日本で、どうやったらカルトを無くせるの?
今回は、カルトを無くす方法について、宗教法人の解体方法と反セクト法を中心に、考察していこうと思います。
カルトって結局何なんだ?と思った方は、過去の記事をまずはご一読下さい。
1.宗教法人の解散方法
宗教法人の解散方法について、以下の法律(宗教法人法)を見ていきましょう。
つまりは、
(1) 法令(犯罪)や公共の福祉に反しないか
(2) 宗教の目的外の活動や不活動
(3) 礼拝するための施設の滅失等
(4) 運営者の不在
(5) 規則の認証の要件として、宗教団体としての実体があるか
上記のいずれかに該当すると、宗教法人が解散されると解釈出来ます。
このことを「解散命令」といい、所轄庁や検察官が裁判所に請求することが可能です。
因みに、解散命令の多くが 4 の「運営者の不在」が原因であり、休眠法人(存在はするが、活動をしていない法人)に対して行使されており、 1 の法令違反が理由で解散したのはたったの2件だけでした(オウム真理教による民間人虐殺と、明覚寺による霊感商法)。
この2件を日本は平和な国だと捉えるのか、立法・行政の怠慢だと捉えるのかは、個々人の解釈によって分かれるでしょうが、これが宗教法人の解散方法になります。
2.現行法の問題点
とりあえずは、これで解散方法が分かりましたが、何故未だに宗教による社会問題が残っているのでしょうか?最近起きた解散請求から読み解いてみましょう。
読者の方にも記憶に新しい事例として、全国霊感商法対策弁護士連絡会(以下、全国弁連)による、世界平和統一家庭連合(以下、旧統一教会)に対する行動を挙げます。
この実例では、全国弁連が所轄省庁の各担当相宛に裁判所に解散命令を出すように申し入れをしました(宗教法人法により、解散請求が出来るのは①所轄庁②利害関係者③検察官だけなので、代わりにしてくださいとお願いをした形になります)。しかし、この請求は受け入れてもらえませんでした。
その理由について、文化庁宗務課の見解としては、宗教法人法第81条1項である法令違反の解釈について、少なくとも刑法違反にて適用されるのであって、民法レベルでは適用されない、とのことでした。今回の件では、旧統一教会の霊感商法を中心として問題に挙げていたため、そのような解釈をしたようです。
つまり、問題点の1つに「解散請求の条件が厳しすぎる」ことが挙げられます。
また、もう1つの問題点としては、現代日本立法の在り方それ自体も挙げられると思います。司法(公権力)が、あらゆる事情を考慮したうえで解散命令を出すか否かを決定しますが、結局は裁判所側の恣意的な運用に解釈が依存されるので、いかなる場合に解散するのかが不透明なのも大きな問題です。
さらに3点目として、宗教法人の違法行為にたいする解釈の問題も存在します。先程私は解散請求の条件に (1)法令(犯罪)や公共の福祉に反しないか があると解説しましたが、厳密には、犯罪とは刑事罰のみを指しています。
どういう事かというと、かつてオウム真理教に関する様々な悪質行為のうち、刑事罰のみ裁く、という判例が下されたことに由来します。
つまり、オウム真理教で言えば、尊師の血液や残り湯を高額で信者に販売するのは詐欺行為として裁けなかったため、統一教会の霊感商法を刑事罰としてではなく、あくまでも民事的な違法に収まるとして、解散請求が通らなかった経緯があります。
では、他国はどのようにしてカルトに対処しているのかを見ていきましょう。
3.フランスの反セクト法とは
恐らく一番有名な対カルト法はこれではないでしょうか?
