期待にこたえてたまるかよ
小学生の頃、なにかのイベントで「車椅子体験」をしたことがある。
取材に来ていた新聞記者の人に「どうだった?」と聞かれ、「楽しかった!」と答えた。
当時の私は、車椅子を「はじめて乗ったアトラクション」のように感じたのだと思う。小学校低学年だ、悪気は一切ない、正直な感想だった。
そのときの、記者さんの顔。「そういう答え求めてないです」という苦い顔、今でも忘れられない。
後日、新聞を読むとこう書いてあった。
「車椅子の人が困っていたら、手助けしてあげたい」
誰もそんなこと言わなかった。でも、それが期待されている答えだってことは私にもよく分かっていた。あぁこれが大人の世界なのだわと、さめた気持ちながらも妙に納得してしまった。
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高校生の頃、写真部に入っていた。カメラ雑誌や県のコンクールに出品するのだけど、そこで上位に入選するのは「キラキラした学園生活」を感じさせる写真たち。
セーラー服の学生たちが、夕日や海をバックにジャンプしている、それが「高校生らしい良い写真だ」と評価される世界。
当時の私はめちゃくちゃに屈折していて、「輝かしい青春」なんてものとはほど遠く、「高校生がみんなキラキラしてると思うなよオッサン」と思っていた(口悪い)。
謎の反骨精神を発揮して、写真甲子園にはものすごく暗い作品で挑んだのだった…(顧問がそれを「いいね」と言ってくれる人で救われたなぁ、と思う)
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良くも悪くも、「何を期待されているか」は敏感に察知できるタイプだと思う。でも、だからこそ、「期待にこたえてたまるかよ」と反発したくなる自分もいる。
平常運転は「優等生」だけど、ここぞというときにパンクな自分が顔を出すんだよなぁ。
2019年は「パンクなほうの自分」を出していい!としいたけさんが言ってくれているから、思い切っていこうと思う。
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