劣等感や優越感を感じる。
これが優越感である分には何ら精神的影響はないのだが、劣等感であった時が厄介なのだ。
劣等感を感じた分野は粉々に打ち砕かれ、長い間私を苦しませる。
そしてどうにかして劣等感を感じた対象に近づき、あわよくば追い越そうとする。
でも彼ら彼女らもどこかで何かを羨んでいるのかも。
そう考えると今の自分に合った道を進むのも悪くないような気がする。
少しだけ背伸びし、少しだけ道を踏み外し、
少しだけ刺激的な人生。
ほんの、ほんの少しだけでいい。
あとは自分が一番心地良い生き方でいい。
これが一番丁度良い気がする。

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