その前に先ずは、
(1)ライシテ
(2)ギュイヤール報告書
(3)反セクト法
これらの解説を通じて、それぞれの違いを解説していきます。というのも、(2)と(3)は結構混同して語られることが多いため、整理していきます。
(1)ライシテとは
ライシテとは「政教分離」のこと。フランス語 laïcité から来ています。語源はギリシア語の「ラオス (λαός, laós; 民衆)」から来ている。
(2)ギュイヤール報告書とは
ギュイヤール報告書とは、1995年(反セクト法以前)にフランスで国民議会(日本でいう下院)に提出されたものです。
これが、よくメディアが参照するカルトの10のセクト現象になります。
この時に、上記10個の現象に当てはまる173の団体を「セクト」と公式に発表しました。
つまりは、宗教とセクトとを分けたリスト表になります。
(3)反セクト法とは
反セクト法は、2001年に制定された法律です。
反セクト法は全6章24条からなります。今回のテーマに合致するのは以下の内容かと思われます。(中島宏 先生の論文より抜粋)
…という様に、かなり細かく規定がなされています。
歴史的経緯
ギュイヤール報告書と反セクト法の違いとしては、報告書と法律という大きな違いがありますが、細かく言うと、10個の現象を基準にし、特定の団体をセクトと規定するための文書がギュイヤール議定書で、条文内に該当した団体の法人格をはく奪するのが反セクト法になります。因みに、反セクト法の制定経緯については、ギュイヤール議定書の不備が挙げられます。というのも、ギュイヤール議定書が公表された翌日に、リスト入りしていない宗教団体が集団自殺を起こしたため、フランス政府がセクト対策に追われる形で反セクト法の制定に急いだという事情があります。
では逆に、ギュイヤール議定書と反セクト法の共通点は何かというと、「フランス政府によるセクトの定義」の記載がないことです。
これには先程紹介したライシテと国家の問題が絡んできます。日本に限らず、他国でも政教分離の原則を蔑ろには出来ません。その証拠にフランス政府は、ギュイヤール議定書においては、「セクトの定義」という言葉ではなく「セクトの現象」という言葉で濁しておりますし、反セクト法に記載されているセクトの定義も「法的形態若しくは目的がなんであれ、その活動に参加する人の精神的又は身体的依存を作り出し、維持し、利用することを目的又は効果とする活動を行うあらゆる法人」といったように、そもそも「宗教」という言葉自体の使用を控えています。
では、ライシテ問題に関して、フランスの政治家たちはどう対処したのでしょうか。中島宏先生の論文より、また抜粋致します。
つまり、「犯罪行為を働いた宗教法人」がいた場合、その法人の「犯罪行為」を根拠に組織を壊滅するのであって、その宗教法人の「宗教性」、つまりその団体を宗教たらしめているもの…に対して、国家の権力を行使するわけではない、ということです。
4.日本で応用可能か
以前、仲正昌樹先生が思想家の解説をしていた時に、政治犯についての雑談をしておりました。先生曰く、幼少期のころ、共産革命の為に爆破事故などを起こす人を「政治犯」と呼ぶことに、違和感を覚えたそうです。日本の法律は行為を罰しているのであって、その人の思想を罰している訳ではない、という建前があるのに「政治犯」って不思議だなと。確かに爆破事故を起こしたなら「爆弾魔」とか、山荘に立てこもりをしたなら「立てこもり犯」というのが自然でしょう。
もし、政治犯の下りが理解できるなら、そのままカルト宗教に当てはめれば違和感は覚えないのでは、と捉えております。
5.ここまでのまとめ
日本でカルトを排除する方法として、
1.反セクト法
2.フランスのライシテに関する解釈論
の2つを導入すればよいのではないでしょうか。
6.反セクト法を日本に応用するメリット・デメリット
先ずはメリットから。
最大のメリットは国家が政教分離の原則を維持しつつ、国家による「宗教法人格を有するカルト的団体」の判断が出来ることで、裁判所側の判断材料が増やせることです。
次にデメリットを挙げます。
1 どうしても信仰の幅を狭めるため、日本国憲法の信教の自由(憲法20条1項前段)と必ず衝突する
2 フランスのような伝統的宗教を守る、という側面が日本にはないため、そのまま応用し難い
7.結論
私個人の意見としては、「日本版・反セクト法」の制定を望みます。
確かに私は宗教家ですし、何なら開祖及び教祖ではありますが、私一個人として、一人の日本社会に住む民間人として、宗教法人という法人格を取得した犯罪組織が解散するに越したことはないからです(そもそもの話、私が宗教を作った根本には、日本社会を良くしたい、という思いがありますし…)
多くの日本の宗教家や宗教学者は、本質的な、もっと言えば、現実的な指摘をしていないのではないかと思います。その意図としては、宗教学においてのカルト・セクト・宗教の定義を明確に区別しなければ宗教弾圧に伴う政教分離の原則の崩壊や、信教の自由に伴う憲法の軽視に繋がるため、慎重な議論をしているのだと感じます。
しかし、それではアカデミックな結論が出るまで、犯罪者を野放しにしてしまいますし、カルト問題を考えている知識人たちは、学問上の問題と、現実的な問題が混同しているような気がします。このままではいたずらに時間だけ過ぎるでしょう。
私の感覚としては、
「法律違反を犯す組織は処罰するべきだから、宗教法人だろうが学校法人だろうが私法人だろうがNPO法人であろうが、刑事罰に触れたら社会的にダメに決まっています。カルトの学問的な定義の完成を待ってからの法整備よりも、社会秩序の安定の方が優先度高くないか?」
…という感想です。
解散命令の要件が法令違反か否かになるため、その宗教が、宗教かカルトかを分ける基準を放棄し、そこと平仄合わせるように、カルトを違法行為の有無で判断するなり、罪を犯す団体か否かで判断すればよいのではないでしょうか。
つまり現実社会におけるカルトへの対処法は、宗教(学)におけるカルトの定義ではなく、法学における「カルト的」の定義を論拠に展開すればよいのです。
ですので、メジャーかマイナーか、宗教的な熱狂か否か、教義の内容の如何等々から判断するのは、あくまでもアカデミックの世界での話に限定し、社会通念上の法解釈での判断がベストかと思います。
また、仮に日本版・反セクト法を作るのなら、文化庁の前例主義を踏まえて、宗教法人法に、あるいは別の取締法規に追加・明確化することで解散請求の条件を緩和出来るのではないでしょうか。
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